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龍馬記念館のカリスマ、最期のカウントダウン⑥孫さんと会えた!

2010(平成22)年1月に「龍馬伝」がスタートすると森健志郎さん(1946∼2015)が館長を務める高知県立坂本龍馬記念館には人が押し寄せた。吉冨慎作さんが個人で作ったWebサイト「龍馬街道」のアクセス数も急上昇する。ソフトバンクグループの総帥、孫正義さんはツイッターを駆使して龍馬を発信し始めた。孫さんと森さんが出会う日が近づいていた。土佐山アカデミー事務局長、吉冨慎作さんの話を続ける。(依光隆明)=本文は敬称略

吉冨さんが売り出した「幕末ラムネ」(「龍馬街道」のサイトから)

坂本龍馬に成りすます

「『龍馬伝』が始まって、サイトへのアクセス増えて、取材に行って、記事書いて。コラボ商品も作って。佐賀県のラムネ業者と『幕末ラムネ』を作ったんです。亀山社中ができたころにラムネが日本に入ってきたので、もしかして『龍馬が飲んだかもしれない』と。会社とは関係なく、個人でやっていました」

当時、吉冨は福岡市の外資系広告代理店でディレクターを務めていた。Webデザイナーの経験もあってネットには詳しい。「龍馬街道」と名付けたサイトを運営する傍ら、吉冨はryomasakamoto(坂本龍馬)のアカウントを作ってツイッター(Ⅹ)を始めていた。実業家としてツイッターにいち早く注目したのがソフトバンクグループの総帥・孫正義だ。孫のツイートにはたくさんのフォロワーがついていた。

「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の黎明期で、孫さんが『龍馬』を盛んに発信していたんです。孫さんが『龍馬伝が5分後から始まるぜよ―っ、テレビの前に正座じゃーっ!』ってツイートするとみんなが『分かりましたー!』って」

孫を中心とする龍馬ファンの輪に吉冨も参入する。

「龍馬に成りすまして『きょうも孫さんのテンション高いねや』とか。『電話会社買収したばあでいい気になったらいかんぜよ』みたいに絡んだりもして」

やがて孫が絡みに応えてくれるようになる。

「孫さんに『また見に来ちゅうかえ』ってつぶやいていたんです。そしたらある日、孫さんが『龍馬さんも見ゆうぜよ。みんなテレビの前に集合!』って。それを見てみんなが勝手にryomasakamotoをフォローしてくれて、朝見たら何百何千ものメールがきていた」

孫正義さん(ソフトバンクのホームページから)

私、ソフトバンクの孫正義と申します

坂本龍馬になりすまして孫正義との絡みを楽しんでいたある日、唐突にこんなダイレクトメッセージが届いた

「私、ソフトバンクの孫正義と申します。私たちの会社の30周年でソフトバンクオープンdayをやります。そこで対談をさせてもらいませんか、という文面でした。10度見返しました。ほんとなのかな、だまされてるのかな、ハッキングされたのかな、と」

なんて返したらいいだろう。「龍馬になりすましていた吉冨と言います」って言おうか。どうしよう。迷った末、こう返す。「かまんぜよ」。相手から「ありがとうございます、つきましては連絡先が…」というメッセージが届いた。

孫の秘書と連絡を取り合ってソフトバンクオープンdayに行くことに。2010年3月28日、東京・港区のソフトバンク本社近くにあるホールに出かけた。

「浜離宮のでっかいホールで、龍馬の格好で孫さんと対談したんです。孫さんも龍馬姿、僕も龍馬の格好で。僕は『おーい!竜馬』から坂本龍馬に入っているので、勝海舟に弟子入りするとき龍馬は土下座するんですよね。孫さんに初めて会って舞い上がってしまって、『孫さん、弟子にしてつかあさい』って土下座したんです。孫さんはこっちが龍馬だと思ってるから『いやいやこちらこそ』みたいな感じで僕に土下座して。『孫正義が土下座』って写真週刊誌に載りました」

当然ながら吉冨は武士の作法なぞ知らない。このとき腰に刀を帯びたまま土下座をしてしまった、と頭をかく。孫はきちんと刀を抜いてから土下座していた。

海援隊旗(県立坂本龍馬記念館の展示から)

龍馬になって手紙を書く

孫正義が坂本龍馬に心酔しているのは有名な話だが、その象徴がソフトバンクのシンボルロゴかもしれない。

坂本龍馬記念館の学芸課長を務めた前田由紀枝が館に入ったのは2004(平成16)年だった。「その年にソフトバンクがロゴと会社の方針を発表した」と前田が振り返る。「発表のときに孫さんが言ったのは、『会社を語るということは、自分を語ること。自分を語るということは、龍馬を語ること』。孫さん(がそうありたいと思うの)は龍馬ながよ。史実としての龍馬じゃなくて、龍馬の志。館長の森健志郎も同じ。歴史上の龍馬を追いかけるのではなく、龍馬の精神を現代に生かそうとした」

