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四国山地リポート「考えぬ葦・ヒト」の営為② 山鳥坂ダム③クマタカと御用学者

大洲市肱川町山鳥坂(やまとさか)。自然豊かな清流、河辺川を包み込むように山鳥坂ダムの工事が進んでいる。これまでに見たように、1982年の発表以来、計画はあぶくのように消滅と復活を繰り返してきた。「利水」から「治水」に目的が変わったように、その効果もぼやけている。唯一、極めて明瞭なのは周辺環境の激変だ。高さ約96m、堤頂長約279mの巨大ダムが山峡を塞ぐ影響は、あらゆる生態系を直撃する。(西原博之)

肱川流域にそびえる山々を見渡す。手前尾根の向こうに河辺川がある

全国屈指の豊かな生態系

2004年12月、国交省山鳥坂ダム工事事務所は学識経験者や専門家で組織する「環境検討委員会」を設置した。併せて環境影響評価法に基づき現地の環境影響調査(環境アセスメント)をスタート、節目ごとに委員会を開催して論議を重ねた。調査が進むにつれて明らかになったのは、そこに県内はおろか四国、全国を代表する豊かな生態系が育まれている事実だった。

日本野鳥の会愛媛の会員、大洲市肱川町の瀧野隆志さん(68)と現地を歩いた。瀧野さんの自宅は山鳥坂ダム建設地のごく近くにある。毎日出勤前に河辺川の周辺をチェックし、生息する野鳥を記録してきた。一緒に近くの頂へ登る。中予から南予、遠くは大分県の由布岳まで見渡せる360度のパノラマが広がった。「肱川流域一帯は私の庭同然」と、瀧野さんが双眼鏡と望遠レンズで鳥を待つ。カラスやトビが飛ぶ。1時間後、ノスリが3羽舞った。「そろそろ出るかもしれません」と瀧野さん。待つことさらに1時間。出た! クマタカだ。1組のつがいが空を舞い、上昇し、急降下する。「森の王者」とも形容される、その優雅な飛翔に思わず見とれた。クマタカは森林に君臨する生態系の頂点、日本の誇る猛禽類だ。日本版レッドリストでは絶滅危惧ⅠB類(近い将来における野生での絶滅の危険性が高い)に分類されている。

一帯は野鳥をはじめ、生物の多様性が極めて高い。瀧野さんはここの自然を誰よりも熟知している。どこでどのような工事をしたら環境がどうなってしまうか、体で分かるとのだと説明する。瀧野さんはこんな表現をした。「地元にはお宝がたくさんあるのに、外人部隊に沈められるのは悲しい」。瀧野さんが憤るのは国が行ったアセスメントの浅薄さだ。数十年にわたって現場で調査を重ねてきた瀧野さんから見ると、国の調査は意図的ともいえるほど浅い。瀧野さんは「国の調査員も個人的に知っているが、調査ができる資質ではない。特に、国に取り込まれてからは人が変わってしまった」とぽつり。目を上げ、遠くの山を眺め続けた。

望遠レンズを構え、肱川流域の野鳥を観察する瀧野さん。一帯の自然を知り尽くしている

検討委員の反応鈍く

検討委員会を筆者は欠かさず傍聴した。自然科学者でもある筆者から見ると驚きの連続だった。どの会でも唖然とさせられるシーンが繰り返されたのだ。そこに生息する生物として、貴重な昆虫や野鳥が次々に報告されるのを興奮しながらメモしたことを覚えている。オオクワガタに代表される希少昆虫、クマタカ、オオタカ、サシバ、ヤイロチョウ、ミゾゴイなどの貴重な野鳥、コバノチョウセンエノキ、コシロネなどの植物。最終的には、事業実施区域や周辺で確認された天然記念物または環境省・県のレッドリスト記載種は動物94種、植物74種に上った。この数字はすさまじい。委員から「建設地の変更を」の声が出ても不思議はない。

