シリーズ

高知裏面史 西岡寅八郎メモワール➀2009年3月、城西館の7人

2013(平成25)年、暴力団問題(元組長との関係)を契機に11期務めた高知県議会議員と土佐電気鉄道(土電。現とさでん交通)の会長を辞めた西岡寅八郎さん(90)が重い口を開いた。口が重かったのは土電会長を退職慰労金なしで追われたあと、翌2014年に四国銀行から土電の債務8億3949万5000円(遅延損害金を足して8年後に18億円)の支払いを求められ、強制破産決定後も債務者として追い込まれ続けたからだ。裁判所が免責(支払い義務解除)を認めたのは2024(令和6)年になってから。年齢も考え、県や銀行へのわだかまりを何らかの形で伝えたいと考えた。このメモワール(回顧)は、表からは見えない高知の裏面史ともなっている。(依光隆明)

四国銀行の頭取、会長を務めた浜田耕一氏=2009年3月5日、高知市の城西館

「濱田耕一様よりのご招待懇親会」

「この写真を見てください」と西岡さんが小さなアルバムを出した。「濱田耕一様よりのご招待懇親会」と印字されている。下段には「平成21年(2009年)3月5日 於城西館」と日付、日時が入っていた。浜田耕一氏は四国銀行の頭取、会長を歴任した人物。2009年当時は相談役だった。四国銀行は高知県のトップバンクであり、県の指定金融機関も務めている。浜田氏は高知県南国市の出身。陸軍航空士官学校を修了後、終戦から間もない時期に四国銀行入りした。40代で役員となり、常務、専務、副頭取を経て1988(昭和63)年、62歳で生え抜き組初の頭取に。大蔵省からの天下り組の指定ポストだった頭取の座を、生え抜き組が占め続ける道筋を作った。四国銀行における存在感は大きく、会長を辞したあとも隠然たる力を持ち続けていた。

城西館は高知市の上町にある老舗旅館で、ワンマン宰相・吉田茂が好んだことで知られている。皇室が高知を訪れる際には今も決まってここに泊まる。格式は高知県随一と言っていい。

アルバムに収録された写真は36枚。なぜこのアルバムを西岡さんが出したのか、の秘密はメンバーと会合の趣旨にある。

四国銀行が西岡寅八郎さんに出した2014年7月1日付通知書より。連帯保証人の判を基に西岡さんの保証債務元本残高が25億490万円あると記している。西岡さんはこの1年3カ月前に土電を離れていた

25億円の保証債務残高

西岡さんが破産に追い込まれたのは、2014(平成26)年10月1日に四国銀行から8億3949万5000円(遅延損害金=年14%)を支払えと催告されたからだ。過去、土佐電鉄への融資に連帯保証の判を押したことが理由だった。具体的には2009(平成21)年8月に西岡さんが押印した「手形取引保証約定書」。1964(昭和39)年に土電が四国銀行と結んだ「銀行取引約定書」をベースに、直接的には「手形取引保証約定書」の連帯保証で催告にかかったとみられる。保証極度額は18億円。遅延損害金を含めてこの額なので、返済がなければ2022年12月に元金(8億3949万5000円)が保証極度額に達してしまう。西岡さんは四国銀行から返済を求められた額を「18億円」と認識していた。免責を得た2024年当時、四銀が支払いを催告する金額が保証極度額の18億円に達していたからだと思われる。「手形取引保証約定書」の保証期限は2013(平成25)年9月30日で、文言には「平成25年9月30日までの取引により生じた債務を保証するものとします」とあった。

西岡さんが土佐電鉄の代表取締役会長に就任したのは1983(昭和58)年。追われる格好で2013(平成25)年4月13日に辞任したが、辞任後も土電経営陣と四国銀行は西岡さんが押した連帯保証の判を外さなかった。2014(平成26)年7月に四国銀行が西岡さんへ送った通知書によると、土電への貸付金残高は同年6月30日時点で25億490万円。その全額が西岡さんの保証債務元本残高だと告知している。先に触れたように、「手形取引保証約定書」にある保証極度額は18億円だ。理論的には保証債務元本残高が保証極度額を上回ってもいいが、手形取引以外の貸付まで保証債務に入れた根拠は分からない。西岡さんが判を押した「手形取引保証約定書」には〈商業手形割引・手形貸付・外貨手形貸付取引の保証人用〉と明快に注釈がついている。普通に考えればこの「手形取引保証約定書」は証書貸付(「金銭消費貸借契約証書」等の書面を交わした融資)には適用できない。かといって根拠なく銀行が個人の保証債務を億単位で膨張させるとは考えられないから、何らかの根拠はあると考えるほかない。

