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龍馬記念館のカリスマ、最期のカウントダウン② 高知新聞が大好きだった

森健志郎さんが高知県立龍馬記念館の館長に迎えられたのは2005年(平成17)年の8月だった。高知新聞を去って中国・新疆に留学後、何の組織にも属していなかったときである。前任の小椋克己さん(元高知放送ニュースキャスター)が病に倒れたあとを受け継いだ。(依光隆明)=本文は敬称略

森健志郎さん。龍馬記念館の館長といえば今でも森さんを思い出す人は多い

館長になっても社会部記者

2005年8月8日の朝だった。龍馬記念館元学芸監の前田由紀枝はそのときのことを鮮明に覚えている。

「忘れもせん、駐車場で『オウ!』と声かけられて」

瞬間、前田は「あ、きっと新しい館長や」と思った。「次の館長は64歳ゆうて聞いちょったき、年寄りやと思いよった。若々しかったきびっくりした」

元気よく森の言葉が続いた。「オウ、事故せんように気をつけないかんぞ」。前田は「面白い人やな、事故せんようにってどういうことやろ」と思いながら館に入った。

怒涛の日々が始まった。

「館長室の椅子に座って机に足を上げるわ、ぎっちり携帯で誰かに電話するわ。出てくる言葉は『バカ』『アホ』『オイコラ』。めちゃめちゃやけんど、ニコニコしゃべるき面白いわねえ」

下戸の森はコーラをよく飲んでいた。伝説的新聞記者でありながら、しかも荒くれぞろいの社会部育ちでありながら、一滴も酒を飲まない人物は珍しい。高知新聞時代から「酒を飲む奴は信用せん」とも言っていた。

態度といい、乱暴な言葉といい、館長になっても森は社会部記者のままだった。口から出る話題は新聞のこと。前田が言う。

「高知新聞が大好きながやき。話すのは高新のことばっかり。辞めても高知新聞記者やった。根っからの新聞記者やった」

森にとって龍馬の世界は全くの畑違い。館長に就けようとしたのは時の知事、橋本大二郎だったといわれている。

 

館内の展望室。森さんはこの椅子に座って太平洋を見るのが好きだった

年末年始は大工仕事、自前のお金でCM

館長に就いたときのことを、森は前田にこう話したことがある。

「館長になって、ゆっくり本でも読もうかと思いよったがよ。そしたらすぐお盆になって、Tシャツ茶髪の若い兄さん姉さんがいっぱい来て、一生懸命(展示を)見ゆう。それでエンジンがかかった」と。いったんエンジンがかかってしまうと誰にも止められない。

怒涛の日々は大工仕事から始まった。前田が振り返る。

「いきなり館内の故障箇所を全部直していった。自分たちの手作業とボランティアで。お金がないき、知り合いを呼んで。その年から休みもなくなった」

故障の修繕が終わったあともいろいろなところを直していった。ルールやマニュアルを直すわけではない。館を物理的に直すのだ。

当時、龍馬記念館は年末年始の6日間を休館していた。森が館長になった2年目から年末年始も開館するのだが、実は1年目も前田は休めなかった。

「休館だけど休みはなかった。年末年始に事務所を作ったがやも。『来んがかや』『おまえ来なあいかんろうが』って言われて。毎日出てきたのは私と副館長。森は必ずおった。館長がいつもおるがやき、こっちもたまらんわねえ」

年末に事務室を作り、耐火金庫を二つ並べて収蔵庫も作った。

「ドア付きの壁も作って、『収蔵庫』と名前を付けて。それまで収蔵庫がないために展示資料を貸してもらえんことも多かったき。森が知り合いの業者を呼んで、ボランティアで工事をさせて。森も大工道具を持って座り込んでやりよったきねえ。くぎ、トンカチ持って。それだけお金がなかった」

森のことを前田は「ブルドーザー」と表現した。予算も人手もない中、すさまじい行動力で龍馬記念館を変えていく。

「龍馬記念館が初めてのコマーシャルを打ったとき、その費用30万円を森が自腹で払うたこともある。とにかく何でもやった。えらかった。森が亡くなったあとに来たいわゆるお役人を見よったら余計に思う。森はえらかった」

森さんが愛した高知県立坂本龍馬記念館

「とことん嫌われたわねえ」

龍馬記念館は県立の施設であるが、県の指定管理者(公募で選定)として公益財団法人高知県文化財団が管理運営している。森が着任した当時の財団運営は指定管理ではなく県の委託だった。

委託にしろ指定管理にしろ、県の施設を管理することに変わりはない。しかも籍を置く文化財団は県の外郭団体だから、組織体質はほとんどお役所。坂本龍馬と同じく、森はお役所的な組織が管理できるような人間ではない。結果、どうなるか。

「とことん嫌われたわねえ、県や財団に」と前田がため息をつく。「たてつくし、いらんことするし、前例つくっていくし、細かく言うたらきりがない」

と言いながら、手近な例を挙げた。

「今でこそ自販機があるろう。森が来るまでは自販機も置けんかったがよ。『喫茶コーナーは作れない』というのも、『喫茶やない、休憩コーナーや』で押し切った。とにかくやることが速い。ぎっちりいろんなことを考えゆう」

龍馬記念館の展示から。坂本龍馬のこの言葉のような心境だったのかもしれない

「誰っちゃあ褒めてくれん」

森が館長になって忙しさは倍加したが、いくら働いても、入館者が増えても前田の給料は上がらなかった。県文化財団の雇用は複雑で、県からの出向組、文化財団プロパー、嘱託職員、契約職員が一緒に働いている。プロパーも嘱託職員も仕事内容や責任は同じなのだが、給料が違う。前田は嘱託職員だった。森が前田に目をかけたのは、お役人的でないハングリーさを感じたからかもしれない。

あるとき前田は「給料ちょっとは上げてください」と森に言う。あまりにも安かったからだ。森の返事はこうだった。

「わしやち一緒や。誰っちゃあ褒めてもくれん」

実績を上げたら褒められるのが民間の世界だが、お役所は違ったということだ。県や財団当局にとっては、県の敷いたレールの上できっちりと予算消化だけをやってくれる人物が理想だったに違いない。森の後ろ盾になるはずだった(と思われる)橋本大二郎は、政権末期のダッチロールに入りかけていた。2007(平成19)年には知事引退を表明する。

(C)News Kochi(ニュース高知)

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