吐く息まで凍りそうな厳冬の朝、長野県の諏訪湖に轟音を伴って「御神渡り」が出現する。湖面を覆う氷が寒暖差で縮小・膨張し、割れて山脈状にせり上がるのだ。何百年も前から諏訪の人たちは氷の山脈を神の渡る道として崇めてきた。毎年、正月が明けると地元では御神渡りの出現に向けた観察が始まる。2025(令和7)年も「小寒」の1月5日から観察が始まった。(依光隆明)

宮司と総代の観察風景。夜明け前、定点に出てデータを取る=2025年1月11日、諏訪湖。小松香緒里さん撮影
「風吹き出でて砕けける」
毎朝午前6時半、諏訪市中心部にある八剱神社の宮坂清宮司と総代たちが諏訪湖畔に集合する。見守るかのようにギャラリーもやってくる。諏訪市民はもちろん、峠を越えた隣町からやってきてみんなにコーヒーをふるまう女性もいるし、仕事休みに東京から来る女性もいる。総代のほとんどは男性だが、ギャラリーの多くは女性が占めている。ギャラリーが増えたのはコロナ禍の2022年ごろからだ。身を切る寒さと広い湖面が結氷する美しさ、昇る朝日の神々しさに魅せられて観光客もホテルの車で見学に来るようになった。
ギャラリーに見守られながら、宮司と総代が湖面の水温と水面下1㍍の水温を測る。氷が張っていたら氷を割って厚さを測り、中に気泡があるかどうかをチェック。観測が終わると地元のテレビと新聞が宮司と総代を囲んで取材する。マイクを向ける記者とギャラリーに向かって宮坂宮司が気温や水温を報告、見出しになりそうな話をひとこと添える。たとえば1月21日はこんな調子。
「1月21日気温は1.5度、水温はプラス3度。天候は曇りで今ちょうど霧雨のようなものが舞ったり降ったりする、そんな感じです。風速は4㍍。昨日に続いて氷は全くありません。大寒の諏訪湖とは見えないようなきょうの状態でした。言葉に詰まるほど表現のしようのない大寒2日目です」。こう前振りしたあと、唐突に明治大正時代の歌人、島木赤彦の短歌を紹介した。島木は諏訪の出身で、眼下に諏訪湖を望む高台に今も旧宅が残っている。「島木赤彦、『湖(うみ)の上(へ)に朝(あした)ありける薄氷』。『うみ』は湖です、『へ』は上ですね。あしたは朝のことです。昔は朝のことを『あした』と言いました。それに対して夕べ、『風吹き出でて砕けけるかな』。ちょうど今の状況を言っているような感じです。薄氷があったけれども風が吹いてきたら砕けてなくなってしまった。大寒の中で、なんかぴったりする歌かなと思って一生懸命調べてメモしてきました」
終了はいつも午前7時ごろ。ちょうど八ヶ岳連峰から朝日が顔を見せる。みんなで太陽に手を合わせ、三々五々家路につく。観察は御神渡りが出現するまで続き、出現しないときは2月の立春(ことしは3日)を区切りに観察を縮小する。

水温や氷の状況を報告する宮坂清宮司(中央右)と総代たち=2025年1月11日、諏訪湖。小松香緒里さん撮影
観察するべき氷がない
近年の特徴は、なかなか氷が張ってくれないことだ。御神渡りが出現する前提として欠かせないのが諏訪湖の全面結氷。夜間に収縮した氷が日中に膨張しようとする。ところが湖面全体が結氷しているため、氷の膨張先はない。膨張が極限を超えると湖面が割れ、山脈状にそそり立つ――という理屈らしい。つまり諏訪湖が全面結氷したあと、条件がそろえば御神渡りが出現する。
結氷は湖岸から進み、氷が厚くなるにつれ湖面を覆う氷の面積が広がっていく。観察の大きな目的は、湖岸近くの氷をチェックすること。当然ながら、岸辺にすら氷がなかったら観察にならない。
1月22日の宮坂宮司は嘆きを込めてこう述べた。「1月22日、快晴の冬の朝を迎えました。気温はマイナス5.0度。久々のマイナス5度台です。水温が3.7度。天候は快晴。風速は2メートル。きのうおとといとプラスの気温でしたので、いきなりマイナス5度になっても湖は正直ですので。氷が張っているかというと、決してそうではなくて、辛うじて湖岸の沖合1メートルの氷の厚さ1ミリ。大寒の季節なのにそんな状況です。まあ、ほんとに波とカモを見るばかりで何も言うことはないんですけど」。氷を観察したいのに氷がない。記者とギャラリーにその切なさをこぼしながら、こう続けた。「朝来ると快晴でしたから八ヶ岳の稜線が非常にきれいに見えました。暁が濃い赤紫でしたが、10分くらいの経過の中でそれがオレンジ色になり、今はほんとに淡いピンク。やがて日が出てくるともう普通の空の状況になってくるんですけど、(そのような光景を見ることができて)まあそういう意味では自然からご褒美もらったかなあと、そんなふうに思います」

