高知県在住のAさんが行政不服審査の裁決取り消しなどを求めて県を提訴した行政不服審査裁決取消請求事件で、高松高等裁判所はAさんの控訴を却下および棄却した。納得できないAさんは最高裁に上告することを決め、それまでと同じく本人訴訟で書類づくりを進めている。(依光隆明)

県が出した控訴答弁書より。「12月文書」に手を加えたことを認めている
同一であるはずの3文書
2026(令和8)年5月に県が出した控訴答弁書で明らかになったのは、Aさんが情報公開請求した文書に県側が手を加えていたことだった。状況をおさらいすると、➀2023(令和5)年12月、Aさんが高知県教育委員会(県教委)に学校長作成文書(仮に「12月文書」と呼ぶ)の情報公開請求をした。②県教委が非開示決定を出したため、Aさんは行政不服審査を申し立てた。➂2024(令和6)年3月、県教委はAさんを平日午後に県教委関係の施設まで呼び出した。その場で「Aさんが情報公開請求した文書はこれだ」という旨の説明をしながらAさんにその文書を渡し(仮に「3月文書」と呼ぶ)、行政不服審査の取り下げを求めた。➃当然、Aさんは手渡された「3月文書」を自分が開示請求した文書(12月文書)だと思っていた。➄2024年10月にやっと情報開示が行われたとき(そのときに開示された文書を仮に「10月文書」と呼ぶ)、7カ月前に「これが情報公開請求された文書だ」と手渡された「3月文書」と一部が異なっていた。本来、「12月文書」と「3月文書」「10月文書」は完全同一でなければならない。それが違っていた。
控訴答弁書で県は「あの文書(3月文書)は公文書ではなく私文書だった」という論理を展開した。Aさんへの説明のために学校長が「12月文書」に手を加えたものを渡した、しかし7カ月後に開示した「10月文書」はAさんが情報公開請求した真正の学校長作成文書(12月文書)なので、Aさんには真正の文書が渡っている。何ら問題ない、という主張だ。控訴答弁書の文面はこうだった。〈今後の話し合いをより丁寧に行うことを目的として、令和6年3月8日に、学校長が私文書としての提供を行った文書である。その提供に際し、学校長が一部修正を行っていたことから、それぞれの文書において相違が生じているものである〉

高知県教育委員会が入る県西庁舎
信用できず、論理性もなく…
この主張には二つの大きな問題点がある。問題の一点目は、県民と県行政との社会的関係から見てその論理は通用しないということだ。裁判の世界と一般社会とは違う、と言い添えたら分かりやすいかもしれない。「おたくが情報公開請求した公文書はこれですよ」と説明しながら私文書を渡す行政機関を誰が信用するだろうか。もっといえば、誰が税金を払う気になるだろうか。それは詐欺であり、虚偽であり、騙りであり、仮にそのような論理が通用したら県行政は信頼も信用も失ってしまう、というほどにあり得ない。狭い意味で法を犯していないとしても、そのようなことを主張した時点で行政機関の信用は消える。
もう一つは、論理に穴があること。開示すべきオリジナルの学校長作成文書(12月文書)と開示された「10月文書」が同一だという論理が成立しないのだ。自ら信用を投げ捨てるような理屈を展開したのだから、県(実質的には県教委)には信用抜きで展開できる盤石の論理が求められる。信用を二の次にした以上、県民から「気軽に改ざんするような県教委が真摯に情報開示するはずがない」と思われても仕方ないのだ。「『3月文書』を作るときにオリジナルは上書きされて消えたはず。ないものは開示できないから開示自体がでたらめ」と即断される可能性もある。そんな疑問を払しょくできる緻密な論理を県教委が構築できたのか。つまり「10月文書」が「12月文書」であるという盤石の論理を展開できたのか。できていない。論理構築を避けた、と言った方が適当かもしれない。必然的に論理の穴は穴として残っている。重大なのは、その穴を高松高裁判決もそのまま踏襲していることだ。
この問題をめぐる高松高裁判決の論旨は県教委の主張にほぼ沿っている。ざっくり要約すると、「Aさんが開示を求めたのは学校長が2023年12月に作成した『12月文書』であって2024年3月に手渡された『3月文書』ではない。だから情報公開請求した文書と『3月文書』が違っていても問題はない」「Aさんが情報公開請求していた文書(12月文書)はのちに(10月文書として)開示された。これによってAさんが求める情報開示は実現している」という論理。「3月文書」と「10月文書」が異なっている点に解釈を施した半面、Aさんが開示を求めた「12月文書」がイコール「10月文書」であるという根拠は説明しなかった。知ってか知らずか、論理の穴を穴のまま残している。

