政治

沖縄タイムス阿部岳さんを招き 6月28日高知市で「沖縄と私たち」

沖縄タイムスの記者、阿部岳(あべ・たかし)さんを招いた講演会「沖縄と私たち」が6月28日午後2時から高知市の自由民権記念館ホールで開かれる。入場無料。阿部さんは「日本人として沖縄にどう向き合うべきなのか、高知のみなさまと一緒に考えられたら」と呼び掛けている。(依光隆明)

『フェンスとバリケード』。2022年3月、朝日新聞出版刊

ヘイトスピーチと対峙する

阿部さんは1974年東京都の生まれ。上智大学を卒業後、97年沖縄県の地方紙沖縄タイムスに入社した。米軍基地をめぐる取材は質量ともに豊かで、著書に『ルポ沖縄 国家の暴力』、共著に『沖縄・基地白書』などがある。取材の軸は基地問題だが、近年はレイシスト(人種差別主義者)との対峙も意識的に行っている。

同年齢の朝日新聞記者兼ルポライター・三浦英之氏との共著、『フェンスとバリケード 福島と沖縄 抵抗するジャーナリズムの現場から』にはヘイトスピーチ(特定集団に対する憎悪や差別を煽る表現)と対峙し始めたころの話が載っている。

〈男は、口元に歪んだ笑みを浮かべて言った。「シナ人には不安になってもらいたい。歓迎していないことを分かってほしい」。2019年10月、那覇市役所前。この場を毎週占拠し、ヘイトスピーチ街宣を繰り返してきたレイシストと、私は向き合っていた。1時間半に及ぶ問答はしかし、ほとんど何も生まなかった〉

阿部さんはこの男のヘイト街宣に関する記事を沖縄タイムスに載せた。読者から「やっと書いてくれた」という反応が届いたが、市役所前のヘイト街宣が始まってからすでに5年がたっていた。

2016年にはヘイトスピーチ解消法が施行されたが、罰則がないこともあってヘイトスピーチはなくならない=法務省のホームページから

部落問題と同じ構図がそこにある

『フェンスとバリケード』にはこの男が千葉県出身で、朝鮮半島の人々を「大日本帝国の朝鮮統治がなければいまだにハングルを書けもしないし読めもしなかった」と侮辱、沖縄の人々には「琉球処分がなければ県庁や市役所の職員も日本語すら書けなかった。琉球処分、あって良かったじゃないですか、感謝しなきゃいけませんよ」と冒涜したことを載せた。自省も込めながらこう書く。

〈ヘイトスピーチの刃を突き立てられた人は、聞いて「それっきり」にはできない。一方、私は外国人ではなく日本人で、女性ではなく男性で、沖縄出身でなく東京出身である。日本社会にいる限り、ほぼ全ての点で力が強いマジョリティーの側にいる。ヘイトスピーチを聞いても傷つかず、「それっきり」にできる特権に安住していた〉

この図式は高知県にも根強く残る部落差別の構図と一緒だ。部落出身者にとっては自殺まで考えてしまうほどひどいヘイトスピーチであっても(ヘイトスピーチには陰口も、ネットの書き込みも含まれる)、部落出身でない者は全く傷つくことがない。だからといってその問題から目をそむければ加害者となる危険性があることに阿部さんは気がついた。ヘイトにNo‼の態度を示さなければ認めることになる、認めるということはヘイト側に立つことを意味するのだ、と。阿部さんはヘイトスピーチと対峙する側に立つことを選んだ。ネット上の匿名連中から悪罵を投げつけられることも多いが、揺らいでいない。自身の生き方として、差別される側に身を置こうと努めている。阿部さんはこう続けている。

