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高知市による民有地占拠疑惑⑦「私どもの年齢を考えてください」

郵便局と県庁を勤め上げた夫妻が高知市福井町に1500平方メートルの遊園「あそび山」を造ったのは2005(平成17)年9月だった。間もなく19年になるにも関わらず、その入り口は高知市が根拠不明瞭なまま占有を続けている。2023(令和5)年11月の市長選で強硬姿勢を続けた現職市長が敗北、夫妻は事態の好転を期待しているのだが…。(依光隆明)

高知市水道局北部高地区送水所(左)からゼブラが延び、右側の通路橋入り口を塞いでいる

バリカーとゼブラで占有

古谷寿彦さん(81)、滋子さん(79)夫妻が高知市と県から「あそび山」に入る通路橋の建設許可を取ったのは2005(平成17)年1月だった。翌2月、業者に頼んで工事を始めた途端、「許可は誤りだった」と唐突に市から「工事中断要請」が入る。通路橋の前(取り付け部)が市有地(水道局の土地)だという理由だった。

古谷さん夫妻は公図や現況を確かめ、地元の人にも聞き、専門家の意見も聞いて通路橋の前が民有地=高知市福井町字口(くち)ホソ1805番=であることを確認していた。その上で高知市に書類を出し、県にも書類が回って通路橋の建設許可を得た。県も市も「問題なし」だった。通路橋の工事と並行して荒れ地を整備し、井戸を掘り、トイレを作り、営林局のログハウスを落札して移築し…。寿彦さんの郵便局時代の同僚や、小学校時代の同級生たちが馳せ参じて手伝ってくれた。「子どもたちの楽園を作ろう、子どもたちの笑顔を見よう」という多くの人の思いが「あそび山」をつくっていった。

高知市に「通路橋の前は市有地だ」と言われたのは青天の霹靂だった。書類を調べ直し、現況を確認したが、どう考えても市水道局の土地ではない。「許可を取り直せ」という市の命令に、夫妻は首を縦に振らなかった。市は通路橋の撤去を求め、地面にゼブラ(縞模様)をペイントする。さらに一時は車止め(バリカー)まで設置して占有を始めた。

公図を元に寿彦さんが作った関係地図。古谷さん夫妻は通路橋の入り口が1805番地と主張しているが、市は花壇までが1807番地だと主張している

地権者となって係争中

市の公式見解を要約すると、「入り口は市水道局(北部高地区送水所)の土地。(駐車車両があったら)緊急車両が通行するときに邪魔となる。だからバリカーを設置した」ということらしい。少し考えると分かるが、バリカーで不自由をかこつのは「あそび山」であって駐車する車ではない。もともと駐車する車は少ないのだが、仮に駐車を防ぎたいのなら「あそび山」の入り口にバリカーを造っても意味はない。議会でも「バリカーの前にたくさんの車がとまったらどうするのか。そういう管理の仕方が本当の管理のあり方なのか」と指摘されている。要するに、市の所有権を主張するために税金を使ってバリカーを造ったとしか考えられなかった。

夫妻はその後、1805番の土地の地権者となって(2分の1の権利を購入)市と係争を続けている。それまでは地権者ではなかったが、地権者になったことで法的には市と対等。通路橋前の土地は1805番地である、と市に主張している(市は水道局用地である1807番地だと主張)。つまり両者が土地所有で係争を続けているという構図である。2024(令和6)年2月に夫妻は、水道局施設への車の出入りに邪魔にならないように注意しながらゼブラペイント部分の一部に縄を張った。ゼブラによる市の土地占拠を認めてしまったらなし崩し的に市有地とみなされる懸念があるからだ。

古谷寿彦さんと滋子さん。郵便局と県庁を勤めあげ、退職金で「あそび山」を造った

桑名市政は岡﨑市政を継承?

