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龍馬記念館のカリスマ、最期のカウントダウン⑧唐突だった退任通告

高知県立坂本龍馬記念館の名物館長だった森健志郎さん(1941~2015)が亡くなってもう9年になる。学芸員や学芸課長として森さんを支えた前田由紀枝さんは、森さんの最期の日々が強く脳裏に焼き付いている。(依光隆明)=本文は敬称略

森健志郎さん

「この3月で辞めてくれと言われた」

2015(平成27)年1月16日だった。

翌日からは「“龍馬”を生きた4代目 坂本直道」展が行われることになっていた。

担当学芸員の前田は忙しく準備を進めていた。森が館長に就いて間もなく、龍馬記念館は入館料を360円から500円に上げていた。本来360円は常設展のみの入館料で、500円は企画展込みの料金。森は切れ目なく企画展をやるという荒業で入館料を500円にアップさせた。しかも休館日もなくしたので、展示の入れ替えは夜中にやらざるを得ない。当然、学芸員を始めとする職員の負担は増す。それを森は実行した。

「1月16日の午前11時くらいやった。森が文化財団から戻ってきて、なんか不自然にニコニコしながら『お茶でも行かんかや』と。なんかまた怒られるがやろうかと付いて行ったら、『この3月で辞めてくれと言われた。まだ家族にも言うてない』と」

前田は驚いた。形式的には森は県文化財団から1年任期で雇用されている。「今期で終わり」と言われればそれまでなのだが、森の仕事は森にしかできない。しかもこの年の11月15日は龍馬の生誕180年という節目に当たっていた。加えてその日は日曜日。節目の日曜日をにらみ、森はさまざまなイベントを仕掛けようとしていた。その森を、わずかあと1カ月半で辞めさせてしまうとは。

「いろんな企画を準備しよったがよ。それに向けた助走が始まっちょったがよ。けんど私、県のことも財団のことも知らんし、ここは何も言えんと思うて」

そのときは森の話に耳を傾けるだけにした。動いたのは翌日からである。

「森と仲がよかったき、まず寅さんに電話した。『どうしてもあと1年はおってもらわんといかん』と。寅さんの返事は『わしゃあもう力がない』やった」

寅さんというのは県議会議員を11期務めた自民党の長老、西岡寅八郎のことである。歴代知事と独自のパイプを持ち、表よりも裏で動くタイプの議員だった。互いに酒を飲まないためか、裏でうごめく人たちを拒絶しないところが似ていたためか、森とは波長が合った。実は龍馬記念館の館長候補として最初に森の名を挙げたのは西岡である。県の幹部には思い切り苦い顔をされたが、知事の橋本大二郎が賛意を示して実現した。その橋本は2007(平成19)年に任期満了で知事を退任。西岡も2013(平成25)年11月に不祥事の責任を取った形で県議を辞任していた。県議を辞めてしまったら影響力はない。

「室戸の金剛頂寺住職の坂井智宏さんとも森は仲が良かったき、次に智宏さんへ電話した。そしたら『森ちゃんは敵が多いきね、ハハハ』って笑われて」

誰に頼ったらいいか、困った前田は現職の県議会議員2人に次々と会って頼む。

「『相談がある、どうしても森をもう1年おいてもらわんといかん』と頼んだけんど…。ぜんぜん話にならんかった。もうあきらめた」

高知市桂浜の坂本龍馬像

知事が「話しましょう」

あきらめたと言いながら、前田はあきらめなかった。

「知事に手紙を出した。知事公邸に、速達で。そしたら知事本人から電話がかかってきた。『話しましょう』と」

橋本大二郎の後任は財務官僚から転じた尾﨑正直だった。

尾﨑とのやり取りの内容は前田と知事だけの秘密になっている。正確には前田が「他言しない」と尾﨑に約束した。

その後の前田の動きだけを明かすと、前田は埼玉に飛んだ。

「2月議会で館長交代を報告されたら終わりやと思うて焦っちょった。それで、動いた。坂本家の寿美子さんに会いに行こう、と。森には『わしが3月で辞めるまでやないとできんぞ』って言われちょったし」