高松高裁の判決文より。「相違点が若干あるものの、大半は同様の記載」とある
制度自体が崩壊する
高松高裁判決は、手を加えられた「3月文書」とAさんに開示された「10月文書」の相似性を強調している。その部分を取り出すと、〈本件説明文書(3月文書のこと)と本件交付文書(10月文書のこと)との間には、一部の語句の挿入等において相違点が若干あるものの、大半は同様の記載となっている〉〈控訴人に手交することを前提として本件説明文書の体裁や文言の一部を整えたというのも理解できる〉などと書かれている。一読すると「開示文書に手を加えても『大半は同様の記載』であれば情報公開の許容範囲」と受け止められかねないが、そんなことは書いていない。論理的に突き詰めているのは開示すべき文書と「3月文書」は違う、ということだけ。ではなぜ私文書である「3月文書」と開示文書(10月文書)の相似性を強調するのか。考えられるのは「穴」を少しでも塞ぎたかった可能性だ。
「12月文書」に一部手を入れたのが「3月文書」であり、それは開示された「10月文書」と大半が同じだった。ということは開示すべき「12月文書」が開示した「10月文書」とイコールであっても非合理ではない、という論理構成に見える。もちろんこれは両者がイコールだという証明にはなっていない。
大きな穴に目をつぶって県教委の主張に軍配を上げる、それが高松高裁判決の特徴の一つだと言っていい。少々乱暴にいえば、「同様の書類が開示されているのだから控訴人の不利益はない」という理屈。いずれにしろ県教委は目先の裁判には勝ったといえるだろう。しかしその影響はAさんだけにとどまらない。情報公開法や情報公開条例の根幹にかかわるリスクをはらんでいる。
今回の流れを単純に整理すると、公的な節目は➀開示請求した書類(12月文書)が非開示となる➁行政不服審査の申し立て後、翌年10月に開示となる(10月文書)――の二つ。当然ながら開示された「10月文書」は「12月文書」そのものでなければならない。情報開示請求したのは「12月文書」なので、開示されるのは「12月文書」しかありえないのだ。ところが県教委は「12月文書」に手を加えて「3月文書」を作成、それを私文書としてAさんに渡していた。オリジナルにいったん手を加えた以上、その後に出た「10月文書」がオリジナルの「12月文書」に戻っている保証はない。オリジナルの「12月文書」はもう存在しない可能性すらある。
開示請求された文書に手を加えて開示するなんて、情報公開法や情報公開条例は想定していない。情報公開制度は行政をチェックするためのものであり、開示文書に手を加えてチェック逃れをしていたら制度自体が崩壊するからだ。黒塗りはしてもオリジナルの文書に手を加えないのは基本中の基本。今回はそれが破られてしまった可能性を否定できない。問題は改ざんの大小ではない。しかも今回、高松高裁は県教委の対応にいわばお墨付きを与えてしまった。この影響は小さくない。都合の悪い情報が開示請求されたら非開示にし、開示しなければならなくなったら改ざんしてしまえ。裁判になっても負けはしない、が教訓になってしまったら行政のチェックはどうなるのだろう。
納得できないAさんは最高裁に上告すると決めたが、最高裁は一般に憲法判断にかかわる訴えでなければ取り上げない。しかもAさんは一貫して本人訴訟で取り組んでいる。開示文書の改ざん問題以上にAさんが訴えたいのは行政不服審査法に基づく県教委の裁決の違法性(処分庁の担当職員と審査庁の担当職員が同一人物だったことなど)だ。門前払いとなる可能性も考えつつ、Aさんは最高裁の胸に響く文章を練っている。(つづく)

















