よさこい

あんぱんとバリアパス。ユニバーサルツーリズムの今

2025年4月からのNHK連続テレビ小説はやなせたかし御夫妻をモチーフにした「あんぱん」だ。2023年の「らんまん」に続いて多くの人が高知に足を向けるのは間違いないのだが…。大切なのはユニバーサルツーリズム(観光庁の定義は「誰もが気兼ねなく参加できる旅行」)かもしれない。アンパンマンは弱いものの味方であり、その精神に照らせば小さな子どもやお年寄り、障害者にこそ足を運んでもらう必要があるからだ。「あんぱん」を前に、今回はユニバーサルツーリズムの今をリポートする。(依光隆明)

ちょっとおしゃれなJOYカートで園内をめぐる。足の不自由な家族がいても一緒に歩くことができる=2024年10月26日、高知県立のいち動物公園

ハード面の整備には限界がある

2024年10月26日、高知県香南市ののいち動物公園を1台の電動カートが軽快に進んでいた。小雨が降っているため、乗っている女性は雨合羽姿。岐阜県から高知に旅行をし、右足をねん挫しているのでこの日は電動カートで園内を巡った。「軽い、快適、最高です」とにっこり。傍らには鳥取に嫁いだ聴覚障害のある娘さん一家。子どももカートも同じスピードで進む。会話が弾む。

一家を招待したのは高知県だ。2025年のNHK連続ドラマが漫画家のやなせたかしさん夫妻を描く「あんぱん」に決まったことを受け、ゆかりの場所を回るユニバーサルなモニターツアーを試みた。電動カートはレンタルで借りた。数種類のカートを検討し、簡便さと軽快さでNOAA(本社東京)のJOYカートに。折りたためるので車に乗るし、ハンドルを引き出してキャリーバッグのように運ぶこともできる。なにより大切なのは外見で、「シニアカーとは比べものにならないくらいおしゃれ。これなら楽しく旅行ができる」と事業の担当者は考えた。

ユニバーサルツーリズムは、高齢者や障害のある人たちにも旅の窓口を広げようとする試みだ。観光目的の移動を増やすことで、地域の活性化も図る。観光庁は観光立国推進基本計画で「今後増加が見込まれる高齢者等の旅行需要を喚起するため、そのニーズを的確に把握し、ユニバーサルツーリズムの普及、定着を目指す」と宣言している。実現に向け、こう書く。「観光施設や宿泊施設等のバリアフリー化を一層推進し、ソフト・ハードの両面から環境整備を進める」

バリアフリーとはよく聞く言葉だが、バリアをフリーにするにはハード面の整備が欠かせない。ところが地方に行けば行くほどハード面の整備には限界がある。財政基盤の弱い自治体が多いうえ、財力ある企業の投資対象になることも少ないからだ。たとえば高知県は林野率日本一。海岸線が長いので海の国だと思われているが、実際は山ばかり。ハード面の整備でバリアフリーを進めるなんて到底無理なのだ。そもそもハード面の整備を唱える限り、観光地には埋めがたい格差が生じてしまう。

JINRIKIのアタッチメントを装着した車いす。まるで人力車のように軽快に走る=2019年5月、長野県下諏訪町

バリアは「パス」すればいい

それをひらりと超える概念が「バリアパス」だ。バリアがあっても気にするな、人の手でそのバリアを超えたらいい、という発想だと言っていい。この言葉を強くアピールし始めたのは長野県の中村正善さんだった。上高地のホテルに勤めていた中村さんは、せめて河童橋まで体の不自由な人たちを案内したいと考えた。亡くなった弟に障害があったことがその考えを後押しした。上高地は日本で最も自然を大切にする観光地であり、軽々に人の手を加えることはできない。ということは完全バリアフリーなんて不可能。考えた末に生み出したのが、何らかの手法でバリアをパス(通過)するという発想だ。2013年、中村さんは数十秒で車いすを人力車に変えてしまう牽引器具を発明する。車いすを押して段差を越えるのは容易でないが、人力車の要領で前輪を上げて引っ張れば苦にならない。牽引器具の特許を取り、JINRIKIと名付けて商品化、少しずつ普及を図っていった。

ちょうどそのころトラベルサポーターという民間資格が立ち上がる。高齢者らの旅行を介助するノウハウを身につけるのだ。最も普及したのが長野県の諏訪エリアだった。東京からUターンし、老人福祉施設で働いていた牛山玲子さんが旗を振って60人の資格者を組織する。きっかけは「旅行会社が旅行先の介護スタッフを欲している」と知ったことだった。組織名は「ユニバーサル・サポートすわ(ユニサポすわ)」。発想の原点はバリアパスだ。歩けなくなったお年寄りだって旅をしたい、温泉にも入りたい。バリアフリーの実現を待っているよりも人の手で目の前のバリアを越えていこう、と。諏訪までは列車や車で来てもらい、そこからの旅行をサポートする仕組みを作った。メンバーには介護資格を持つ人はもちろん、看護師の資格を持つ人もいる。

