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龍馬記念館のカリスマ、最期のカウントダウン⑩森さんの種が育つ

高知県立坂本龍馬記念館の名物館長だった森健志郎さん(1941~2015)は、龍馬記念館やその周囲にたくさんの遺産を残した。特筆しうる遺産は人を育てたことだ。学芸員や学芸課長として森さんを支えた前田由紀枝さんもその一人だが、子どもたちの心にも森さんの言葉は届いた。(依光隆明)=本文は敬称略

医師になった西内茉澄さん

「龍馬は嫌いだった」

「龍馬みたいな人だな、と」。2024年7月、高知市浦戸の県立坂本龍馬記念館。太平洋が見えるフロアで医師になったばかりの女性が笑顔を見せた。

西内茉澄(ますみ)、25歳。

2013(平成25)年から森が始めた「夏休み子ども・龍馬フォーラム」の第1回リーダーだ。「拝啓龍馬殿」のメッセージを見た森が「この子をリーダーにする!」と即決、いの一番に西内を参加メンバーに選び、龍馬記念館のフォーラムに招いた。西内は当時14歳。森に会ったときの第一印象が「龍馬みたいな人」だったと振り返る。「館長とは思えないくらいのフレンドリーさ、話しやすさがありました」

西内は東京・文京区に生まれ育った。実は中学1年の1月まで、歴史上の人物で最も嫌いなのが龍馬だった。「有名っていうだけではないの?」と。伏線は小学6年生のときに日本を席巻したNHKの大河ドラマ「龍馬伝」にある。なんとなく龍馬ブームに反発し、「はすに構えて龍馬伝を見ていた」と明かす。

転機は中学1年の1月だった。本屋に龍馬の本がたくさん積んであった。「一番嫌いな人物の本を読むのもいいな、試しに読んでみるか」と1冊の文庫本を手に取る。それが司馬遼太郎の『竜馬がゆく』。読み始めた途端、止まらなくなった。「世の中にこんな人がいたんだ、と衝撃を受けました」

吉祥寺駅近くの私立中学まで電車で1時間かけて通っていた。電車の中で文庫本を読みふけった。全8巻を読み終わった2月にはすっかり龍馬に魅せられていた。「ドはまりしました」と笑う。龍馬といえば、なにより高知。両親に高知旅行をせがむ。春休みとなった2012(平成24)年3月25日、両親と一緒に坂本龍馬記念館へやってきた。

「雨の日で、海が荒れてて、波が白く立ってて…。直感で『ここに龍馬いるな』と思ったんです。『拝啓龍馬殿』を書いて帰りました」

龍馬記念館から見る高知灯台。桂浜・竜王岬の根元に立っている

龍馬に誓ったメッセージ

「拝啓龍馬殿」は館内のカードに入館者が龍馬へのメッセージを書く仕組み。西内は5枚のメッセージカードを使って長いメッセージを書いた。その一部がこれ。少し長いが、原文通りに掲載する。西内は中学1年、13歳だった。

〈(前略)私はつい前まで歴史学者になりたいと思っていました。歴史学者になって、大好きな龍馬様のことを研究したいと思っていました。それだけ大好きな龍馬様を知るようになってから、私は今まであまり興味のなかった世の中の情勢に興味を持ちはじめました。改めて現代情勢を見つめるうちに、私の中に複雑な気持ちが生まれてきました。一向に議論が進まず、何も決まらない国会、東北が大被害をこうむった東日本大震災からの復興支援ができない政府。同じ党内なのに争いを起こしている各党派。本当に国のために国民のために働こうとしている政治家がめっきり少なくなったと思います。そんな政府を見て、龍馬様や色々な幕末の志士の方々が目指してきた日本とは違う気がしてきたのです。そのため、今まで歴史学者になろうと思っていた私の胸のうちに変化が起こりました。このままの日本でいいのか、と。幕末の志士達やそのずっと前の人々が懸命に守り抜き、つくりあげてきた日本は、こんなものじゃないんじゃないかと。

そう思うようになってから、もう少し人々のために役立てるよう、少しでも国をよくしようとする人になりたいと思ったのです。別に政治家になろうとか、細かい職業までは考えていませんが、とにかくこの国を良くしたいと考えるようになったのです。こんな甘い考えでこんなことを言ってすみません。でも私は人々のため、国民のために働ける平成の志士のような人間になりたいと思っています。今は環境問題も深刻になっているので、自然との共存を考える人になりたいとも思っています。

こんなに長々と自分の事をかいてしまって申し訳ありません。でもいつの日か龍馬様を目標にして努力し、立派になってお目にかかります。私はまだ子どもなので、人々のために活躍できる人間になるには日々勉強を頑張り、色々な経験をし、自分の意志を歩むことが大切だと思いますので、まずはそれを第一目標にし、頑張ろうと思っています。龍馬様を私の心の支えとさせてください。そして、どうかずっと私達を見守っていてください。その優しく鋭いまなざしで〉