25億円の保証債務元本残高を通知しながら、四国銀行が西岡さんに支払いを催告したのは手形取引の8億4000万円だった。当然ながら25億が8億になったところで個人に払える額ではない。2016(平成28)年、西岡さんは四国銀行の申し立てによって強制破産(債権者破産)に陥り、破産手続きがスタートする。管財人から財産の供出を求められ、移動の自由も通信の自由も認められないまま2024(令和6)年までの8年間を兵庫県内で妻と逼塞して過ごした。

2014年6月高知県議会の岩城孝章副知事答弁。自治体100%出資の「とさでん交通」が「第三セクター」であることを何度も強調した=同年6月30日。県議会議事録より

自治体100%出資会社に転換

西岡さんが土佐電鉄を去った数カ月後、県が主導して土電と県交の再編がスタートする。路面電車とバスを持つ土佐電鉄は私的整理の形で解散、バス専業だった高知県交通(県交)も私的整理で解散させ(解散日付はともに2014年11月1日、特別清算完了は2018年)、西岡さんに四国銀行が催告書を送った同日、2014(平成26)年10月1日に自治体100%出資会社の「とさでん交通」を誕生させた。共同新設分割という手法だが、「統合」と表現しても誤りではない。新生「とさでん交通」は株式の50%を高知県、34.97%を高知市が持ち、残りを県中央部の11市町村が保持している。民間の資本が全く入っていないため、つまり官民共同という第三セクターの本質から外れているため、第三セクターではない(国の定義はあいまいで、民間資本ゼロでも第三セクターと呼ぶ場合もあり)。公設民営と呼ばれることもあるが、実質的に行政が経営権を握っているので民営とは言い難い。

統合直前、2014年5月1日付の四国銀行資料を見ると、同行が土電+関連会社に保有する債権は25億5900万円。県交+関連会社には25億6500万円あり、両者を足して51億2400万円が四国銀行の持つ土電・県交の債権だった。各種資料によると、他行(四国銀行を除いて5金融機関)分を足した土電・県交の債務は75億円だったので、四国銀行以外の5金融機関が24億円分の債権を持っていたことになる。2018年まで続く特別清算(不良債権や売却対象資産を処理)の過程で6行すべてが債権の一部放棄に応じてきた。その額は両社の統合前から県が繰り返し「26億~28億円」と説明している。単純計算で6行は3分の1程度の債権を放棄したとみられる。

2014年6月高知県議会での金谷正文理事発言。「5年間でおよそ10億円を計画的に返済」と答弁したが、8年後の借入金はスタート時とほぼ同じだった=同年6月26日。県議会議事録より

土電には「44億円の固定資産」

数字が多くなって申し訳ないが、土電・県交の借入金を整理しておこう。➀土電・県交時代に借入金は75億円あった。②「とさでん交通」の資料を見ると、会社誕生時(2014年10月1日)の借入金は37億6000万円。③つまり全体債務の50%を「とさでん交通」が引き継いだ。④「とさでん交通」資料によると、同年度末(2015年3月末)時点の「主要な借入先と借入額」は四国銀行から18億4555万円、高知銀行から5億3530万円、合計で23億8085万円。⑤土電・県交から引き継いだ借入金(37億6000万円)との差額、13億8000万円の内実はよく分からない。四国銀行、高知銀行以外の金融機関からの承継分という可能性がある。

要するに、もともとの借金75億円を「とさでん交通が承継」と「旧会社に残す」に半分ずつ分けたということだ。承継借入金の融資機関トップは四国銀行で、承継分37億円の半分、18.5億円を占めた(年度末の数値18億4555万円からの推測)。