2023(令和5)年11月の高知市長選は、自民・公明推薦の桑名龍吾氏(61)が6期目を目指した立憲民主・社民県連合・国民民主県連推薦の岡﨑誠也氏(70)を僅差で破って市長に就いた。これで「あそび山」に対する市の姿勢も変わるのではないか、と古谷さん夫妻は期待したのだが…。夫妻の感触では状況に全く変化はなし。岡﨑氏が重用した市幹部を副市長とし、岡﨑氏も市観光協会長(予算の6割が市の補助金)に就いて力を維持するなど、桑名氏は岡﨑市政の安定的継続に努めているように見える。

市長選の終盤、高知市に「変えよう!高知市」と大書したポスターがお目見えした。やたらと目立つポスターだった。桑名氏の事務所に詰めていた支持者によると、桑名氏の義兄に当たる大物衆院議員、中谷元氏の事務所関係者が作ったらしい。そのポスターを見て少なからぬ高知市民は桑名氏が市政を変えてくれるのだ、と信じた。そう信じて桑名氏に投票した。が、激戦から8カ月が過ぎたいま、市政が「変わった、よかった」と喜ぶ声は飛び交っていない。むしろ桑名氏を熱心に応援した支持者から「変えようという気が全く見えない」「もっと悪くなった」という声が噴出し始めている。この問題は稿を改めて書くことになるかもしれないが、変わると思った市政が変わらなかったという徒労感は市民にとっては大きい。その末端に古谷さん夫妻もいる。

高知市長選の終盤、市内にお目見えしたポスター。高知市を変えたい、と思った人が桑名氏に票を投じた

「手放したいが、手放せない」

2024年4月23日、古谷さん夫妻は桑名龍吾氏に手紙を出した。タイトルは「高知市福井町字口ホソ1805番のゼブラペインティングの消去及び車止め設置用の穴を塞ぎ元に回復してください」。少なくとも係争地であることは間違いないのだから、ゼブラペイント等で市が占有するのはやめてくれ、という思いがある。

本文にはこう書いている。

〈「あそび山」に通じる通路橋の入口は、古谷寿彦が2分の1を所有する高知市福井町字口ホソ1805番です。市が主張する水道用地1807番ではありません。しかるに、市は1805番にゼブラペインティングをし、紛らわしいばかりか美観を害し、車止めの金属穴は子どもたちがあそび山へ出入りする障害になっています。直ちに、平成17年(2005年)9月当時の状態に戻してください〉

実は古谷さん夫妻は「あそび山」の土地を手放すことも考えている。夫婦ともに高齢になったからだ。60代のころは訪れた子どもたちと一緒に遊んだりもしたが、80にもなるとそうはいかない。ばかりでなく、終活も考えておく必要がある。

「あそび山」を閉じて土地を売却しようとすると、問題になるのが通路橋とその入り口。市に入り口を占有されていては売却なんてできるわけがない。

あそび山。子どもたちがいろいろな遊びを工夫できる

市の占有だけが続いている

滋子さんは3月22日にも桑名市長に手紙を出している。そこでは「私どもも年齢的に、あそび山の終了を考える時が来ております」と心の内を打ち明けた。

市の主張のほとんどは支離滅裂または根拠薄弱と言っていい。それでも占有だけは続けている。ゼブラペイント等による占有がなくなれば、おそらく土地は売却できる。占有という実力行使さえなければ気兼ねなく「あそび山」に出入りできるからだ。

寿彦さんは「市役所は自分が死ぬのを待ちゆうがかもしれん」と笑う。市を訴える手もあるが、行政相手に裁判をして民間が勝てる見込みは極めて薄い。お役所(裁判所)にはお役所の思考が通じやすいし、裁判費用も行政には無限にある。お役所相手となると、そもそも弁護士を探すことすら一苦労なのである。古谷さん夫妻も弁護士を探したが、地方都市ではなんらかの形で行政にかかわっている弁護士が思った以上に多い。「市の〇〇委員をやっているので受けられない」と言われて帰ってきたこともある。

古谷さん夫妻にとって、市長が変わったのは小さな希望だったのだが…。

3月の手紙にも、4月の手紙にも、桑名氏からの返事はない。

(C)News Kochi(ニュース高知)

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