1954(昭和29)年に高知で生まれ、受け継がれ、形を変えていく「よさこい」。勢い止まらず発展するよさこいの魅力とは。聖地・高知の声を聞く。(立命館大学4年、田中結菜)=インターシップ研修生

高知市の帯屋町商店街。アーケードの中も「よさこい」が前進する
戦後不況からの「前進」を願う
2024(令和6)年8月9日から12日の4日間、高知市で「よさこい祭り」が開催され、その2週間後には私の故郷に近い名古屋を舞台に日本最大級の踊りの祭典「にっぽんど真ん中祭り(通称:どまつり)」が開かれた。「よさこい」の特徴は、聖地・高知を飛び出して全国各地へと広がりを見せていることだ。「どまつり」では、2024年もチーム独自の衣装に身を包んだ踊り子により、伝統的な鳴子踊りから現代的なダンスに分類されるような振付や演劇のような構成の演舞まで、幅広く多様な表現が繰り広げられた。「よさこい」は自由に形を変えながら広まっている。
「鳴子を持つ」、「前進する」、「よさこい鳴子踊りのフレーズを入れる」。この3つこそ、戦後不況からの経済復興を願い、商店街の活性化を目指して始まった「高知よさこい祭り」のルールだ。誕生のころから受け継がれてきたこれらのルールについて、「発祥の地だからこそ先輩方の伝統を大切にしていきたい」と話してくれたのは、よさこい祭りの運営を行っている「よさこい祭振興会」統括の岡林成海さんだ。
岡林さんによると、戦後の不況を吹き飛ばしたいという思いから商店街が主体となってよさこいは発展を見せた。「前進」の要素は、不況に立ち向かうという意味で重視されてきたという。岡林さんが高知よさこいの魅力として挙げた「隊列美の見える『ストリート舞台』」も、商店街が起点という経緯の表れだといえる。
地域にとって重要な文化となったよさこいだが、新型コロナウイルスの感染拡大はよさこいを危機に陥れた。コロナ禍でもどうにか開催したいという思いを持って活動していた岡林さんが気付いたのは、今後の祭りには「変えなければならない部分」と「変えてはならない部分」の両者が存在することだという。
変えてはならない部分とは、チームの顔となる地方(じかた)車を用いることなど、過去の文化やよさこい鳴子踊りの本質を守る要素。変えなければならない部分とは、観客の動線などコロナ禍のような事態でも祭りが存続できるよう工夫するべき点だ。
新たな取り組みとして、2024(令和6)年のよさこい祭りでは演舞や照明に合わせて光る鳴子ペンライトが登場。「一体感があってよかった」という観客のコメントも寄せられた。岡林さんは、「見にきてくれた方との一体感という、その価値観を大事にしたい」と話す。トレンドを取り入れた演出は、コロナ禍を経て気付かされた、人々が集う祭りの尊さから生まれたものだといえる。

はりまや橋商店街に貼られていた「よさこい移住」のポスター
11年前から「移住プロジェクト」
高知市のはりまや橋商店街に目を惹くポスターが掲示されていた。キャッチコピーは、「踊るだけでは済まなくて、住みました」。
ポスターで宣伝される「よさこい移住」は、はりまや町にある「高知よさこい情報交流館」でも紹介されている。よさこい移住とはつまり、よさこい祭りが開催される高知という地や人に惹かれ、「高知市に住みたい」、「高知でよさこいを踊りたい」と、よさこいへの想いをきっかけに移住することを指す。ポスターを制作した高知市役所の政策企画課移住・定住促進室を訪ねた。話してくれたのは岡﨑一樹さんだ。
岡﨑さんによると、移住プロジェクトが始まったのは2014(平成26)年。そのときの対象は高知大学の卒業生だった。高知大学は県外から進学してくる学生が多い。県外出身の学生らがよさこいをきっかけに高知に残って住んでほしい、という発想だ。実際によさこいに心奪われて高知に移り住んだ「高知市よさこい移住応援隊」メンバーによる移住者サポートも、プロジェクトの一環として行われている。
「高知市民同士では日常の会話によさこいが登場する」と岡﨑さんは話してくれた。小学校の授業で踊る機会があったり、祭り期間にはテレビがよさこい一色になったり。よさこいに囲まれた市民生活がよさこいを愛する人々を増やしていくので、まだまだ「よさこい愛」が途絶えることはない。