ちなみに8年後の2023(令和5)年3月末データでは「とさでん交通」の借入金は37億7198万円。立ち上げ時とほぼ変わりはなかった。内訳は四国銀行が17億8697万円、高知銀行が7億6966万円、みずほ銀行と高知信金、商工組合中央金庫で計12億1535万円。8年間で四国銀行からの借入金がやや減り、高知銀行が増えている。登記簿を見ると、デンテツターミナルビル(高知市はりまや町1丁目)などさまざまな不動産に四国銀行が総額24億6500万円分、高知銀行が総額11億2000万円分の根抵当をつけていた。

統合直前、2014年6月の高知県議会で県中山間対策・運輸担当理事の金谷正文氏は〈土佐電鉄に関しましては、事業に必要な本社建物やデンテツターミナルビルなどの不動産や有価証券など、合わせておよそ44億円の固定資産を新会社に承継〉〈高知県交通につきましても、同様に事業に必要な出張所や車庫などの不動産、有価証券などおよそ3億円の固定資産を新会社に継承〉と答弁している。44億円プラス3億円というのは簿価だろうが、四国銀行と高知銀行の承継時貸付額23億8085万円をカバーするくらいの担保価値はあると見ていいだろう。担保があるうえに行政が経営しているのだから、優良債権と言っていい。

四国銀行から西岡寅八郎さんに送られてきた催告書より

手形ジャンプを放棄、保証人に催告

西岡さんと四国銀行の問題に戻る。西岡さんが催告された8億4000万円はどのような種類の債務だったのか。2014(平成26)年10月1日付で四国銀行が西岡さんに出した催告書を見ると、貸付債権はこう列記されている。

➀金1949万5000円。平成26年6月30日付手形貸付による貸付金7500万円の残元金。弁済期日平成26年9月30日。②金1億400万円。平成26年6月30日付手形貸付による貸付金1億400万円の残元金。弁済期日平成26年9月30日。③金1億4400万円。平成26年6月30日付手形貸付による貸付金1億4400万円の残元金。弁済期日平成26年9月30日。④金1億6800万円。平成26年6月30日付手形貸付による貸付金1億6800万円の残元金。弁済期日平成26年9月30日。➄金1億8400万円。平成26年6月30日付手形貸付による貸付金1億8400万円の残元金。弁済期日平成26年9月30日。➅金2億2000万円。平成26年6月30日付手形貸付による貸付金2億2000万円の残元金。弁済期日平成26年9月30日。

計8億3949万5000円。手形貸付なので、いずれも運転資金だったと思われる。最初の振出日は2012(平成24)年7月31日から2013(平成25)年2月28日にかけて。元の金額は合計で14億4000万円だった。①~⑤は一部を返済後、2013年4月に西岡さんたちが去ったあと土電は返済を停止。➅は全く返済をしないままになっていた。当初の返済期はどれも10カ月後で、返済期を迎えた手形は短期で借り換え(ロールオーバー、ジャンプ)を繰り返していたらしい。つまり利息分を差し入れて新しい手形に更新していたとみられる。

2014(平成26)年1月に就いた土電の新経営陣は「とさでん交通」誕生の前日、同年9月30日に借り換えを放棄。即座に四国銀行が連帯保証人へ支払いを求めた構図になる。土電に8億4000万円の支払い余力があったか否かは関係ない。道義的にはともかく、連帯保証人(過去の経営者)に返済を押し付けるのは法的にはぎりぎり勝手にできるからだ。「新経営陣が連帯保証人に損害を転嫁する目的で不当な運用をした」と立証できたら話は別だが、立証は難しい。

2014年6月高知県議会での金谷正文理事の答弁。土電、県交の無担保債権の大部分が債権放棄となった=同年6月26日。県議会議事録より

8億4000万円をめぐる推論

先に示したように、「とさでん交通」が承継した土電・県交の債務のうち四国銀行分は18億5000万円程度だったとみられる。承継直前に四国銀行が土電・県交に貸し込んでいた額は51億2400万円だから、差額は約33億円。これが土電・県交に保有する四国銀行の不良債権だったと推測できる。つまり、不良債権であったがゆえに新会社に承継されなかったと考えられる。