このとき発表されたソフトバンクのロゴは、海援隊旗をモチーフにしていた。「二引きの旗」とも呼ばれるデザインである。前田が言う。

「土佐藩の船につける旗。赤、白、赤の三層。それを海援隊が隊旗にした。ソフトバンクのロゴは赤を黄色に変えた三層。何年か後に意味があって黄色を灰色に変えるけんど」

ソフトバンクオープンdayに参加したとき、吉冨は孫から「実は高知には行ったことがないんです」と明かされる。海援隊旗をロゴのモチーフにするほど龍馬に心酔する孫を高知に呼びたい、と吉冨は思う。龍馬記念館の森健志郎ら、「龍馬への年賀状」企画で培ったNHKや郵政、県の関係者に相談するとみんなが賛同してくれた。

「じゃあ『かるぽーと』(高知市文化プラザ)を借りようぜ、11月14日の日曜日に孫さん呼んじゃおうぜってなったんです。『龍馬伝』の時間帯に合わせてイベントをやって、『龍馬伝』をパブリックビューイング(会場にいるみんなで鑑賞)で見て。そこに来てもらう。『お前、企画しろ』って僕が言われて、どうしたら孫さん来てくれるかなと考えに考えて。そうだ、孫さんが絶対に断れない状況を作ったらいいと…」

孫が断れないようなメンバーを集めようと考えた。

「龍馬、勝海舟、万次郎の子孫に森館長と高知県知事。これだけいたら孫さんも来るんじゃないかと思って、手紙を書いたんです。龍馬の手紙に似せて、巻紙に、黒と赤の筆で。『孫さんが龍馬ファンということは日本中が知っています』と」

ソフトバンクのブランドロゴ。モチーフは龍馬の海援隊旗

孫×森、運命のヤフードーム

イベントの名は「土佐の大勝負」とした。「11月14日のそのイベントにこんなすごいメンバーが集まります。土佐にご案内します。つきましては説明に伺わせてください」と書き、「孫正義様」あてに送った。

「仕事で東京に出張したときによく孫さんの秘書の青野さん(社長室長だった執行役員の青野史寛)と会っていたんです。『(孫さんが高知に来るのは)無理でしょうか?』と聞くと『難しいと思うよ』『ホント無理よ』という返事ばかり。『とにかく一度会わせてください』と。『会わせてくれなかったら本社前で待ち伏せします』と言ったら青野さんが『それはやめてくれ』。『じゃあ会わせてください』というやり取りをして、あるとき青野さんがこう言ってくれたんです。『クライマックスシリーズの観戦に孫がヤフードームに行きます。そこだったら会えるかもしれません』」

ソフトバンクホークスは2010年のレギュラーシーズンを制し、クライマックスシリーズのファイナルステージで日本シリーズ進出をかけた戦いに臨むことになっていた。日程は10月14日から。孫の観戦日を聞き、吉冨は森健志郎と一緒にヤフードームに出かけた。案内されたのはオーナールーム。ワインセラーがあり、名画が飾られていた。森がぽつり。「さすが孫さんやなあ、こんな部屋があるがや」。球団の人が「オーナーが来るまでお待ちください」と言い、2人で孫が来るのを待った。

孫が入ってきて吉冨に笑顔を見せた。「おー、龍馬君!」。坂本龍馬になりすましてツイートをする吉冨を、孫は「龍馬君」と呼んでいた。吉冨は「龍馬記念館館長の森さんです」と森を孫に引き合わせた。これが孫正義と森健志郎との初めての出会いだった。

不運だったのは試合が白熱したことである。ファイナルステージの相手はレギュラーシーズン3位のロッテ。ソフトバンクは打線が湿りがちで、緊迫した投手戦が続いた。要するに一瞬も目を離せない、手に汗握る試合だった。

「孫さんは野球ばかり見ているんです。立ち上がって、こっちに背を向けて。試合がすごく盛り上がっていましたから。これはどうしよう、時間は長く取ってもらってないし、でも野球観戦を邪魔したらいかんし、と困って。あのときは森さんも緊張していましたねえ。あんな森さん初めて見た。森さんが言ったんです。『龍馬もこんなんやったかねや、絶対そうぜよ』って。僕が『いろは丸事件くらいですかねえ』と言うと、『いやいや、そんなもんじゃない。俺らあもここで決めて帰らんと絶対いかんぜえ』と」

吉冨と森は紙芝居を持参していた。

「森さんのアイデアです。『パソコンじゃあいかんぜよ、紙芝居じゃ』って言って、10枚くらいの紙芝居。ひりひりした緊張感に包まれながら、紙芝居を持ち出す瞬間を待った。

森健志郎さん。いつもの笑顔

「あしたは土佐の大勝負、待ちゆうぜよ」

そのときがどう訪れたか、吉冨の記憶は判然としない。しかし孫がこちらを向き、話を聞いてくれる一瞬があった。すかさず吉冨は紙芝居を引っぱり出し、1枚1枚絵を引き替えながら説明した。必死だった。