ところが居並ぶ委員の反応は鈍かった。専門家であるはずの彼らがそのような希少種を知らないはずがない。旧知の専門家も口が重かった。瀧野さんの指摘通り、「国に取り込まれた」懸念を疑わざるをえないありさまだった。「アセスの結果、工事は環境に影響しない」という結論ありきの議論に見えるのだ。旧知の委員に憤ったことがある。「あなたはそれでも自然科学者か。あの会議での発言はなんだ。あなたは永遠に御用学者として記憶されることになるんだぞ」と。その委員は口を閉ざしたままだった。県内を代表する学者として数々の政策提言を行ってきた気鋭の若手だったが、山鳥坂ダムのアセスメントに関しては腹立たしいほど存在感がなかった。

クマタカの飛翔。雄大な姿に見とれてしまう=2022年2月、愛媛県大洲市河辺町で瀧野隆志さん撮影

動物調査2700万円、鳥類調査4900万円

こんな話もある。現地で野鳥の調査に当たった調査員は筆者の知り合いだった。専門家として尊敬してきたし、環境関係のニュースを書く際は専門家としてアドバイスや知見を教えてもらっていた。それが、山鳥坂ダムの調査を委託されたとたんに環境保全行政へのスタンスが変化したのだ。そのことと関係があるかどうかは不明だが、それまで使用していた古いジープから新車の大型RVに乗り換えたことを今も覚えている。別のある専門家は「彼はクマタカ御殿を建てた」と揶揄していた。実際に何かがあったのだろうか。

ちなみにこの調査で支出された主な公費を挙げると、▶2007年度動物調査2700万円▶07∼08年度動植物保全対策検討業務4800万円▶07年度評価書作成業務3700万円▶07∼08年度鳥類調査4900万円――など。いずれも国交省の予算である。筆者も環境省からチョウ類調査を委託されているが、年間数万円のガソリン代が支出されるだけ。けた違いのこの金額が、調査の結論に影響を与えなかったかどうか。札束の威力で国交省の軍門に下った人間がいるとは思いたくないが…。

滑空しながら獲物を探すオオタカ。優雅な飛翔だ。愛媛県レッドリスト絶滅危惧Ⅱ類=2021年10月、河辺町名荷谷で瀧野さん撮影

クマタカ外し、禁じ手の「移植」まで

環境検討委員会に話を戻そう。会議の進め方や議論内容にもたびたび驚かされた。事務局を務める国は、生態系の頂点であるクマタカを調査の指標となる「注目種」から外し、下位に位置するオオタカとサシバを選んだ。最も貴重な鳥を視野から外したとしか思えない露骨な手段だった。しかも前述の調査員はこのオオタカの生息実態さえ把握しておらず、瀧野さんによって調査の漏れを指摘されるおまけまでついた。瀧野さんは建設予定地を舞うオオタカを撮影、筆者はこの発見を新聞に書いた。瀧野さんは「普通に調査すれば発見できる」と話すのだが、おそらくその言葉には「普通の調査がされていなかった」という皮肉が込められている。

次々に明らかにされる希少種のうち、委員会では昆虫3種と植物22種について「影響大」として対策を提案した。しかしそれは禁じ手ともいえる「移植」だった。専門家なら決して採用しない手法である。生物には生き残りのルールがある。その「種」を他の場所に移せばそこに生息する生物と生態的地位をめぐって競合する。その結果、在来の種か移植された種か、どちらかが生き残れないのである。種の消滅どころか生態系全体の多様性が失われる恐れすらある。「移植」に象徴されるように、生物学の常識を無視した議論が延々と続く。

水没予定地には南予と高知の限定地だけで見られるヤイロチョウや、日本だけが繁殖地であるミゾゴイなど他に類を見ない貴重種の生息が確認されているのだが、それについての議論もない。生物学者の一人として、筆者は暗澹たる思いでこの議論を聞き続けた。

極めつけが、事務局を務めた国交省側の発言だった。貴重種の問題で議論が停滞しているのを受け、「いつまでも調査しているわけにはいかない」「間に合わない」と本音を漏らしたのだ。アセスメントは工事のアリバイづくりだという本音がこの発言に集約されている。どんな貴重な種がいようと、それは取り上げない。結論ありきとしか思えない発言だった。

