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高知市による民有地占拠疑惑⑨「許可」と「廃止」で地番が違う!

高知市福井町の古谷寿彦さん(80)、滋子さん(79)夫妻が自宅近くに子どもの遊園「あそび山」を作ったのは2005(平成17)年だった。直後から高知市とトラブルになり、係争は今も続いている。係争場所は「あそび山」に入る通路橋の入り口だ。市役所は水道局用地の一部だと強く主張し、古谷さんは水道局用地が突然東に延びた構図を指摘する。(依光隆明)

水道局施設の門扉からゼブラが延びる。右奥の花壇までが水道局用地の1807番地だ、と市は主張している

ある警察官のアドバイス

2024年8月2日、「市役所に行ってつい大きな声を出してしまった」と寿彦さんが頭をかいていた。寿彦さんによると、耕地課で話をしているときに若い職員が「裁判で結果は出ている」と言い返してきた。聞いた瞬間、つい反発してカッとなった。「経緯を知っているのか、誰がそんなことを言っているんだ」と。

すでに見たように、古谷さん夫妻と高知市の係争地について裁判所は判断を下していない。念のために再掲すると、2008(平成20)年に確定した高松高裁の判決文は以下のように書かれている。

〈(橋入り口が1807番地であり、その管理のために車止めを設置したという高知市の主張は)その根拠として提出する農道用地実測図が必ずしも公図による1807番土地並びに高知市福井町字口(くち)ホソ1806番1、同所180番2及び同所1805番地などの土地の位置関係と一致していないことからも直ちに首肯し得るものではない〉

「通路橋の入り口は市水道局用地の1807番地」というのが市の主張だが、高松高裁はこの主張を認めていないのである。市が作った農道用地実測図に信が置けないということだ。この実測図に十分な正当性がないことはNewsKochiの情報公開請求でも明らかになっている。ところが高知市は前市長の岡﨑誠也名で2009(平成21)年にこの職員と同じ見解を示していた。つまり「裁判で決着」が当時の市役所の見解だったと言っていい。しかしそれはもう15年も前のことであって、いまだに市職員がそれを口にするとは寿彦さんも思わなかったらしい。とはいえ市職員を威嚇したと見られたら警察官に拘束される恐れがあるのは前回見た通り。寿彦さんはしきりと恐縮していた。

2015(平成27)年にあわや拘束されかねない目に遭ったあと、寿彦さんは警察官の人たちと仲良くなった。実は古谷さん夫妻はその前から警察関係者に親しい人が多い。あるとき、その一人が「あそび山」にやってきて古谷さんに話しかけた。「許可を得て(通路橋を)造って、なんで揉めるがやろうねえ」と。話しているうち、ふとこう言った。「危険物のタンクは消防に書類を出さないかん。それがどこにあるかを調べたら面白いかもしれんよ」

1980年の「危険物貯蔵所設置許可申請書」。設置場所は「1807番地」になっている

非常電源用に重油2900リットル

水道局の施設(北部高地区加圧送水所)には予備電源を動かすための原動機が備えられている。それを駆動させるために必要なのがA重油で、同送水所には2900リットルが貯蔵されている。2013(平成25)年、寿彦さんは市に何度か情報公開請求をした。

開示されたのは1980(昭和55)年の「危険物貯蔵所設置許可申請書」と2007(平成19)年の「危険物貯蔵所廃止申請書」だった(それぞれ違う時期に開示されたと寿彦さんは記憶している)。地下タンクとして造ったものを2007年にいったん廃止し、新たに屋外タンクを造ったということだ。古谷さん夫妻は地下タンクが置かれていた地番に注目した。「許可申請書」にある地番は1807番地で、「廃止申請書」にある地番は1808番地。しかも最後の7を8に無理やり直したように見える。これはいったいどうしたことか。

2007年の「危険物貯蔵所廃止申請書」(左)。設置場所は「1808番地」だ。よく見ると7を8に直したようにも見える(右が拡大写真)

1807番地では都合が悪かった?