「孫さん、龍馬好きでしょ、マークも龍馬からもらっていますよねえ、ツイッターで龍馬を盛り上げてくれてありがとうございます、高知には行ったことがないって東京でおっしゃられていましたよねえ、今回僕らが孫さんを高知に呼びたいと思っています、11月14日に『龍馬伝』のパブリックビューイングをして、翌日が(龍馬の誕生日の)11月15日。こんないい日はありません。名前は『土佐の大勝負』です。当日はこんなメンバーが来ます。これだけのメンバーが来て孫さんがいないの、ダメでしょ。それで龍馬ファンを名乗れますか、と話しました。森さんはその間、一切しゃべりません。僕の話が終わったあと、最後に森さんがいつもの感じ、にかっと笑って『待ちゆうぜよ』と。しびれましたねえ」

孫は「行きたいなあ」と漏らした。が、日本でも指折りの忙しい人である。行きたいと思って簡単に行ける立場にはない。

「『その日まで分からんよ』って孫さんに言われたんです。そのことは秘書から何百回と言われてるし、そうだろうなあと思って」

孫さんが来てくれるのか、やはり無理なのか、じりじりした日が過ぎた。

「前日の11月13日、孫さんがツイッターでこうつぶやいたんです。『あしたはいよいよ土佐の大勝負じゃき、待ちゆうぜよ』みたいな感じで。えっと思ったら『行きましょう』という連絡が入って。『おーっ!』ってなって、森さんにすぐ連絡して、いろんな人に連絡して。みんなザワザワして『どうやって来るの?』『ヘリ?自家用ジェット?』みたいなことを言ってたら、普通の飛行機で普通に来た」

孫正義さんと森健志郎さん

最前列で、滂沱の涙

2010年11月14日、「かるぽーと」には1000人が集まった。舞台にはモニターを用意して、イベントへのツイートがリアルタイムで見られるようにした。それもこれも、吉冨が裏方となって準備した。当日も吉冨はインカムをつけて舞台裏を走り回っていた。

「僕はその場ができたことがうれしくて。ぜんぜん(舞台に)出る気なかったけど、孫さんが呼んでくれたんですよ。『このイベントができたのは龍馬君のおかげだ』って」

裏で走り回る吉冨に代わり、前田にこのイベントを振り返ってもらおう。

「第1部は私が司会をやって、龍馬、海舟、万次郎の子孫が語る企画。第2部が孫さんと森館長、尾崎正直知事の鼎談。会場は満員で、1000人は優に入っちょった。午後8時、『龍馬伝』が始まる直前に孫さんが『今から龍馬伝見るぞーっ!』と号令かけて。孫さんは一番前で見よった。滂沱(ぼうだ)の涙やった」

パブリックビューイングの最前列にいる孫正義が、流れる涙をぬぐうこともなく「龍馬伝」に没入していたということだ。「龍馬伝」に没入していたというより、龍馬に自身を重ね合わせていたのかもしれない。前田はそんな孫の姿を目に焼き付けた。前田の話を続ける。

「知事が来てくれたので、知事と孫さん2人だけの時間もいるだろうと。森が『やっぱり知事にそういう時間を作っちゃらんといかんかなあ』ゆうて、2人をワンボックスカーに乗せて、桂浜荘(龍馬記念館横の国民宿舎。2021年9月末で休館)の打ち上げに連れて行って。打ち上げで孫さんはワインをばんばん飲みよった」

龍馬がたびたび訪れた田中良助邸(高知市柴巻)から高知市街と太平洋を見る。ひと山越すと土佐山だ

「そんなに好きなら高知にきいや」

動き回るにつれ、吉冨と高知との縁は深まっていった。吉冨が言う。

「人脈が広がって、いろんな人に『何しに来ゆうが?』と言われるようになり、高知新聞記者の松井久美さんには『あんた、そんなに高知好きやったら高知にきいや』って(住民票を移すための)おばあちゃんの住所をもらったりして、高知すごいなと思って。友だち増えて、高知に来てもいいなと思うようになって」

2012(平成24)年、ネットで土佐山アカデミーの事務局長募集を見つける。事務局長を募集するなんてよほどおかしい団体か面白い団体だろう、と思う。このときちょうど福岡発那覇行の飛行機に乗るところだった。髪は金髪だった。

「飛行機の中で金髪のままスマホで写真撮って、ネットで願書を送信しました。応募は40人。書類選考のあと一次面接二次面接をして、2人まで絞られたんです。『プレゼンに来てください』と言われたので、岡山で一泊して土佐山でプレゼンしました。岡山にいるときに土佐山から電話がきて、『もしよかったら黒髪で来れますか、金髪より黒髪の方が印象いいと思うんで』と。スプレー買って自分でシューッとやって髪を黒くしました」

土佐山というのは旧土佐郡土佐山村。現在は高知市土佐山である。プレゼン終了後、数週間後に「内定しました」と連絡が来た。東京の地下道を歩いているときだった。

「ヤバイ! これ奥さんにも言ってなかったので、しっかり考えんとヤバイと思って、そのときに行ける一番遠い所へ行こうと思って沖縄の宮古島に行きました。一晩、『龍馬だったらどうするか』と考えて、やると決めました」

森健志郎を始めとする高知の人脈が吉冨の人生を変えた。

(C)News Kochi(ニュース高知)

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