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東日本大震災15年③ここに憩いあれ、ジャズ喫茶

2025年の暮れ、陸前高田は冷たい雨の中だった。2011年3月の東日本大震災で甚大な津波被害に遭った岩手県南東部、陸前高田市。久しぶりに訪ねたジャズ喫茶「h.イマジン」には先客がいた。コーヒー販売の営業マン兼店主の冨山勝敏さん(84)にとって、二十数年来のなじみ客だ。「マスターは変わらないね。逆境に立ち向かって、ここまで来たんですものね」。カウンターを挟んだこんな“賛辞”に、冨山さんは「今日のお薦め」のマンデリンを淹(い)れながら笑みを浮かべた。「何が起きても言い訳をせず、いつも淡々と好きなジャズと好きなコーヒーのある人生を。それが私のモットーだからね」(寺島英弥)

4代目の「h.イマジン」のカウンターに立ち、「逆境なんて思ったことないよ」と笑う冨山勝敏さん=2025年12月26日、岩手県陸前高田市(筆者撮影)

復活から三月足らずで津波に流される

冨山さんの「逆境」は一度では終わらない。福島県郡山市の商業高校を卒業し、東京の大手ホテルグループで取締役まで勤め上げた。風光明媚な三陸で第二の人生を、と2003年12月にログハウスのジャズ喫茶・初代「h.イマジン」を岩手県大船渡市碁石海岸に開いた。が、7年後の深夜に不審な火災で全焼する。培った交友の縁で南隣の陸前高田市にある老朽庁舎を紹介され、200万円で購入。「気仙大工の技の遺産」と保存運動も起きた建物を自らデザインして美しく改装し、再起の店を2010年12月22日に開いた。地元で話題の店になったが、わずか3か月足らず後…。

陸前高田市と大船渡市は岩手県南東部にある。岩手県の太平洋岸は東日本大震災で甚大な津波被害に見舞われた

枯れ枝を折るような音でのみ込んだ

津波の色は黒に限りなく近い灰色だった。見慣れた街を「バキバキ」と枯れ枝を折るような音を上げてのみこんだ。猛烈な土ぼこりを巻き上げ、避難した高台の本丸公園に押し寄せる。「人が乗った車も、逃げ遅れた年寄りも、流されるのを見ているほかなかった」

津波は高さ20㍍ほどの奔流となって高台にぶつかり、駆け上がり、その激しい引き波が手塩にかけて開店させた店を根こそぎさらっていった。「そのままの姿で流されていくのが見えた。最初の店が全焼した時と同じ、頭は真空状態。悔しい気持ちも起こらず、不思議な運命だと他人事のような意識だった。気が付くと、周りには50~60人が呆然と立ちすくんでいた」

2011年3月11日、三陸の静かな街と1700人余りの命を奪った東日本大震災の津波。筆者が冨山さんに出会ったのは9日後、陸前高田市立一中体育館の避難所だった。衝立もない床一面のマットと毛布の上に1200人もの住民が身を寄せ合っていた。一隅に静かに座した冨山さんは、白いひげの穏やかな風貌から仙人のようにも見え、そこで長い旅のような、一瞬の夢のような体験談を聴かせてもらった。そうして、「あの日に避難して以来、街には行っていないんだ。店の跡もどうなったか、見に行かなきゃと思っていた」と冨山さんは腰を上げた。

裸のレコードを手に、津波で街も店もなくなった跡に立つ冨山さん=2011年3月20日、陸前高田市(筆者撮影)

支援のレコード、CDが5000枚

「これはひどい」。街へ続く道の両側に家々の残骸、家財類が盛り上がり、その谷間を、わが家を探す家族が戸惑いながら行き交う。街は原爆野のように消えて海が間近く見えた。本丸公園のふもとにあった「h.イマジン」の跡に残っていたのは、どれも同じ方向に引きちぎられた柱の根っこ、赤い革の丸いす一脚、裸のジャズのレコード一枚。大事な品に思えたレコードを空へ放って、冨山さんは言った。

「振り向かない。津波の廃材などを使って掘っ立て小屋を建てて、やり直しだ。また、h.イマジンの看板を上げよう」。筆者がその時に記した冨山さんの言葉だ。「東京にはなかった人の情が何よりの財産。みんな苦労の日々が続くだろう。心を癒やしに集える場をつくるのが次の仕事だ」

