2024年7月5日午前、高知市立南海中学校のプールで長浜小学校4年の第3回水泳授業が行われた。泳ぎが苦手で、身長が低く、初回の授業では溺れかけ、当日の授業でも「怖い」と言っていた児童を、教諭たちはある時点から見ていなかった。(依光隆明)
プールサイドで見たのが最後だった
東西に長い南海中のプールは、東西の両端が最も浅く(水深120センチ)、中央に向かうにつれて深くなる(中央部は水深140センチ)。この日の水位は満水位よりやや低く、最も浅い所で114センチ、最深部で132.5センチだった。最深部は高知県の小学4年生の平均身長(男子133センチ)とほぼ同じで、亡くなった児童(身長113.8センチ)は最も浅い所でも頭のてっぺんまで水の中となる。授業に参加した4年生は36人。指導役は長浜小のA教諭とB教諭、監視役が長浜小教頭だった。
午前10時40分、休憩後の水泳授業が始まった。前回書いたように、この時点ですでに教頭とA教諭は亡くなった児童を視野から外している。休憩後の授業に参加するこの児童を見たのはB教諭だけである。
休憩後の授業は泳ぎの得意なグループと苦手なグループに分かれた。児童たちそれぞれの判断で2グループに分かれたらしい。泳ぎの得意なグループはプールの南側で泳ぎ始めた。A教諭と教頭がプールサイドからこのグループを見ていた。B教諭は泳ぎの苦手なグループを北西側のプールサイドに集めようとした。泳ぎの苦手なグループは第2回授業でプール南西部を使ったため、男子が南西側のプールサイドに集まっていた。B教諭は北西側に回ってくるように指示した。B教諭は亡くなった児童がプールサイドを北西側に向かってくるのを見た。これが亡くなった児童を見た最後だった。市教委の資料はこう書いている。
〈教諭Bが被害児童を認識したのは、プールサイドをこっちに向かってくるところを見た時が最後であった〉
この児童がプールに入ったあと、B教諭も視野からすっぽり外しているのである。つまり教諭2人と教頭の3人とも、プールに入ったこの児童を見ていなかった。
「1人で見るのは厳しい」
B教諭には泳げない児童に目を配る余裕がなかったのかもしれない。なぜならB教諭が担当する児童数だけが膨らんでいた。
10時45分ごろの出来事として、市教委の資料はこう書く。
〈泳ぎの得意なグループに入る児童が想定よりも少なく、教諭Bは、男女合わせて20名以上を見ることとなった。この後の活動中に、教諭Bは教諭Aと教頭に、1人で見るのは厳しいと声かけしている。教頭は泳ぎの得意なグループを見ているので行けないと答えた〉
何度読んでも意味がよくわからない。「20名以上」がまず引っかかる。21人と25人ではイメージがかなり違うのだ。全員で36人だから、苦手グループが21人だと残りは15人。25人だと残りは11人。中間を取って、泳ぎの得意なグループを仮に13人にしておこう。教頭は泳ぎの得意な13人を見るのが大変だから「行けない」と答えたのだろう。ではA教諭はそのとき何をしていたのか。泳ぎの苦手な児童を見る方が大変であり、だからこそB教諭は〈1人で見るのは厳しい〉と声を出している。水泳の授業は一つ間違えば命にかかわる。しかも水深のある中学校のプールを使っている。B教諭の声掛けに教頭とA教諭が応じなかった理由と状況が、これを読む限りではさっぱり伝わってこない。
市教委資料を読むと、教頭はプールサイドで監視するだけでプールの中に入っていないと思われる。教頭が「行けない」と答えた直後の記述に〈プールサイドにいた教諭Aは〉とあるので、B教諭が声掛けした時点ではA教諭もプールに入っていなかったと思われる。プールに入っていないのなら、B教諭の助っ人に1人が向かうくらいはすぐできる。なぜ2人がB教諭の声掛けに応えなかったのか、これも謎としか言いようがない。
「けのび」を受け止めていない?
市教委の資料によると、苦手グループはまず女子が「けのびバタ足」をやり、男子の「けのび」「けのびバタ足」に移った。女子と男子を別々にプールに入れたと解釈できる。それぞれの人数はおそらく10人余り。これをB教諭が1人で見ていたことになる。ちなみに「けのび」とは手を前に伸ばし、プールの壁をけって前に進む動作。進めるところまで進んでプールに立つ。「けのびバタ足」はそれにバタ足を加える動作である。長浜小はプールを横断(25mではなく16mの短辺)する形で「けのび」や「けのびバタ足」をさせていた。これなら「けのび」をした場所と同じ水深の場所で立つことができる。しかし…。
進めるところまで進んでプールに立つといっても、背の低い子はプールの底に足をつけたところで顔は水面に出ない。高知県の小学4年生男子の平均身長は133センチで、この日のプールの水深は最も浅い所でも114センチ。平均身長の児童でもあっぷあっぷ、低い児童は溺れてしまう。溺れないためには「けのび」した児童を確実に受け止めなければならないが、その役目はB教諭だけだった。そのB教諭は亡くなった児童を受け止めた記憶がない。市教委資料はこう書く。
〈教諭Bは、苦手な児童を受け止める対応をしていたが、被害児童を受け止めた記憶はない〉
簡単な記述だが、この意味は浅くない。背の立たないプールで「けのび」をさせるのは、その児童を誰かが受け止めるという保証があってこそだ。「けのび」を一人ずつ順番にさせていたら〈被害児童を受け止めた記憶はない〉ことにはならない。ではなぜ亡くなった子を受け止めた記憶がないのか。事故の本質にもかかわる極めて重要なことなのに,、記述があっさりし過ぎている。
事故のあと、A教諭とB教諭は近くにいた児童らに話を聞いている。それによると、亡くなった児童は「けのび」のときにはみんなと一緒にいて、そのあとの「バタ足(つかみバタ足と思われる)」のときには姿が見えなかったらしい。つまり、亡くなった児童は「けのび」をしているときに溺れた可能性がある。
このあと苦手グループは女子が「つかみバタ足(プールサイドをつかんでバタ足をする)」を行い、男子の「つかみバタ足」へと移った。A教諭も応援に加わっていた。
午前10時52分、A教諭とB教諭は「先生!」という声を聞く。(続く)