教育

ほん。サッカー選手のネクストキャリアを考えてみた

2024年12月8日、サッカーJFLの高知ユナイテッドSCが高知県勢初のJリーグ(J3)入りを決めた。県内のあちこちで喜びが爆発しているが、その傍らで来季に向けて選手の入れ替えが行われるという現実もある。仮にサッカーから離れたとき、選手はどういう人生を進むのか。そこにスポットを当てた単行本が11月17日に上梓された。その名もずばり『サッカーで、生きていけるか』。(依光隆明)

日本のサッカー選手のピラミッド=『サッカーで、生きていけるか』より

「18年間を費やした意味は?」

JFL(Japan Football League)はアマチュアの最高峰で、観客動員などいくつかの条件を満たせばJリーグ(Japan Professional Football League)が門戸を開いてくれる。その門戸を通過できるかどうかはJFLでの成績次第。今期、高知ユナイテッドSCはJFLのリーグ戦で2位に入り、J3下位チームとの入れ替え戦に勝利してJ3入りを決めた。Jリーグチームがないのは全国で7県だったが、高知ユナイテッドのJ3入りに伴って不在県は6県となる。

『サッカーで、生きていけるか』の著者は元JFLのプロサッカー選手だった阿部博一さんとノンフィクションライターの小野ヒデコさん。阿部さんは東京都出身で、札幌市の道都大(現星槎道都大)を経てJFLのV.ファーレン長崎に加入。3シーズン所属し、最終シーズンはプロ契約を結んで戦った。25歳で契約解除となったときの契約書の文言が本の冒頭に刻まれている。

「給料0円。貴殿とは契約を更新しません」

阿部さんはこう自問自答した。「7歳から25歳まで18年間を費やした意味はあったのか?」「プロサッカー選手を志して自分が得たもの、失ったものは何か?」「今から社会人になってやっていけるのか?」。次のキャリアを模索して「何度も迷走し、自身の人生について考える日々でした」とも書いている。阿部さんはアメリカの大学院に留学する選択をし、帰国後に29歳で三菱総合研究所に採用された。2年後、アジアサッカー連盟に転職し、現在はマレーシアのクアラルンプールに住んでいる。つまりネクストキャリアでは成功組の一人なのだが、本の中でこう明かしている。「サッカー選手をクビになってアメリカに留学するまでの期間は、アルバイトをしながら空き時間は図書館で勉強する、という生活をしていました。自分と同じ年くらいの社会人を見るたびに『俺、大丈夫か?』と不安になりました。彼らの人生の時計の針はきちんと進んでいて、自分のは進んでいない――そんな感覚です」。そのような体験をしたからこそ、阿部さんは考え始めた。「サッカー選手が現役引退後どう生きていくのか?」と。

阿部博一さん

当事者に向かって書く

本の軸を構成するのは阿部さんの分析だ。自身の体験をもとに、豊富なデータを使いながらサッカー選手のネクストキャリアについて考えていく。2023年のJリーグチーム数は60チーム。登録選手数は1858人。1993年の開幕時は300人だったから選手数は6倍に増えている。「より多くの選手がプロを目指せる時代が到来した」と書きながら、こうも指摘する。「長く見積もっても、職業としてのプロサッカー選手は15年程度しか続けられないことがほとんどです。特に中層~下層リーグの選手は安定的な職業というよりは、数年間の稀有な経験と捉えたほうが現実的です」。阿部さんが所属するチームも中層だったが、サッカーを終えたあとのことはみんな「考えているようで考えていなかった」とも。

阿部さんの分析は「どのルートからプロを目指すか」「プロサッカー選手の理想と現実」「引退後はどんなキャリアが広がっているか」と進む。高卒からプロになるよりも大学を出てからプロになる選手の数が優勢となりつつあること、しかしエリート選手育成の主流は高卒プロ、などと分析し、「高卒でプロになるならネクストキャリアは考えておくべきだ」と説く。「近年では、プロとしての生活を続けながら大学に通って学位を取るという選択肢も出てきています。これは『デュアルキャリア』と呼ばれ、ヨーロッパでは広く普及している考え方です」と説明し、「日本では大卒の学位を持っていなくても大学院に入学することができます」とも。阿部さんの場合、大学に入ったあとに「サッカー以外で何かひとつ武器を身につけよう」と考えた。それが英語であり、英語を学び続けたことがネクストキャリア構築の武器になった。

この本の大きな特徴は、サッカーに打ち込んでいる当事者に向かって書いていることだ。サッカー選手を辞めたあと、進学する場合、大企業に就職する場合、中小企業に就職する場合、教職員になる場合、起業する場合など、ネクストキャリアの道筋を具体的に紹介し、評価・分析をしている。さらにはJリーグがキャリアデザインという方向で若い選手をサポートしようとしていることを紹介している。

