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龍馬記念館のカリスマ、最期のカウントダウン④有言実行、アメリカへ

2005(平成17)年に高知県立龍馬記念館(高知市浦戸)の館長となった森健志郎さん(1941∼2015)は、元新聞記者らしい独自の感覚で館を変えていった。先頭に立って旗を振る森さんを、部下として支えたのが同館の学芸課長や学芸監を歴任した前田由紀枝さんだ。引き続き前田さんに森さんの足跡をたぐってもらう。(依光隆明)=本文は敬称略

森健志郎さん

強行軍で「拝啓龍馬殿」14人を取材

「反骨の農民画家 坂本直行展」を終えた2007(平成19)年、森は「拝啓龍馬殿」に注目した。龍馬記念館の中に置かれたポストである。開館した1991(平成3)年に設けられ、入館者が坂本龍馬あての手紙を投函していた。

「16年分がストックされちょった」と前田が説明する。16年間分の手紙は12000通あった。「その手紙を読みよった森がしきりと『おい、面白い人がおるぞ』って言うき、聞かんふりしちょった。聞いてしもうたらまた何かやらないかんなるき」

16年間分の手紙に目を通した森は、これを書籍にしようと考えた。

「16年分の『拝啓龍馬殿』から3000人を選び、全員に手紙を出した。『今度本を作ります。ついてはあなたの手紙を載せてもいいか』と。1000人は住所不明で返送されてきた。1000人は返信がなかったのでイニシャルで載せることにした」

残りの1000人からは積極的な返信が戻ってきた。近況報告を書いてくれた人も多かった。近況報告に森は注目した。

「近況報告のあった人の中から各年1人を選ぶことにした。地域、年齢、男女のバランスを取って毎年1人。その16人を取材して書籍に載せるゆうて、結局私にその取材が回ってきた。14人分」

前田は翌2008年の1月から3月にかけて取材に回った。フジテレビ系の高知さんさんテレビがドキュメンタリー番組にすることになり、プロデューサーの林寛と打ち合わせをした。取材にはディレクター兼アナウンサーの斎藤晴江とカメラマンが同行した。

「一番最初が福岡で、それから広島の可部町、神戸の長田区、大阪、奈良、三重の四日市…。1泊2日か2泊3日で何人かを取材するペースで回った」と前田が振り返る。「森が『この先生、面白いぞ』って言いよった先生が伊豆諸島の利島におって、その先生と東京の有楽町で会うて。それから埼玉県の熊谷に移動して1人を取材して、新潟県の長岡まで行って泊まって、翌日は長岡で次の1人を取材して。新幹線で東京に戻って、ぎりぎり飛行機に間に合うて高知に戻ってきた。1泊2日。長岡が北限やった」

16人のうち2人はいずれも高知市在住で、森が取材した。

「文章はうまいわねえ、やっぱり」と前田が感心する。「私が書いた原稿を自分流に書き直す」と腹を立てながらも、森の文章には一目置いていた。

鳥島に漂流した万次郎を救い出した米捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の模型(高知県立坂本龍馬記念館)

空白の半日を使って中濱家に

過密スケジュールの中、名古屋で前田の予定が半日だけ空白になったことがある。前田はジョン万次郎(中濱万次郎)の子孫、中濱家に行くことを考えた。

「龍馬記念館と中濱家は直接会ったことがなかったがよ。森に『中濱家に行きたい』って言うたら『行けや』と。2008年3月の中旬か下旬やったと思う。行って、当主の中濱博さんに会うてきた」

中濱博は万次郎のひ孫に当たる。順番にたどると万次郎の長男が東一郎で、東大医学部で森鴎外と同級だった人物。医師として東京を始め福島、金沢などで活躍した。次の当主が次男(長男は夭折)の清で、慶応を出て王子製紙に勤務した。清の長男として生まれた博は名古屋大医学部を卒業し、東京の病院を経て名古屋に移住して医師を務めた。

「博さんに『写真を撮らせてください』と言うと、『遺影になるかもしれないから、きれいにとってくれ』と。『そんなことないでしょう』と言ったけど…」

前田が話を聞いた直後の2008年4月3日、中濱博は79歳で亡くなった。遺族から「写真を送ってほしい」と言われ、撮ったばかりの博の写真を送った。

森が構想した書籍は2008年夏に『ほいたら待ちゆうき龍馬―入館者の龍馬への手紙「拝啓龍馬殿」』(高知県立坂本龍馬記念館編)として出版された。16人へのインタビューのほか、入館者の手紙1500通を載せた。さんさんテレビの番組は「『拝啓 龍馬殿』~桂浜に寄せられる“希望”~」と題して翌年夏に放送された。