県理事の金谷氏が〈(土電の)およそ44億円の固定資産を新会社に承継〉と説明するように、〈およそ3億円〉の固定資産しか継承しなかった県交と比べて土電には担保力があったと考えていい。担保さえ十分であれば優良債権なのだから、不良債権は土電よりも県交に多かったと推測できる。仮に不良債権(33億円)の6割が県交分だとしたら、四国銀行が保有する土電の不良債権は13.2億円。うち連帯保証人から回収を図ったのが手形貸付の8億4000万円だった可能性がある。

8憶4000万円を基準とするこんな想像もできる。県の金谷正文理事は同じ2014年6月県議会で「今回の債権放棄要請額は両社の借入金のうち無担保債権の大部分」と答弁している。債権放棄要請額というのは前述の26~28億円。2億円の差があるのは、債券回収の達成度によって債権放棄額が変化するからだ。西岡さんらに催告した8億4000万円は債権放棄分の一部だった可能性もある。西岡さんたちから最大2億円程度の債権回収をする予定だったという可能性もゼロではない。西岡さん側の話では、西岡さんから四国銀行が回収したのは1億4000万円分の不動産や預貯金など。社長の竹本昭和氏からの回収額を加えると、2億円に少し近づくかもしれない。四国銀行を含む債権者の金融機関6行は最終的な債権放棄額を明らかにしていない。

2014年6月高知県議会での金谷正文理事の答弁。土電が持っていた44億円分の不動産や有価証券を「とさでん交通」が引き継いだ=同年6月26日。県議会議事録より

苛烈だった県と四国銀行

気になるのは、西岡さんたちへの催告が事務的に淡々と進められたのか、それとも西岡さんを社会的に抹殺する意図が含まれていたのかということだ。抹殺という言葉は穏やかではないが、例えば高知県交通の経営陣は四国銀行から連帯保証の実行を求められていない。土電の経営を引き継いだ県OBの社長と四国銀行出身の専務(いずれも2014年1月就任)も同様だ。そればかりではなく土電の新経営陣は就任半年後に手形の借り換えを放棄し、連帯保証人(過去の経営者=西岡さんたち)にその返済義務を背負わせた。この県OB土電社長は県が50%の株式を持つ新生「とさでん交通」社長に横滑りしたのだから、県がバックについている、あるいは県の差配で動いていたと見ることができる。四国銀行出身専務も「とさでん交通」専務に横滑りしたので、四国銀行も県と共同歩調を取っていたことは間違いない。息のかかった経営陣を送り込んで迅速に債権者破産へ追い込むとは、西岡さんたちに対する県と四国銀行の苛烈(かれつ。むごいほどの厳しさ)な姿勢を表している。当時、県も四国銀行も二言目には「暴力団問題」を口にしていた。西岡さんは「弁護士を通して四国銀行と話をしようとしても、『暴力団とは会わない』と言われて全く会えなかった」と振り返る。まるで錦の御旗のように使われた暴力団問題とはいったい何だったのか、についてはのちのちたっぷりと触れる。

2014年1月に就任した土電新経営陣の特徴は、経営危機を強調したことだ。当時の新聞記事を見ると、経営危機を強調する発言は県関係者と銀行関係者に多かった。例えば高知新聞には岩城孝章副知事の「これほど深刻とは」「危機感が明確になった」というコメントが載っている。土電の経営危機を強調しながら、「土電単独での経営は無理」「県交と統合へ」という流れが作られていった。実際はどうだったのか。解散しかないほど厳しい状況だったのか。もちろん楽な経営ではなかったが、西岡さんたちが辞める直前の2013(平成25)年3月期には土電は2470万円の当期純利益を計上していた。当時の監査役も「保険やビルメンテなど土電には複合的な収益源があった」と単年度黒字の根拠を説明する。ではなぜ副知事自ら「危機感」を口にするほど経営危機が強調されたのか。想像だが、県や四国銀行が土電を思い通りに私的整理しようとすれば経営危機を喧伝するのが早道であり、出資自治体や県民が疑問を持たないうちに手早く処理を進める必要がある。経営危機発言の背景にそのような思惑があった可能性はゼロではない。思い通りの処理をするには邪魔者を潰しておかなければならない。邪魔だと判断すれば徹底的に抹殺した――という仮説も不可能ではない。