ネクストキャリアマップ=『サッカーで、生きていけるか』より

打ち込んだからこそ開けることも

小野ヒデコさんは、現・元選手ら男女6人へのインタビューを担当したほか、女子選手のネクストキャリアについて分析している。女子のネクストキャリアは女子選手多数への取材で構成しており、社会活動を今後のキャリアに生かす試みなどを紹介。出産後に復帰した岩清水梓選手、宮本ともみ選手の話として「出産後の復帰は一筋縄ではいかない」ことも紹介している。男子選手へのインタビューでは、ヴィッセル神戸など複数のJ1チームで活躍、現在はJFLのチームでサッカーを続ける奥井諒選手がプロサッカー選手の労働組合「日本プロサッカー選手会」によるキャリア支援を受けて海外の大学院への進学を考えていることを紹介する。J2水戸ホーリーホックを振り出しにJFLチームやラトビア1部リーグチームなどを渡り歩いた星野圭佑さんは、年棒について詳しく話をしてくれた。星野さんによると、水戸に入った初年度の年棒は「0円」。それでも衣食住は保証されたし、勝利給や出場給があったのでなんとか生活はできた。2年目の契約は年棒216万円、けがをした3年目は180万円。JFLに移ったあとは土木関係の仕事をして生計を立てていた。インタビューではそれらのことを淡々と、具体的に書き込んでいる。

年棒が億を超える選手もいる一方で生活費を稼ぎながらサッカーを続ける選手もいる――当たり前のそんな現実を、『サッカーで、生きていけるか』は実例を挙げながら教えてくれる。ネクストキャリアにしても努力なしではつかめないし、努力すればつかめるという保証もない。つまりサッカー一筋で頑張ったあとに安楽な人生が転がり込んでくるわけではない。だからといってこの本はサッカー一筋の道をネガティブには捉えない。経営学やマネジメント、心理学などさまざまなアプローチで阿部さんはプロサッカー選手という存在を分析していく。例えばGRIT(度胸、復元性、自発性、執念)というコンセプトだ。GRITの高い人材こそ企業側が求めている人材であることを指摘し、「プロサッカーという環境の方が圧倒的にGRIT条件が満たされやすい」と書く。サッカーをすることでGRITが高まり、GRITが高ければネクストキャリアが開ける可能性が高い、という図式だ。さらにもう一つ、「プロサッカー選手になることで、その地域のソーシャル・キャピタル(社会関係資本)にアクセスできるようになるのは大きなメリット」とも。

『サッカーで、生きていけるか』の裏表紙(帯)

これはサッカーに限らない

各章の末尾には現役選手対象の「キャリアを考えるチェックシート」も載っている。〈自分からサッカーを「引き算」したときに、人としての強み・スキルはどんなものがあるか?サッカーがない自分は、学校や社会でどんな存在か?〉〈周りにキャリアに関して話ができる相談相手はいるか?〉〈次の職につながる可能性があるコネクションは何か?〉〈ホームタウン活動に積極的に参加し、地域の人々とのつながりを大切にしているか?〉などなど、設問に答えながら内省することでネクストキャリアへのアプローチを具体的に、自分ごとにしてもらおうという発想だ。

阿部さんは「自分はサッカーしかしてこなかったので」と口にする選手がたくさんいることを、「サッカーという社会が、一般的な社会と異なると自覚しているから」と指摘。「指導者をはじめとする『選手の周りの人たちの自覚』も、特に育成年代の選手がキャリア観を育むためには欠かせない」と書き添えている。当然ながら、このことはサッカーに限らない。サッカー選手に的を絞った本でありながら、この本はスポーツ全般に普遍化できる問題をえぐっている。スポーツ選手を目指す人、保護者、スポーツ選手、指導者それぞれが手元に置いておくべき本かもしれない。

小野ヒデコさん

今を生きるために未来を考える

阿部さんと小野さんがNews Kochiにメッセージを寄せてくれた。

高知ユナイテッドSCのJ3入りについて、阿部さんは「高知ユナイテッドSCの皆さま、J3昇格本当におめでとうございます!」と祝福する。続けて、「これから高知でプレーする選手たちが、納得のいくキャリアを歩めるように本書の内容が少しでもお役に立てばうれしいです。目の前のサッカーに集中するためにこそ、未来について考えよう」。

小野さんは「(神奈川の)出身高校では修学旅行の代わりに国内4地域から訪れる場所を選び、その土地について学びながら旅をする『フィールドワーク』という行事がありました。その中で私が選んだのが、四万十川でした」と前置き。「『日本最後の清流』と呼ばれる四万十川に行ってみたく、国内における水質問題や環境課題を調べ、高知県を訪問しました。東京育ち、横浜生まれの人間からすると、高知の自然の雄大さや人の温かさは20年以上経った今も印象深く残っています。そんな思い出深い高知のメディアに、本著の紹介をしていただき大変ありがたく思います。高知ユナイテッドSC、高知ユナイテッドSCレディースをはじめとするサッカー選手の皆さんの中には『どうしたらプロ選手になれるか』『いつまでサッカーを続けるか』『サッカーと仕事の両立をどうするか』などの課題感を持っている方もいると思います。それらを考える上で、この本が何かしらヒントになったら幸いです。そして、お子さんの『サッカーが好き』の気持ちを応援する保護者や先生、監督の皆様にもぜひ手に取っていただけたらうれしく思います」

英治出版刊。税込み2420円。

(C)News Kochi(ニュース高知)

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