高知パルプ生コン事件とは何だったのか⑩連綿と伝わる義民の記憶
1971(昭和46)年6月9日未明、高知市民による実力行使は県民に衝撃を与えた。「生コン事件」「実力行使」というワードは県民の心に深く刻まれることになる。理不尽な目に遭ったとき、「第二の生コン事件」という言葉まで飛び出すほどに。(依光隆明)…
高知パルプ生コン事件とは何だったのか⑧交渉決裂、打つ手なし
1970(昭和45)年8月の台風10号は浦戸湾の西岸埋め立てを頓挫させた。併せて注目されたのが高知市街に流れ込んだ黒い水、高知パルプが流す汚水だった。廃水処理をどうするのか、事件はヤマ場へと近づいていく。(依光隆明)期待を集めた…
高知パルプ生コン事件とは何だったのか⑨廃液がゴーッと噴きあがった
「浦戸湾を守る会」を中心とする高知市民有志と大王製紙の子会社、高知パルプの交渉は決裂した。県市が「打つ手なし」を言ったことを踏まえ、「浦戸湾を守る会」の山崎圭次会長、坂本九郎事務局長は重大な決断に至る。(依光隆明)山崎圭次と坂本…
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大洲市肱川町山鳥坂(やまとさか)。自然豊かな清流、河辺川を包み込むように山鳥坂ダムの工事が進んでいる。これまでに見たように、1982年の発表以来、計画はあぶくのように消滅と復活を繰り返してきた。「利水…