「よさこいが終わったら高知は終わり」と話す丁野信二さん
よさこいとともに人生歩む
高知の人々にとってよさこいとは何か。よさこい祭り競演場連合会・会長を務める丁野信二さんの答えは、「高知の宝物」だ。「よさこいが終わったら高知は終わり」という言葉には、高知におけるよさこい文化の浸透が感じられる。よさこいチーム「万々歳」の立ち上げにも尽力された丁野さんにお話を伺った。
丁野さんは、経費と人員確保に苦戦しチームの継続ができなくなった時期もあったという。しかし、熱意を持った地域の人々が集結し、現在も高知の人々に親しまれるチームへと復活を遂げた。以前は踊り子として活動していた人がスタッフとして参加することもあるそうだ。
帯屋町一丁目商店街で「ノザキ洋傘店」を営む女性は、20代では踊り子として、70代の現在はよさこい祭りを支えるスタッフとして活動している。祭りへの携わり方を変えながら、50年以上にわたって彼女はよさこいと共に人生を歩んでいる。見る・踊る・支えるというように参加の形は異なっても、地元に根付くよさこい祭りに対する高知の人々の愛着心が消えることはない。
丁野さんは、形が変わりゆくよさこいについて、踊り子にとって重要となる衣装の進化には期待感を見せる。ただし、他のよさこいには存在しない鳴子の音の響きやフレーズの魅力をもつ高知の「よさこい」と呼ぶべき演舞にこそ誇りをもっていた。
祭りに駆けつけてうちわを掲げながら踊り子と一体化して祭りを作り上げる観客の存在や、「万々歳」の活動を支えるために集まった募金の話を語ってくれた丁野さん。彼が誇る高知よさこい祭りは、地域の人々を結び付ける宝物だ。

にっぽんど真ん中祭りで演舞する「京炎そでふれ!おどりっつ」 (2024年8月)
高知よさこい×学生よさこい=共存
伝統的な高知よさこいと、広がりの勢いを見せている学生よさこいの両者に関わりを持つ人物にお話を伺った。大学3年生の寺村碧月さん。彼女は高知出身、現在は関西で学生生活を送っている。
寺村さんが所属しているのは、学生自身で演舞制作・運営を行うよさこいサークル「京炎そでふれ!おどりっつ」。主にステージを使う構成であり、鳴子は持たず、ステージに映える大きな旗や傘といった道具を用いる演舞が特徴的なチームだ。チーム結成20周年の節目だった昨年、名古屋で開催される「どまつり」で優秀賞、大阪の「こいや祭り」で約100チームの頂点に立つ成績を残した。
もともと彼女は高知のよさこいと学生よさこいは別物として捉えていた。小学校の運動会でも踊った高知よさこいとは異なる表現をすることに、最初は抵抗感があったという。「高知よさこいは高知で大人になってからでもできる」という理由から現在のチームへの所属を決めた。学生よさこいを知った彼女のご家族と友人は、否定するのではなく別物として演舞を評価し、「これはこれで良いよね」といった言葉をかけてくれたという。
今後、「高知よさこいも踊りたい」と話す寺村さんは、伝統を重んじる高知よさこいと、新たな表現で全国に広がりを見せる学生よさこいの架け橋となっている。

大阪・こいや祭りの「京炎そでふれ!おどりっつ」 (2023年9月)
「一人ひとりにドラマがある」
よさこい祭りを「高知全体」で盛り上げよう!という趣旨で企画された「みんなでよさこいプロジェクト(通称:みんよさ)」では、その場にいる全員が踊りを楽しむ「総踊り」が披露された。泉創太さんは、このプロジェクトの実行委員会における代表、そして高知よさこいの代表的チーム、「ほにや」の代表を務める。
「みんよさ」が企画された経緯として、観光資源となりつつあるよさこいが賞レースのためのものであってはいけない、人々がつながりを持てる機会を作るものにしたい、よさこいを未来につないでいきたい、という想いがあったと泉さんは教えてくれた。
「高知よさこいは観客との距離が近く、踊りの経験が浅い人でも輝けるところが魅力」と語った彼に、「ダンスのような、高知流から形を変えて広まっているよさこいをどう思うか」と尋ねてみた。彼は、よさこいに関わる人には「一人ひとりにドラマがある」。そして、「よさこいは高知だけのものではない」からこそ、多様なよさこいを簡単には否定できないという答えを返してくれた。
よさこい歴や伝統にとらわれないさまざまな形のよさこいがもつ価値を認め、各チームが熱い思いで生み出す表現を肯定する彼の言葉は、新たな表現を模索しながら制作や練習を重ねるチームや踊り子たちにとって大きなエールとなるに違いない。
2025(令和7)年も8月9日から12日にかけて高知よさこい祭りが開催される。また、大阪・関西万博でもよさこいの魅力が国内外へ発信されることが予定されている。
高知で誕生し、勢い止まらず発展するよさこい。よさこいへの情熱と愛にあふれた人々の手により、伝統の継承と進化の要素をまとってさらなる発展を続けている。