HIPPOを使って養護学校の生徒に田植えを体験してもらったことも。上の中央が牛山玲子さん=2019年5月、長野県白馬村

最後の最後まで「幸福寿命」は追求できる

ユニサポすわの活動をまず喜んだのは高齢者の介護をしている家族だった。歩くことができない祖父母を連れて旅行ができるのだ。温泉で入浴介助をしてくれる、JINRIKIを使って高原にも行ける。デイサービスの風呂は体を洗うのが目的だが、温泉の広い湯舟は違う。温泉にたっぷりつかり、「湯舟につかるのは8年ぶりだ」と笑顔を見せた98歳の顔を牛山さんは忘れられない。体の不自由な人たちも次々と諏訪にやってくるようになった。「松本城の天守閣に登りたい」と言った女性の夢を実現したこともある。ユニサポすわの男性が背負い、牛山さんたちがサポートして細くて急な階段を登り切った。そのときの女性の笑顔も牛山さんの心に焼き付いている。車いすの人が一人で諏訪へ旅行に来ることもある。JRの乗り降りさえ駅員に介助してもらえば、駅からはユニサポすわが一緒に旅をしてくれる。温泉に行きたければ温泉に、山に行きたければ山に行く。なにより本人の希望を生かす工夫を重ねてくれる。ある男性はユニサポすわの男性と仲良くなり、ご指名で一緒に旅行するようになった。旅先では少しの酒を飲んで楽しく話す。

フランス製の全地形対応型アウトドア用車いす「HIPPO」を使って体の不自由な人たちに田植えやスキーを体験してもらったこともあった。牛山さんは「幸福寿命」という言葉を使う。健康が十分でなくなっても人生は終わりではない。まだまだ幸福は追求できる、という考え方だ。牛山さんは言う。「みんな笑顔なんです。やっている私たちも笑顔。帰るときはみんな『ありがとう、ありがとう、また来るよ』って言って帰ります」

高知県のシンポジウムに招かれた牛山玲子さん(右)と渕山知弘さん=2024年1月、高知市内

相乗効果でハードも整備

ユニサポすわのスタイルはやがて長野県の外に広がっていった。代表格が高知県だ。牛山さんはたびたび高知県を訪れ、シンポジウムでの発表や旅のサポートを行っている。車いすユーチューバーの眠梨桜(ねむりさくら)さんをサポートしてよさこい祭りに参加したこともある。

ユニバーサルツーリズムの可能性について、牛山さんは高齢者を例にして説明する。60歳代の国内宿泊旅行回数が年1.41回なのに70代は1回というデータを挙げ、「高齢の方の一番の目的は温泉なんです。でも70歳を超えると一人での入浴が難しくなる人が多くて、旅行自体を取りやめてしまう」。少しのサポートがあればそのバリアが超えられる、と。牛山さんは「長野県では12.22人に1人が障がい者」とも指摘する。当たり前だが、障害があっても旅をしたい。温泉にも入りたい。障害のある人が旅行したいといえば、「ないものねだりだ」と批判をする声がある。その声に牛山さんは反発する。サポートさえあればできないように見えてもできるからだ。たとえば祖父母が孫の結婚式に参列したいと思うのは当然の願い。車いすであっても、寝たきりであっても、プロが少し手を貸すだけで参列することができる。着付けもできる。「結婚式と披露宴に参列して、夜は温泉でくつろいでもらう。諏訪ならそんなユニバーサルウエディングだってできます。私たちがサポートしますから」と牛山さん。もちろんバリアフリーへの歩みも欠かせない。牛山さんたちは、ホテルにバリアフリールームが増えていることに注目している。1室だけでもバリアフリーの部屋があれば旅行の選択肢が広がるからだ。

バリアパスとバリアフリーは表裏一体だといえるかもしれない。ユニサポすわの活動によって、長野県諏訪エリアでは目に見えて宿泊施設のバリアフリー化が進んでいる。特に著しいのが温泉の浴場だ。介助しやすい設備をつけたり、車いすごと入れるようにしたり。バリアパスによって高齢者や障害のある人の旅行需要が増え、それに対応して施設側がハード整備を進める。いわば相乗効果だ。

追い風も吹いている。ユニバーサルツーリズムアドバイザーの渕山知弘さんによると、「ユニバーサルツーリズムが観光庁のサイトに登場したのは2011年。高知県を始め、力を入れる都道府県は徐々に増えています。令和7年度はすごくて、観光庁の『観光地・観光産業におけるユニバーサルツーリズムの創出事業』の概算要求は前年度の9.26倍にも達しています」。ユニバーサルツーリズムが「幸福寿命」を少しずつ広げ、ひいては地域の持続可能性にも貢献する、そんな時代が少しだけ見えてきたのかもしれない。

2024年末、一般社団法人長野県観光機構は牛山さんたちのユニバーサルツーリズムを18分間の動画にした。同県の公式観光サイト「Go NAGANO」で公開されている(https://vimeo.com/1030970752)。

諏訪湖の周りを走るJOYカート。「観光地に備えれば需要はあるはず」という声も=2021年、長野県諏訪市

(C)News Kochi(ニュース高知)

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