ヤイロチョウ。豊かな森にしか生息しない。高知県の県鳥でもある。環境省レッドリスト絶滅危惧Ⅰ類=2019年5月、山鳥坂ダム水没予定地で瀧野さん撮影

生態系をコストに入れず「費用対効果」

アセスメントには段階があり、方法書、準備書を経て評価書が決定される。いずれの段階でも「環境に問題なし」の結論が用意されていた。取材過程で疑問を呈し続ける筆者に対し、工事事務所の調査課長はこう言った。「あなたはアセスメントを問題視しているが、ダム建設自体に反対しているわけではないのでしょう」。ダム建設が唯一無二の目的となった役人の意識の底に触れ、ぞっとした記憶がある。結局、環境アセスは膨大な調査費用を費やして「工事は周囲の生態系に影響を及ぼさない」という結論を出した。失われた環境は、元には戻らない。

公共工事を評価する手法として費用対効果(費用便益比)がある。かかった費用を便益がどれほど上回るかという指標である。これが1を上回ると費用を効果が上回る。つまり、工事に要した税金以上の利便性が確保されたことになる。たとえば堤防整備なら7から8程度とされる。山鳥坂ダムはどうかといえば、国交省によると1.3。数値の低さにも驚かされるが、しかもこれは机上の空論だ。何より、失われた自然に対する評価がなされていない。ダム工事で失われた、そして今後失われるであろう自然の価値を評価すれば、1をはるかに下回ることは間違いない。

何万年もかけて築き上げられてきた生態系に国交省は価値を見出さない。コンクリート建造物にしか価値を見出さないその思想が、日本の公共工事を貫いている。

山鳥坂ダムの資材置き場に場所を取られ、圧迫されるように流れる河辺川

後継市長は国交省の初代ダム所長

大洲市菅田町の有友正本さん(75)は、いまもダムで水害防止はできないと確信している。瀧野さんや有友さんら、ダムを懸念する人々は40年以上にわたってダム建設に対峙してきた。2009年にはこの間の運動をまとめ、肱川漁協の組合長だった故・楠崎隆教さんらの意見を盛り込んで「肱川-清流の復活を求めて」を出版した。流域住民のダムに対する意見を対談形式でまとめた際、筆者は司会を務めながら住民の思いに触れた。

2009年1月、超党派の市議でもあった有友さんは「ダムを含め民主的で開かれた市政」を訴えて大洲市長選挙に立候補した。結果は現職だった大森隆雄氏が1万3390票、有友さんが1万2488票。敗れたものの、902票差に迫ったこの結果は、いかに多くの市民がダムに疑問を持っているかの証だった。結果に危機感を抱いたのだろうか、選挙後に大森氏は副市長に国交省の官僚を招く。県土木部長を務めていた清水裕氏である。清水氏は初代の山鳥坂ダム工事事務所長を務めた人物だった。副市長に清水氏が就いたとき、有友さんは「地方自治体を植民地化しようとしているのでは?」という懸念を口にした。当選したばかりの大森市長が2009年8月に亡くなったあと、大洲市長になったのは清水氏だった。有友さんは、いまも各界の市民運動家と交流し、ダムや公共事業の問題点を追及している。

公共工事は地域を分断し、コミュニティーを引き裂くことがある。巨額な公金を投じ、地域の生態系を破壊し、出来上がったダムは洪水防止に役立つかどうかも分からない。住民を置き去りにし、金と権力で地方を抑え込む手段として、ダムは象徴的な構造物なのかもしれない。愚かな人間の営為を、滅びゆく生物たちは冷徹にみている。(山鳥坂ダムシリーズおわり)

ミソゴイ。日本でしか繁殖しない貴重な種だ。環境省レッドリスト絶滅危惧Ⅱ類=2023年4月、山鳥坂ダム建設予定地近くで瀧野さん撮影

(C)News Kochi(ニュース高知)

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