〈ヘイトスピーチは民族や性的志向など、変えられない、あるいは変えるのが難しいマイノリティーの属性を理由に差別と排除をあおる言動を指す。ヘイトスピーチがまかり通る社会では、差別に基づく犯罪(ヘイトクライム)がまかりとおる。やがてナチスのホロコーストのような民族の抹殺(ジェノサイド)に行き着く。社会そのものを破壊する。ヘイトスピーチの害悪は本土では当時すでに大きな問題になっていたのに、私はそのことも全く理解していなかった〉

阿部岳さん

基地問題の根っこに沖縄差別

阿部さんは〈振り返ると、私の対峙の仕方はつくづく甘かった〉と次のようなことも書いている。

〈2013年1月、米軍輸送機オスプレイの配備に反対して沖縄の全市町村長、議会議長が上京し、銀座で「パレード」をした。この時、旭日旗を掲げた沿道のレイシストの一群から「売国奴」「中国に帰れ」と罵声が飛んだ。手には「死ね」「抹殺」というプラカードがあった。行進していたのは保守から革新まで、沖縄のあらゆる層の代表である。罵倒は政治的主張ではなく、沖縄の人間だという一点に向けられていた。差別の歴史は一世紀をゆうに超える。独立国だった琉球王国は1879年、武力を背景にした明治政府に併合され、沖縄県にされた。1903年、大阪で開かれた内国勧業博覧会の民間パビリオン「学術人類館」では「7種の土人」としてアイヌや朝鮮人とともに沖縄の人々が「展示」された。太平洋戦争末期には「捨て石」にされ、戦後は米軍の占領下に切り捨てられた。2013年の銀座の街角で、沖縄へのヘイトスピーチははっきり可視化された。その歴史的な節目に居合わせた私が、何をしたか。差別主義者が掲げたくだらないプラカードをスムーズに撮影しようと、「感じよく」声をかけ、「もうちょっとこちらに見えるように」などと依頼した。ヘイトスピーチに対して何の抗議もしなかった。記事でも「日の丸を掲げた一団が参加者を『売国奴』とののしる場面もあった」と書くにとどめた。いや正確に言うと、書く言葉と覚悟を持ち合わせず、紋切り型の表現に逃げ込んでいた〉

本土から沖縄に行った集団が、米軍基地に反対する沖縄の人たちに「クソ土人を排除しろ」「土人には日本語が分からない」と「土人」という差別用語を突きつけたことも阿部さんは紹介している。部落差別と通底する根強い沖縄差別が基地問題の根っこに存在することを、阿部さんは日本の国民に知らせている。

6月28日の講演ちらし

「私たち」として沖縄を考える

今回の講演は「平和な未来を考える高知の会」「日中友好協会高知支部」「高知憲法アクション」の共催。副題を「沖縄戦から『最前線化』まで」とし、沖縄の現状を中心に報告してもらう。

講演に当たり、阿部さんは〈日本は台湾有事を見据え、沖縄を再び「前線」にしようとしています。全国の7割を占める米軍基地はそのままに、自衛隊の増強が急速に進んでいます。太平洋戦争末期、日本は沖縄を本土防衛の「捨て石」とし、戦後は米軍占領下に切り捨てました。また、犠牲を強いるのでしょうか〉と前置きし、〈高知でも、事態は連動しているようです。政府は高知港、須崎港、宿毛湾港を『特定利用港湾』に指定しました。平時から自衛隊や海上保安庁の利用がスムーズになります。3港の指定も台湾有事をにらんでいることは明らかですが、軍民が混在すれば交戦国から攻撃される恐れが高まります〉と説明する。その上で、高知の人たちに向けて以下のように呼び掛けている。

〈今回の講演のタイトルは、主催者と相談して「沖縄と私たち~沖縄戦から『再前線化』まで~」としていただきました。もちろん、「私たち」には東京から沖縄に来て新聞記者をしている私自身も含みます。日本人として沖縄にどう向き合うべきなのか、高知のみなさまと一緒に考えられたら、と願っています〉

問い合わせや連絡は「平和な未来を考える高知の会」の田村さん(0889-22-9564)へ。

(C)News Kochi(ニュース高知)

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