高知県立坂本龍馬記念館

子孫を引き連れアメリカフォーラム

2008(平成10)年のある日のことだった。森は3年後の20周年イベントについて前田に胸中を明かす。2011(平成20)年に開館20周年が迫っていた。

「私に『おい、笑うなよ』と言ってきて。『なんです?』って聞いたら『20周年の2011年、アメリカでフォーラムを開くぜよ』と。で、『龍馬と勝海舟とジョン万次郎の子孫を連れて行く。龍馬の一番行きたかった合衆国へ行って、龍馬が一番会いたかったプレジデントに会わせる。龍馬が一番やりたかったがは自由、平等、平和やき。子孫3人をプレジデントに会わせて、ホワイトハウスで平和宣言をするがぜよ』」

前田は「面白いですね」と応えた。前田の反応に意を強くしたのだろう、森は言葉通り米国行きへと突き進む。予算は日本財団の助成を当てにした。

「森が『日本財団から金をもらわないかん』ゆうて。私、『亀山社中と海援隊』のときに日本財団から助成金を430万円もろうて付き合いがあったがよ」

2009年から3年連続で助成金をもらおうとした。毎年、申請を出すのである。「亀山社中」のときと同じく前田が申請書類を作った。大変な作業だった。3年計画で、3年目がアメリカ龍馬フォーラム。初年度と2年目はそれに向けたイベントをしていく。助成金の使途は限定されているから、精緻な計画が欠かせない。

「森が『一人でやれ』ゆうき、全部私にかかってくるやいか。森はひたすら怒った。『どうするがな!どうするがな!』『どうするがなお前は!』って。2年目の2010年、森に責められてとっさに答えたのが『土佐海援丸で高知―土佐清水間1泊2日の航海をする。航海日誌や発表で高校生を選抜し、アメリカに連れて行く』。森がそれに飛びついた」

土佐海援丸は県立高知海洋高校の実習船で、遠洋マグロ漁業に向いた400トン型の船型をしている。世界の海を駆け回る遠洋マグロ漁船と同じく、外洋航海も可能。海洋高校は毎年、米国ハワイまで2カ月の実習航海を行っている。

「結局、助成金は3年続けて満額もろうた。船、海、子どもたちというキーワードで申請して。初年度が600万円くらいで、最後の年が1300万円、3年の総額で2650万円だったかな。それなりの成果は出さんといかんし、お金に押しつぶされよった」

本番は2011(平成23)年10月だった。開館20周年企画として龍馬と海舟、万次郎の子孫と高知の女子高生3人を米国に連れて行った。ほか、県内在住の演奏家や高知さんさんテレビらの取材陣も帯同した。

プレジデントにこそ会えなかったが、森と前田は米国各地で計4回のフォーラムを成功させる。この年の3月に起きた東日本大震災を踏まえ、テーマは「自由・平等・平和」に「いのち」を加えた。米国は9.11から10年目だった。貧富の差とテロとの戦争に揺れる現代アメリカで、150年前に龍馬が持っていた新時代の理想をアピールした。

新聞記者的な柔軟思考でオリジナルに発想し、ブルドーザーのように実現する。森の行動力は龍馬記念館の存在感を押し上げた。しかし森は県立施設の一館長であり、所属は県の外郭団体「県文化財団」なのである。森とお役所は時間の流れも、感覚も、信じる常識も全く違う。当然、森の常識は周りの人間を振り回した。

「大変でした。とことん大変でした」と前田。「フォーラムのことでも県はよく思っていなかったと思う」

「アメリカ龍馬フォーラム」でマイクを持つ森健志郎さん

前を向いて汗を流した

県に反対されたことは枚挙にいとまがない。

「森は龍馬記念館をきちんとした博物館にしようとした」と前田が説明する。「そのためには本格的な収蔵庫が必要やって言うて。アメリカフォーラムの前後に無理やり作った。渋っていた県を押し切って、職員の休憩室をつぶして」

龍馬記念館は一人前の博物館としては認められておらず、「博物館類似施設」の扱いだった。本格的な収蔵庫がなければ他館から大事な品を借りることはできない。温湿度管理ができる展示ケースも同様だ。県と衝突しながら、森は一つ一つ解決しようとした。

「県立歴史民俗資料館から武市半平太の短刀を借りようとしたときも、『きちんとした展示ケースがない。管理が十分できないと思われるので展示させない』と言われて。県立美術館にそのケースを借りて、無理やり展示した。ケースは美術館から龍馬記念館まで運びこんだ。搬入口がないため重量の重いケースを8人がかりで持ち上げて搬入した。塩害があるとか、日が当たるとか、いろんなことを言われるがよ」

所蔵の大切な品が傷んだら大変だ。温度管理や防犯、気密性などなど、所蔵品の安全が担保できる施設でないと貸したくない。全国の館が持っている当然の思いに応えるためには、館の充実を図るほかなかった。

「事務所のスペースも替えて、講義室も作って、ショップも作って、出入り口も替えた。それまで入口は2階にあったき、車いすの人にはそこまでのスロープがきつかった。車いすの人たちのことを考え、出口だった1階と替えた。展示室の配置も、展示の動線も、だいぶ変えた。温度管理ができるケースも増やしていった。汗を流さん人間がいろいろ批判するけんど、森は汗を流して頑張ったきねえ」

(C)News Kochi(ニュース高知)

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