古谷さんは「水道局の用地を無理やり延ばしたき、地下タンクがある場所の地番が変わったがですよ」と自身の見立てを説明する。

①市は水道局用地の1807番地を東に延ばし、通路橋の東まで1807番地にして「実測図」を作った②1807番地の面積は決まっているので(約100平方メートル)、1807番地全体が東にずれた③そのため1807番地の西隣にある1808番地も東に寄った④1808番地が東に寄ったため、地下タンクの位置が1808番地となってしまった⑤しかし地下タンクの位置は1807番地で消防に届けている⑥廃止届も1807番地で出さざるを得ない⑦地下タンクが1807番地にあったら「実測図」と整合性が取れないので、情報公開資料は1808番地に修正した――という推測である。

公図を元にした推定位置関係図。地下タンクは1807番地にある。緑部分が花壇

有印公文書偽造の疑いも

もちろん推測は推測に過ぎないのだが、1807番地で申請した地下タンクが廃止の際に1808番地になるはずがない。地下タンクが自ら歩いたりはしないからだ。誤った地番(1808番地)で起案された書類が漫然と市役所内をスルーし、消防(市消防局)が漫然と印を押したとしたら、市の事務も消防の事務もよほど粗雑だということになる。事務が粗雑でないとしたら市消防局が印を押したあとに誰かが1807の7を8と改ざんしたか。だとすれば有印公文書偽造罪である。公訴時効は7年だから、すでに時効は成立しているが。

市の「実測図」を元にした推定位置関係図。1807番地が東の花壇(緑)まで張り出したため、1808番地が東に移動。地下タンクの地番が1808番地になった可能性がある

そして市の占有だけが続く

警察関係者のほか、古谷さん夫妻には市役所内部にも協力してくれる人たちがいる。そのような人たちがこれまでにいろいろな示唆を与えてくれた。おさらい的になるが、さまざまな情報を集めると事実関係の流れはこのように考えられる。

❶(特定市民に頼まれるなど)何らかの動機で市長または市幹部は市水道局北部高地区加圧送水所の敷地を東に延ばす必要があった。

❷1997(平成9)年、同送水所の門扉から東に離れた場所に市みどり課が33平方メートルの大きな「花壇」を造った。同送水所の敷地内に造ったというのが公式見解だった。つまり花壇の東端までが同送水所用地(1807番地)なのだという理論を構築した。

❸郵便局と県庁を勤め上げた古谷夫妻が退職金で「あそび山」用地(約1500平方メートル)を購入した。整地し、通路橋の入り口が民有地の1805番地であることを公図や近隣の人の話で確認して市に通路橋の建設許可を申請した。

❹市はその申請を認め、市から書類を回された県が通路橋の建設に許可を出した。

❺通路橋が建設されているのを知り、市の幹部は慌てた。市役所内の意思を統一し、通路橋の入り口は市有地であって許可は誤りだったと古谷夫妻に通告した。

❻古谷さん夫妻がどう調べても通路橋の入り口は民有地の1805番としか考えられなかった。古谷さん夫妻は市の主張に反発した。

❼市は通路橋の撤去を求め、バリカー(車止め)とゼブラ(縞模様)ペイントで通路橋入り口の占有を始めた。

❽古谷さん夫妻は1805番地の2分の1の権利を取得、通路橋入り口の地権者として市と係争を深めた。

❾係争の過程で市行政の不審点が次々と明るみに出た。たとえば水道局用地の1807番地に造ったと市が主張していた花壇がのちの説明では農道や水路にも広がっていたり(1807番地に花壇がすっぽり含まれるとしたら1807番地の3分の1が花壇になってしまうので、そのような見解に修正した可能性がある)、あるべき書類がなかったり、情報公開の席に警察官を潜ませたり。

❿NewsKochiの情報公開請求でも通路橋の入り口が市有地だという明確な根拠を市は示すことができていない。

⓫係争地となっている通路橋の入り口を市が占有しているという事実が今も続いている。

(C)News Kochi(ニュース高知)

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