2009年3月5日に城西館へ集まったメンバー。前列左から浜田耕一氏、橋本大二郎氏。後列左から竹本昭和氏、藤戸謙吾氏、尾﨑正直氏、浜田常男氏、西岡寅八郎氏

「県を仕切っているトップ」

強制破産に至る生々しい話はのちに触れるが、破産後に免責を求めた西岡さんは高知地裁裁判官の審尋(しんじん。事実関係の問い合わせ)にこのような説明文を書いている。日付は2021(令和3)年3月26日。

〈高知県交通バスを本件会社(土電のこと)に吸収合併させて事業を統合するとともに会社の再建を図るということが事実上の総意となっていました〉〈再建手法としては、県を取り仕切っているトップの間では、当時県からの補助金で何とか運営していた本件会社に対し、地域交通機関に対する国の補助金が出ることになる平成25年から平成26年頃に会社更生法の申請をして法的に債務を整理することがプランとなっていました〉

土電が県交を吸収しようとしていたこと、2013(平成25)年から2014(平成26)年ごろを節目と考えていたこと、私的整理ではなく法的整理を考えていたことを綴っている。目を引かれるのは、単に西岡さんが思っていただけではなく〈県を仕切っているトップ〉の〈プラン〉だったと書いていることだ。前置きが長くなったが、2009(平成21)年3月に城西館で撮ったアルバムに戻る。ここに写っているのが〈県を仕切っているトップ〉なのだ、と西岡さんは説明する。

出席者全員の記念撮影に写るのは、前列左が浜田耕一氏、その右が1年3カ月前まで高知県知事だった橋本大二郎氏、後列が左から土電社長の竹本昭和氏、高知新聞社長の藤戸謙吾氏、高知県知事の尾﨑正直氏、高知市の靴店「つるや」社長で四国銀行中央支店後援会長の浜田常男氏、西岡寅八郎さん。高知県知事は2007(平成19)年12月に橋本大二郎氏から尾﨑正直氏にバトンタッチしていた。土電社長の竹本氏は四国銀行出身だが、西岡さんと同じく土電解散時に四国銀行から同額の保証債務履行を催告された人物。西岡さんによると、浜田常男氏は立会人的な存在だった。

なぜこのメンバーが集まったのか。西岡さんは「土電のことを話し合うためでした」と説明する。だから土電社長の竹本氏が出席しているのだ、と。どういうことか。実はこの会合は軽いものではない。浜田耕一氏は城西館での会合からわずか3カ月後の6月16日に肝細胞癌で亡くなった。83歳だった。病を押して城西館にこのメンバーを集め、ビールを飲み、写真に撮らせ、アルバムにして各人に配る。そこにはおそらく浜田耕一氏の強い意志が存在している。

この会合の背景に、土電の代表取締役に就いた1983(昭和58)年から連綿と続く四国銀行との「約束」があったと西岡さんは説明する。その約束を浜田氏の後継者やその周辺の人々が踏みにじった、それによって自分は地位も名誉も財産も信用も失ったと感じている。しかしそれを的確に証明する人はいない。写真に納まった7人のうち、西岡さんを除くと存命は3人。うち2人は県外で生活している。証言する人がいなくなることも見越した上で、「担保」として浜田氏は写真を残した可能性がある。

実は同じ時刻、城西館に四国銀行の青木章泰頭取(当時67)が来ていた。浜田氏とは別の用事だったと思われる。「(土電社長の)竹本が『(城西館の)玄関に青木頭取が来ちゅう』とゆうがですよ。それで自分も行ってあいさつしました。青木頭取に会ったのはそのときが初めてでした」と西岡さんは振り返る。竹本氏は青木氏とは同世代の元同僚。青木氏は1965(昭和40)年に四国銀行入りし、30歳代で従業員組合の委員長として2500人を束ねた。常務、専務を経て2004(平成16)年に浜田耕一氏の2代あとの四国銀行頭取となっている。この会合の翌年、2010年に同行会長となり、2011年から尾﨑正直知事の後援会長に。2012年からは高知商工会議所の会頭を3期9年務めた。西岡氏が続ける。「浜田耕一さんに『頭取を(会合の席に)呼ばんでえいですか?』と聞いたんです。そしたら浜田さんは『あんな腹のこまいのを(小さいのを)呼ぶ必要あるか』と」。青木氏が組合の若手委員長だったとき、すでに浜田氏は取締役。浜田氏から見ると、青木氏はまだひよっこだったのかもしれない。

