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なぜ学校で…。高知市立小プール死をめぐる疑問⑦水位をめぐる謎

2024年7月5日、高知市立南海中のプールで長浜小4年生の水泳授業が行われた。4年生は午前9時40分ごろに長浜小を出発し、男子児童1人が亡くなる事故が起きたのは10時50分ごろだとみられている。高知市教育委員会作成の資料(「事故の経緯」)に従って経過をたどる。(依光隆明)

市教委の資料から。当日の状況

児童36人、教員3人で南海中へ

長浜小4年生にとって7月5日は南海中のプールを使った3回目の水泳授業だった。参加した児童は36人。長浜小のA教諭とB教諭が指導し、監視役は同小の教頭が務めた。午前9時40分ごろ長浜小を出発し、5分後に南海中へ着いた。それだけ両校は近接している。着替えを行い、プールサイドに出たのは午前10時10分ごろ。体操、シャワー、水慣れ、全体指導と進んだ。A教諭は水深が浅くなっていることに気づいた。4年生が水泳授業をしたとき、南海中のプールは1回目、2回目とも満水位だった。3回目のこの日は10センチほど低くなっていると感じた。

ここで水深問題に触れておこう。

事故のあと、市教委は南海中プールの水深を測っている。それによると最も浅い所で114センチ、最深部が132.5センチ。南海中プールの満水位は浅い所で120センチ、最深部140センチなので、満水位より7センチほど下がっていたことになる。亡くなった児童の身長は113.8センチだから、最も浅い所でも頭のてっぺんまで水面下に沈んでしまう深さだ。

事故を振り返るとき、水深をめぐる謎を避けては通れない。そもそも南海中での水泳授業に市教委がゴーサインを出す鍵は「水深報告」だった。6月5日に長浜小校長が報告した南海中プールの水深は、「長浜小と変わらない」。報告を受けたあと、市教委は南海中プールの使用にゴーサインを出している。このときの実測値は最も浅い所が100センチ、最深部が120センチだった。満水位よりも20センチ低かったはずの水位は、なぜか水泳授業時には上がっていた。4年生の1回目(6月21日)と2回目(6月28日)の授業は満水位(120~140センチ)であり、3回目はそれより7センチほど低いだけだった。

ともにグラウンドとプールを持つ高知市立長浜小学校(左)と高知市立南海中学校。児童の足で歩いて5分の距離にある(Google Earthより)

当然のように追加給水

プールの水がなぜこのように変動するのか、というのはプールの管理者なら熟知しているはずだ。雨が降れば水位は上がるし、水位が下がったら追加給水しなければいけない。水質を保つため、給水によるオーバーフローで虫やごみを排出する作業も必要になる。市教委の資料によると、南海中は5月30日、31日に本給水を行い、長浜小の一行が水位を測ったあとの6月12日、13日と17日(または18日)に追加給水をしていた。6月24日以降の週にも追加給水する予定だったが、雨天による水位上昇のため行われていない。要するに、6月5日に満水位より水位が20センチ下だったとしても、水泳授業時に水位が同じであるはずがないのである。ところが長浜小の校長は「水を浅く張っているため長浜小のプールの深さとあまり変わりません」と保護者を安心させる文書を出し、市教委は長浜小の「水深報告」を受けて南海中プールの使用にゴーサインを出した。給水の可能性を知っていたら南海中に連絡してそのことを聞いているはずだが、長浜小も市教委もそれをした形跡はない。

長浜小の校長は「高知市立学校の今後のプールの在り方に関する検討委員会」の委員だった。長浜小のプール故障後、継続して同小校長と連絡を取っていた市教委学校環境整備課は検討委員会の事務局を務めていた。高知市教育長の松下整氏は中学校の校長から教育長になった人物で、学校現場では保健体育が専門だった。当然、3者ともプールは熟知している。プールの水位が変動することを十二分に認識しているはずの指導者たちがこのような勘違い、錯覚、ミスをしたことが今回の事故の最大級の謎と言っていい。

事故後、県教委が行った調査への高知市立小学校の回答。全41校が「特に泳げない児童に対しては、教員が目を離さない」を挙げている。バディシステムは2人1組で互いの安全を確かめる方法

プールに入る前、「怖い」

7月5日に話を戻す。

水慣れの前、長浜小教頭は亡くなった児童がプールサイドで「怖い」と言っているのを聞いた。そのあと、資料には以下の記述がある。

〈教諭Aと長浜小教頭は、全体指導の際に、被害児童が最も浅い所から5番目あたりにいるのに気づき、南東端の浅い所に移動させた〉

全体指導の内容は分からないが、水慣れのあとなのでプールの中にいたのだろう。〈浅い所から5番目〉という表現もよく分からない。水深の深い所寄りにいたため浅い所に移るように指導したのだと考えられる。

続いて資料はこう書く。

〈教諭Aが被害児童を認識したのは、この全体指導の活動時が最後で、長浜小教頭は全体指導の後、プールサイドで見たのが最後であった〉

全体活動が終わったのは10時40分の何分か前だと思われる。教頭とA教諭が亡くなった児童を見たのは、このときが最後だった。

今回の事故後、高知県教育委員会は教育長名で小学校における水泳事故の防止を呼び掛ける文書を出した(高保体第352号)。それに基づく調査書に高知市の各小学校が答えているのだが、その中に「泳ぎの苦手な児童への対応」という項目がある。全41校がそろって挙げたのは、「特に泳げない児童に対しては、教員が目を離さない体制を講じながら授業を行っている」。長浜小を含めて全41校がこのような運用をしていると答えたのだが、今回の事故で「目を離さない体制」ができていたとは言い難い。教頭は亡くなった児童が「怖い」と話すのを聞いているし、A教諭はその児童が1回目の授業で溺れかけたことを知っている。最も浅い所でも頭のてっぺんまで沈むようなプールで泳がせながら、3人のうち2人の教員がその児童から目を離す。なぜそうなったのか、謎としか言いようがない。

10時40分。休憩が終わり、授業が再開された。(続く)

(C)News Kochi(ニュース高知)

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