1913(大正2)年に出現した諏訪湖の御神渡り現象。かつては人の背丈ほども氷がそそり立った=八剱神社の資料から
最古の記録は628年前
御神渡りができるときに轟音が鳴り響いたことは過去の記録に載っている。実は近年、そのような音は全く聞こえない。それだけ氷が薄くなっているということだ。戦前は結氷した諏訪湖に飛行機が離着陸したことも、戦車が走ったこともあった。戦後も近隣の小学校は諏訪湖でスケートの授業をした。それだけ分厚い氷が張っていた。氷が分厚ければ分厚いほど、割れてせり上がる瞬間の音も大きい。
八剱神社には1443(嘉吉3)年からの御神渡りの記録がある。御神渡りができる前提は湖面の全面結氷だから、冬の冷え込み具合を記した記録にもなっている。1443年から数えると、2025年は583年目。諏訪の人たちは営々とそれを記録し続けてきた。環境にまつわるそれほど長期間の記録は世界にもない。
1月23日、宮坂宮司は「辛うじて氷があるかな、そんな感じ」と報告したあとこう述べた。「湖が全面結氷するって、自然は偉大だなってつくづく感じます。先人の人たちが御神渡りの記録を残してくれたのがありまして、応永4年1397年、守矢文書(諏訪大社の神長官を務めてきた守矢家に伝わる文書)が一点あります。それから50年たった嘉吉3年の1443年から1681年まで諏訪の大祝(おおほうり)家というところに室町幕府へ報告したその控え書きがずっと残っています。1683年からは八剱神社に引き継がれていますので、連続の記録は583年にわたりますが、既にそれより50年前から文書があるということで、人々の関心の深さを感じます」

2018年2月5日に行われた御神渡りの拝観式=諏訪湖
91・8%から23・7%へ
八剱神社は御神渡りが出現しなかった年を「明けの海」と表現する。記録によると、1986(昭和61)年までの534年間で御神渡りが出現しなかった「明けの海」は44回(欠落を含む)。91.8%の確率で御神渡りが出現している。つまり御神渡りは出現するのが当たり前で、「明けの海」の方が異例だった。特に戦争が終わる1945(昭和20)年まではその傾向が顕著だった。統計上の転機は1987(昭和62)年だ。この年から4年連続で「明けの海」が続き、5年目の1991(平成3)年に出現したあと6年連続で「明けの海」となる。1987年から2024(令和6)年までの38年で御神渡りが出現したのは9回で、出現確率は23.7%に落ちた。最後に御神渡りが出現したのは2018(平成30)年。2024年からは全面結氷すら見られていない。
「3年前(2023年)に全面結氷しましたが、でも本当の全面結氷とはいえませんでした。氷が薄くて、すぐに湖面が空きましたから」。1月22日の観察から帰ったあと、宮坂宮司はそう振り返った。「ことしは沖合700メートルまで薄氷が張ったのが1日あっただけ。ことしの冬は快晴が多く、諏訪の冬らしいすきっとした日が続いています。ところが湖はなかなか応えてくれない。(立春までの)あと2週間でどうなるか…」

「御神渡り」に育つかどうか、期待を込めながら湖面の氷をチェックする宮坂清宮司=2018年1月31日、諏訪湖
「気候変動を象徴する湖」
御神渡りが見られなくなったことを地球温暖化と結びつける人も少なくない。1443年からの記録を見ると、500年にわたって冬が来るたびに諏訪湖が分厚い氷で覆われていたことが分かる。ところが1900年代の半ばからその様相が変化し、平成から令和にかけては御神渡りの出現が稀になる。582年前から冬の諏訪湖を観察し続けているからこそ、御神渡りを崇めているからこそ、諏訪の人たちは気候変動の懸念を体で感じている。諏訪湖が結氷しなくなったことを説明したあと、宮坂宮司がぽつり。「長い目で見れば、諏訪湖は気候変動を象徴するような湖です」
2018年に出現した御神渡りは、「ことしも無理だろう」とあきらめムードが漂ったあと、2月に入って慌ただしく出現した。このときは全面結氷から御神渡り出現までが早く、出現直後に降った雪のために御神渡りの「山脈」が小さくなる(雪に覆われ、その温かさで氷の山が小さくなった)という経緯をたどった。ことしはどうなるか、諏訪の人たちは諏訪湖の湖面にじっと目を注いでいる。

結氷した湖面に出て氷の状態を調べる宮司と総代。この3日後に御神渡りができた=2018年1月30日、諏訪湖