2005年の民法改正を解説する中小企業庁の文書。西岡寅八郎さんが1980年代に押した連帯保証の判は無効になっていた可能性がある=中小企業庁金融課「個人保証制度見直しの背景」より

もはや失うものがない

西岡さんが強制破産となった原因は、土電の代表取締役会長として「手形取引保証約定書」に連帯保証の判を押したことだった。実は押印時期が少なからぬ意味を持っている。2009(平成21)年の8月。城西館会合の5カ月後であり、浜田耕一氏が亡くなって2カ月後のことだった。連帯保証の判は1983年に一度押したことを西岡さんは記憶している。なぜまた判を押さないといけないのか?と思って社長の竹本氏に「問題ないかや?」と聞くと、「問題ありません」という返事だった。「四国銀行に『もう1回2人の判がほしい』と言われました」と竹本氏は説明した。四国銀行が判を求めた背景には2005(平成17)年の民法改正があったはずだ。この改正によって極度額や元本確定期限の定めがない包括保証は無効となる可能性が出た。1980年代の書類の多くがそうだったように、かつて西岡さんが押した連帯保証の書類も金額や日時の定めが欠落していたと思われる。通常なら法が施行される2005年4月以前に判を押し直していなければならないが、西岡さんに判を押した記憶はない。判を押したのは代表取締役になった1983年と、竹本氏に求められた2009年の「2回しかない」と強調する。これが事実だとしたら、こんなシナリオが想像できる。民法改正後、四国銀行は西岡さんに判を押し直してもらう必要があった。しかし浜田耕一氏の胸中を忖度したらそんなことはできない。お伺いを立てたものの、浜田氏が認めなかった可能性もある。浜田氏という巨大な障壁が消えたことで、四国銀行は即座に判の押し直しを求めた――。

さらにもう一つ、重要なのは2005年の民法改正で保証期限の上限が5年と定められたことだ。西岡さんが判を押した書類には「平成25年9月30日までの取引により生じた債務を保証するものとします」と書かれていた。では2013(平成25)年10月1日以降に生じた債務はどうなるのか。西岡さんと竹本昭和氏は同年春に土電を離れたため、2人に連帯保証の判を押し直させることはできない。新経営陣は県と四国銀行の「身内」なので彼らに判を押させるわけにもいかない。連帯保証人なしで貸し出すには土電という会社はリスクが大きすぎる。そう考えると手形の借り換えをストップするしかないが、回収にかかれば土電は遠からず倒産する。ならばそれを前提に急いでシナリオを作る必要がある――という論理も推測できる。もっと言えば、2009年に判を押し直させた時点で西岡さんを追い込むシナリオができていたのかもしれない。

西岡さんは連綿と続く四国銀行との間の「約束」を信じていた。それを口にする浜田耕一氏を信じ切っていた。いったいどのような「約束」があったのか。それを証言するのは今のところ西岡さんだけであり、西岡さんの話を盤石に裏付けるものはない。しかも西岡さんは土佐電鉄を破綻に導いた経営者として批判されている。半面、西岡さんはすでに強制破産に追い込まれ、地位と名誉に加えて財産も信用も失った。もはや失うものがない人間だからこそ、少なくとも耳を傾ける意味がある。(つづく)

(C)News Kochi(ニュース高知)

関連記事

  1. 高知パルプ生コン事件とは何だったのか⑧交渉決裂、打つ手なし
  2. なぜ学校で…。高知市立小プール死をめぐる疑問⑮潮江小の教訓はどう…
  3. なぜ学校で…。高知市立小プール死をめぐる疑問➃市教委の決定前に決…
  4. イラクの子どもに医療支援を。20回目のチョコ募金、ことしもスター…
  5. なぜ学校で…。高知市立小プール死をめぐる疑問㉕50万円の負担も無…
  6. 高知県の行政不服審査を検証する⑤遂に訴訟の舞台へ
  7. 高知県の行政不服審査を検証する➇判決は2026年1月
  8. よみがえる物部川➅“盤石の森”が崩壊した

ピックアップ記事









PAGE TOP