「子ども・龍馬フォーラム」でマイクを握る中学3年の西内茉澄さん(左)と森健志郎さん(2013年8月15日)

「まさか新手の詐欺?」

2013年、「子ども・龍馬フォーラム」を構想した森健志郎は、「拝啓龍馬殿」を書いた子どもたちの中からフォーラム参加者を招こうとする。一読して森がほれ込んだのが西内茉澄のメッセージだった。おそらく西内の文章からあふれんばかりの熱量を感じ取ったのだろう。新聞記者時代、一貫して森は感性や熱量を大切にした。「この子をリーダーに」と即決し、東京の西内家に電話する。

突然の電話は西内一家を驚かせた。電話をかけたのは森本人で、受けたのは西内のお母さん。やり取りはこんな感じだったらしい。

「もしもし、龍馬記念館の館長の森やけど」

「え?」

「今度子どもフォーラムやるき、リーダーとして来てくれんかな」

「え?」

電話を切ったあと、西内親子は混乱した。館長自ら電話してくる?高知に来てくれなんて、そんなことある?これって新手の詐欺?

「もうびっくりしちゃって。ただの龍馬ファンとして記念館に行って、私の中に龍馬は支柱としてあったけど、それだけで終わっていたので…」。本当のことだと分かったあと、「こんな光栄なことはないなと思って。大喜びでした」

西内はこのとき14歳の中学3年生。フォーラム参加者の最年長だった。平和にこだわる森らしく、開催日は8月15日の終戦記念日。タイトルもずばり「終戦記念日に誓う!」。

「『日本の平和』について話し合いました。『いまの日本は平和なのか』から意見が分かれて。森館長が一番熱くなって。『平和じゃない』が多数派でした。私は『大前提として最低限は平和だろう』という話をしました」

富樫泰平さんと西内茉澄さん

「高知で入籍したかった」

人生の節目を迎えるたび、西内は龍馬記念館を訪れるようになった。

「高校1年のとき、文系か理系かを決めるんです。私が得意なのは文系で、文系官僚を目指すことも考えました」。父親が勤務医とあって、医師も身近な職業だった。「医師免許は一生ものだし、まずは医者の道に進もうと決めました」

進路に迷うたび、「ここに龍馬がいる」と感じる龍馬記念館に来て、桂浜に行く。桂浜に座って「龍馬伝」のテーマを聞いていると心が固まってくる。

「志望する大学や(医師としての)初期研修の行き先とか、『あ、無理だ。高知に行かないと決められない』ってなるんですよね。最低年1回は来てる。これまでたぶん15~16回は来てるんじゃないかな」

千葉大の医学部に進み、医師免許取得後の初期研修は神奈川県川崎市の公立病院に。今は全力で医師の道を歩んでいる。厚生労働省の医系技官を視野に入れているが、「文系の官僚になりたいと思えばそのときになればいい」とも。

今回、龍馬記念館に来たのは入籍のため。千葉大医学部の1年後輩、富樫泰平との結婚を決め、「入籍も高知でしたい」と2人でやってきた。富樫は千葉県出身で、救急医療の道に進もうと考えている。富樫が言う。「もともと医者になろうと思ったきっかけが「コード・ブルー」(「コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-」=フジテレビ)なので。DMAT(災害派遣医療チーム)も考えています」

シェイクハンド龍馬像と握手

まいた種が芽吹き、育つ

西内は龍馬記念館に前田由紀枝を呼び、富樫を紹介したあとで森の思い出を語り合った。森について語りながら、龍馬への思いが交差する。西内にとって森の存在は龍馬と重なっている。

「龍馬は基本的にやさしい人だと思います。たくさんの人が幸せになるように、という考えができる。でもその中にしたたかさもあって、世渡りも上手。やさしさと世渡りを両立できるのがすごい。人たらしであり、行動力、発想力がすごい」

人たらし、行動力、発想力は森健志郎とかぶる。

西内が高校2年生のとき、森は亡くなった。館に寄せた追悼文を、西内はこう書いた。

〈先日、森館長の訃報を知ったとき、あまりのショックにそれが本当のことだとは思えませんでした。今でも信じられなくて、まだ困惑しています。でも、それはあながち間違いではないんじゃないかと私は思います。私が初めて龍馬記念館に伺ったとき、「ここに龍馬がいる」と確信しました。きっと館長も、同じ場所にいます。そこで龍馬と語り合っているのではないでしょうか。龍馬に、そして館長に会うために、私はまた龍馬記念館に伺います〉

西内が見ているのは龍馬と同じ、日本の未来だ。森のまいた種は日本のあちこちで芽吹き、育っている。(シリーズおわり)

(C)News Kochi(ニュース高知)

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