緊急事態下において県民に知らせなければならないことを即時発信しようとすればマスコミの理解は欠かせない。正確に、しかし抑えるところは抑えて情報発信しようと行政側は考える。しかし報道する側は県が持っている情報をすべて入手するべきだと考える。入手した上で、自社の判断で報道すべきを報道するのだ、と。両者が信じる思惑の食い違いが新型コロナ禍で表面化した。コロナ感染症が猛威を振るった2020年から2022年春まで山梨県知事の政策顧問を務めたノンフィクション作家、七尾和晃さんのリポートを続ける。
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前述までの状況等を踏まえ、時期を前後し、県政記者クラブの加盟社所属の記者および支局幹部らとのヒアリングを含めての個別の対話に着手した。行政側の関心は再び、報道側がどこまで、それぞれの新聞社、放送局内で、濃厚接触者や患者情報の発信について、組織内部で討議したのか、あるいは支局から見ての上位組織である本社サイドでの検討を踏まえた報道方針や検討状況があるのか、あったのか、という点である。(七尾和晃)

日本新聞協会が入るプレスセンタービル=日本プレスセンターのホームページより
議論を深めることはできた?
その結果、全国紙やNHKを含めた放送各社も、濃厚接触者や患者情報の発信について、組織的かつ積極的に模索された、討議された形跡はうかがえないという心証を受けた。「取材現場における取材姿勢と情報収集活動のあり方」、人権擁護、さらには山梨県が最も重視していた「患者の社会復帰」という観点でも同様である。
報道機関としては、あらかじめ取材活動のあり方を組織内においてさえ規定することは、報道の自由、国民の知る権利への負託などから慎重にならざるを得なかったとも理解できる。2020年5月21日付で日本新聞協会と民放連との連名にて発表された「新型コロナウイルス感染症の差別・偏見問題に関する共同声明」に接し、社会不安が蔓延する当時の状況下にあって、行政側の前述のような苦悩を、同声明の発出以前の段階で、報道機関側に適切・適確に伝えきれなかった、届けきれなかったという、私自身としての大きな反省もある。
同声明には「感染者に関する公表や報道のあり方についても、社会にとって有用な情報を、プライバシーを侵害しない範囲で提供するという観点から、議論を深めていく」という心強い文言が盛り込まれている。他方で、行政機関という機能の本来に即した情報開示・提供のあり方については、山梨県と県政記者クラブとの個別やりとり以上のものが、報道機関各社の編集幹部や新聞協会という綱紀・規範を先導する人・組織と向き合い、理解を求める作業としてもあり得たと振り返らざるをえない。
さらには、どうあり得たのかという発想においても、当時、現場の即応対処に追われるなかで私自身の思料が及ばなかったという反省が強い。

「山梨県の新型コロナ対応の検証・記録業務に関する報告書」にある都道府県別の医療提供体制(2021年12月29日時点)。この時点で高知県は10万人当たり確保病床数36.6、確保宿泊療養部屋数55.7だった
個人の行動を公表する難しさ
当初、報道陣から極めて強い関心が寄せられたものの一つは、やはり「感染者及び濃厚接触者の行動履歴や属性に係る情報」だった。あくまでも基本原則は「感染拡大防止に必要か否か」を医学・防疫的見地から専門家が判定した上での情報発信。しかし、対応が難しい状況も幾度か発生した。
本人からの行動履歴の聞き取りを前提に公表した場合、本人のその後の生活環境や社会復帰において不利益が生じることが明白と思われるケースや、本人と、家族や親族周辺との、当人の属性についての認識と事実の違いまでもが詳らかになってしまうケースがあった。家族間であっても秘匿したい動機や事情を本人が抱えている場合、また疫学上、公表すべきだと思われる場合でも、本人の生活権および人格権の尊重とのバランスにあってどう顧慮すべきか否かと悩む状況がままあった。
その結果、当初原則をさらに厳密に、あるいは当初原則から後退的と受け止められかねない公表になってしまった場合、その理由として、上記を顧慮したという事実そのものを報道側に内示することができない状況が生まれた。事実の内示そのものが、守秘義務の履行以前に、実質的な人権侵害に繋がりかねないからだ。当然、報道側の開示要請との間には齟齬が生じる。その齟齬を根本的に解消することがままならない状況が続いた。ではどうすればよかったのか。行政側、報道側双方において、報道の自由、国民の知る権利との兼ね合いを含めて今後のあり方を整理・模索しておくことの必要性を現在まで感じ続けている。

山梨県警が入る山梨県防災新館=Google Earthより
公安警察との関係に苦慮
警察の公安部門のかかわりは、医療健康情報に対する関心が優位であった当時から現在まで、報道等でほとんど触れられることはなかったように記憶する。現場にあってたびたび意識させられたのは、新型コロナ感染症など公衆衛生の実情把握は、警察庁警備局、各県警にあっては警備課等も担当しているという事実だ。県警の所掌がいわゆる公安組織と呼ばれる警備課にあり、本来、地域の安寧により密着している地域課や生活安全課ではないという点は、報道側からもほとんど意識されたことはなかった。
しかし、当初から警備課による情報収集活動あるいは採証活動に準じた関わりが、県庁側作業とは別途、県庁内部にまで浸潤し、時に、警備課による記者会見場への臨場や、県庁現場による警備課への率先した情報提供が、知事への報告に先立って、あるいは知事が不覚知の場面で実行されるという状況も発生した。
これは、県警と県庁との機関・組織の優位性の観点からではなく、当初情報の一元的な管理や把握という観点から、現場職員による対応経路の複雑さに繋がりかねないという懸念にも転じ、対応に苦慮した。警備課が所掌する業務内容と業務手法の特性が、県庁や行政現場が提示すべき判断経路・判断過程の透明性確保と齟齬をきたしかねず、報道や県民側から疑義が出ることをも想定しなければならなかった。実際、県庁には警備課からの要請を踏まえた発表内容の事前干渉と思しき案件や打診がうかがえたこともある。現場当事者としては、県警の上部組織や関係筋への水面下での理解と調整を含めた作業を実行せざるを得なかった。
公衆衛生は、歴史的に旧内務省に起点する警察庁警備局の所掌であることを理解しつつも、行政対応として一貫し、かつ明瞭にすべき判断・公表過程が、社会的不透明さが蔓延している状況下ではより一層大切になる。その場合、どうしても警備課の情報管理手法や組織哲学とは相容れない部分が生じることになる。
行政も警察も、さらには報道も、国民に対する信義という礎を欠いては成立しない活動と組織ではないだろうか。そうした組織存立の理を踏まえたうえで、今後、顧慮すべき余地がありうるのではと感じる。(つづく)

