『レコード1枚夢残す 心癒し集える場必ず』。こんな見出しで、がれきの風景にレコード盤を手に立つ冨山さんの写真と記事が、河北新報の社会面に載ったのは翌月の初め。「それからだったよ、避難所に私宛の重い段ボールが届くようになり、開けてみるとどれにもジャズなどの中古のレコードとCDがぎっしり。記事を読んだ全国の人からの復活応援だった」

4代目となった「h.イマジン」のカウンター越しに、お代わりのコーヒーを出しながら冨山さんが回想した。<友人が陸前高田におり、店も家も流され避難所にいる。何ができるか悩んだ時、「癒やしの場を再びつくりたい」という冨山さんの話が響いた>、<店が復活する日のために、ジャズを100枚ほど役立ててもらえたら>、<69歳の冨山さんに、また元気に立ち上がってほしい>。こんなメッセージとともにレコード、CDの支援はその後も、仮設住宅の部屋が狭くなるほど届いて計約5千枚に上った。初代の店の客だった知人から、大船渡市で営むブティックの一画をジャズの「癒しの店」に使って-との誘いもあった。

大船渡市内の仮設住宅に落ち着いたあと、冨山さんは「自分の最終ミッション、淡々と好きなジャズに没頭しよう」とレコードをアーティスト別に仕分けし、ホームセンターですのこを買って色を塗りレコードラックを手作りした。やはり支援品のJBLのスピーカーや真空管などのアンプ、大船渡小で津波に遭い修理・寄贈されたピアノを並べ、「復活の店」を大船渡市内にオープンする。震災からちょうど一年後、2012年3月11日だった。

全国から約5千枚のレコード、CDが届いた。応援の手紙を読む冨山さん=2011年8月2日、岩手県大船渡市の仮設住宅

挑戦と楽しみを忘れずに

筆者も取材の度に訪ねた大船渡の「h.イマジン」は、しかし冨山さんのある決断で閉じられた。なじみの客は戻っても、隣の陸前高田ではがれきの山の跡に、嵩上げ工事の土砂の山が広がっていた。店の跡地を訪れるたび、遠来のボランティアが荒野のような土地で車中泊やテントで頑張っていた。「支援に訪れる人、被災地を知りたい若者、店を応援してくれた人が泊まれるバンガロー村をつくれたら」という思いが膨らんでいった。

冨山さんの行動は早い。書き上げた企画案は国の復興支援の事業に選ばれ、店の跡地には色とりどりの宿泊小屋が建ち、2014年3月11日から貸し出された。冨山さんは大船渡市に作った3代目の「h.イマジン」を閉め、バンガロー村に。ホテルマン経験を運営に生かしたバンガロー村にはそれから延べ500人が宿泊した。ところが、わずか1年7カ月でバンガロー村は撤去されることに。高さ12・5㍍もの嵩上げ工事で造成される新市街地の地盤の下に埋もれる運命となったのだ。冨山さんは落胆どころか、こう語った。「h.イマジンをこの場所に復活させるまで、もう何年掛かろうと私は仮設で待つよ。ここを離れようなんて考えたことはない。何度目の挑戦でも、やってみようじゃないか」

復活させた4代目「h.イマジン」と誇らしげな冨山さん=2021年3月21日、陸前高田市(筆者撮影)

「一度、ここを訪ねておいで」

震災から15年の陸前高田は、いまだ開拓地の新しい町のようで人通りは少なく、住民が戻らないままの「売地」「貸地」も目立つ(人口は2010年比で約5千人減)。その一角、往時と同じ本丸公園のふもとに4代目の「h.イマジン」は看板を掲げる。客がいない日はひたすらジャズに浸れるし、そこへ癒しのコーヒーと会話で元気になりたい常連さん、「マスターに会いたかった」という遠来のファンが来たり、不意に有名ジャズマンが訪れて演奏を披露したり、地元の若者や音楽家が気軽にライブを開いたり。そんな不思議な場所でもある。冨山さんは仮設住宅でサックス、最近はピアノを独りで覚え、リクエストをもらうまでに。

「山あり谷ありでも、人間、楽しむことを忘れず生きよう。一度、ここを訪ねておいで」(つづく)

 

(C)News Kochi(ニュース高知)

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