坂本寿美子は坂本龍馬家の4代目当主、直道の長女。高齢で病院に入っているため、森からは「行ってじっくりと話を聞いちょけ。必要なら1カ月病院に泊まり込め」と指示されていた。1月末、前田は寿美子に会うために埼玉に飛び、知り合いに頼んで埼玉の中学校で授業をさせてもらう。坂本龍馬についての授業である。

「学年全員を対象に、体育館でやってくれと校長に言われて。高知新聞の東京支社に電話して、その授業を取材してもろうた。私はとにかく新聞に書いてほしかった」

新聞に出たら尾﨑が見るだろう、何かの反応があるのではないか、という漠然とした思いだった。狙い通り、前田が埼玉で授業をした記事が高知新聞に出た。驚いたことに、同じ紙面に尾﨑の記事が出ていた。

「集成材事業で県がオーストリアの大学と提携するみたいな記事やったと思う。尾﨑知事が写っちゅうその記事の下に同じ大きさで私の記事が出た。これは連絡があるな、と思ったら知事の秘書から電話がかかってきた」

そこからの推移は伏せる。結論からいえば、尾﨑は1年間だけ森の任期を延ばしてくれた。前田の汗が報われた。

「森に言おうかどうしようか迷った。私が動いて1年延びたなんて聞くの、そら嫌やろう。けんど言うちょかんといかんところもあるき」

森に報告すると、森は「すまんかったにゃあ」と言った。「私のおかげでしょ」と冗談を言うと、「迷惑かけるにゃあ」と返してきた。

桂浜の地図。森さんは龍馬記念館から桂浜の龍馬像までを人間の鎖でつなごうとした

2015年11月15日は特別な日だった

「いま考えたらその年(2015年)の夏ごろからおかしかった」と前田は言う。「梅雨時に海の見える窓際に座って俳句をやったり、クリスタルボウルを『あれ、えいぞ。よう寝れる』って言うたり。妙にやさしくなったり…」

なんかおかしかった、とにかくなんかおかしかったと前田が繰り返す。

「原爆の日(8月6日)に広島に行った、そのときの写真を見たらやつれ果てちゅうも。70で死ぬって言いよって、その次は73で死ぬって言いよって、当てた」

龍馬生誕180年に当たるこの年の11月15日を、森は大きな節目と考えていた。

「11月15日が日曜日と重なるのは何年かに1回しかない、しかも龍馬の生誕180年。森は前の年からそれを言いよったきねえ」

龍馬記念館のシェイクハンド龍馬像から桂浜の龍馬像まで、森は1000人のハンドインハンドで人間の鎖を作ろうとしていた。手を握り合う中心にいてほしいと森が願っていたのがソフトバンクグループ総帥の孫正義であり、森は孫の来訪を熱望していた。

「『孫さん来てくれるろうか、どうやろうか』『1000人は集めないかん』ってぎっちり言いよった。ぴりぴりしよったがやき」

しかも2015年度末で森は龍馬記念館を去る。つまり最後の生誕祭だった。最後のビッグイベントを、孫正義に来てもらうことで成功させたい。手を握り合って2つの龍馬像を結ぶには1000人のお客さんに来てもらう必要もある。どちらが欠けてもイベントは成功しない。11月が近づくにつれ、森は神経質になっていった。

10月の最後の週、前田は森の異変を感じる。

「お孫さんの最後のサッカー試合が金曜30日の午前中にあるゆうてぎっちり言いよったがよ。『金曜日の午前は』ってうれしそうに。平日午前中の公式戦っておかしいなって思うたけんど、あまりにも熱心に言うし、貴重な刀の展示準備をしていたこともあり、怒られるようなことは言いとうないと思うて黙っちょった」

10月30日の金曜日、前田が出勤すると森がいた。

「『どうしたがですか?』『(お孫さんの)試合は?』と聞いたら、『あしたやった』と。あれが秒読みの始まりやった」

(C)News Kochi(ニュース高知)

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