2024年7月5日午前11時前、高知市長浜の高知市立南海中学校プールに「先生!」の声が響いた。教諭2人が声の方向を見ると、北側のプールサイド中央付近に1人の児童が引き上げられていた。(依光隆明)
教員の把握は10時54分ごろ?
聞き取りに基づく高知市教育委員会の資料によると、「先生!」の声が飛んだのは午前10時52~54分ごろ。資料にはこう載っている。
〈両教諭は「先生!」という声を聞いた。教諭Aは、その時に被害児童がいないと気がついた。両教諭が声の方を見た時には、被害児童はすでに北側プールサイド中央あたりに引き上げられていた〉
時系列をさかのぼると、午前10時45分ごろに泳ぎの苦手なグループをB教諭が➀女子けのびバタ足➁男子けのび、男子けのびバタ足➂女子プールサイドつかみバタ足➃男子プールサイドつかみバタ足――の順で指導した。市教委資料によると、苦手グループの人数は〈20人以上〉。亡くなった児童が同級生に目撃されたのは➁の「けのび」が最後だった。そこまではB教諭が1人で泳ぎの苦手グループを見ていたが、②の途中、「男子けのびバタ足」からはA教諭もプールに入って指導に加わっていた。
市教委資料には➂または➃をやっているときに教諭(おそらく教頭)が時計で午前10時50分を確認したことが載っている。泳ぎの得意なグループを一人で見ていた教頭は、プール南半分を使ってそのグループがやっていた「10分間チャレンジ」(内容は不明)が午前10時50分で終わったのを確認、グループ全員をプールサイドに上げた。教頭は、プール北西端付近で泳ぎの苦手な児童たちを指導していたA教諭のところへ行って、次は何をさせたらいいのかと聞いた。「先生!」という声が響いたのは、A教諭が「5分間自由に泳がせるように」と伝えた直後だった。その時間を市教委資料は午前10時52~4分ごろだったと書いているのだが、もう一つの可能性にも触れている。
〈長浜小教頭は、騒ぎになる直前に、苦手グループから2人の児童が泳ぎの得意なグループに移って来て、「5分間水泳がもうすぐ終わるのに」と思ったことを記憶しているため、事故発生は10:53頃、10:54頃の可能性もある〉
以上を勘案すると「先生!」の声が聞こえたのは午前10時54分ごろだと考えるのが合理的かもしれない。ちなみに事故発生はそのずっと前である。午前10時54分は教員たちが事故を把握した時間にすぎない。
空白の時間は6分間か
「先生!」の声がした瞬間にA教諭とB教諭は亡くなった児童が見えないことに気づく。両教諭が声の方を見た時には児童がすでにプールサイドに引き上げられていた――と市教委資料には書かれている。この時系列にも首をかしげざるを得ない。声がした瞬間にそちらに顔を向けるのが普通ではないだろうか。誰が「先生!」と声を出したのだろうか。プールサイドに引き上げた児童が、引き上げを完了したあとに「先生!」と呼んだというのも考えずらい。では声を出したのは誰か。そのとき泳ぎの苦手な女子児童たちはどこにいたのだろう。プールサイドにいたのなら、誰か一人は引き上げる途中を見たと考えるのが合理的だ。見たならばその瞬間に声を出すのではないだろうか。「先生!」の声をめぐる状況だけを見ても謎に満ちている。ひとまずそれらを置くとしても、最も気にかけておくべき児童から何分間にもわたって3人の教員が目を離していたことは間違いない。
亡くなった児童を同級生が最後に目撃したのは「けのび」のときだった(そのように市教委資料は書いている)。10時45分から始まった指導の2番目の課題なので、午前10時48分ごろだと考えられる。「先生!」の声を10時54分だとすると、6分間ほど誰も見ていない時間帯があった。引き上げられたのは〈プールサイド中央あたり〉だから、最深部(この日は132.5センチ)に近い場所だ。最も浅い所ですら頭のてっぺんまで沈んでしまうのに、最深部だと頭のてっぺんから水面まで20センチもある。これは全くの想像だが、亡くなった児童は教諭の指導通り壁をけって「けのび」をしたのではないだろうか。その方向がややずれ、水深の深い方向に進んでしまった。だから受け止めるべき教諭が気づかなかったのではないだろうか。あるいはたくさんの児童がいっぺんに「けのび」をしたので教諭が一人ひとりに対応できなかったのではないだろうか。息が続かなくなって「けのび」をやめ、足で立とうとしたらどうなるだろう。市教委資料では肝心なところが分からない。
更衣室に置いた携帯で119番
「先生!」のあとを続ける。A教諭B教諭はどうしたか、資料はこう書いている。
〈両教諭はプールから上がって駆け寄り、被害児童の肩をたたいて呼び掛け、意識の確認をしたが反応はなかった。教諭Aが、すぐに心肺蘇生を開始した。教諭Bは、AEDを取りに職員室へ走った〉
心肺蘇生は心臓マッサージと気道確保、人工呼吸で構成される。このときの心肺蘇生がどのようなものだったかは書かれていない。心肺蘇生の際、溺れた児童が水を吐いたかどうかも書かれていない。
10時55分、教頭が携帯電話で119番している。この時間は明確になっている。資料はこう書く。
〈長浜小教頭が、教諭Aに被害児童の容態を確認した後、更衣室にある携帯電話を取りに行き119番通報した〉
AED(自動体外式除細動器)は職員室に、携帯電話は更衣室にあったことになる。10時56分、AEDがプールに届いた。B教諭に加え、南海中の教諭数人も駆けつけた。資料にはこう書かれている。
〈10:56にAEDの電源を入れ、被害児童の体に装着した。その後、AEDから心肺蘇生を続けるようガイダンスが流れた。長浜小教頭は携帯の通話をスピーカーにし、教諭たちは救急隊員の指示に従って動いた〉
溺れた児童にAEDを装着し、教員たちは携帯電話のスピーカーとマイクを通じて救急隊員と通話しながら心肺蘇生を続けている。
救急隊員の到着は午前11時4分ごろ。ここからは救急隊員が処置を担当する。救急車が病院に着いたのは11時38分ごろだった。一命を取り留めることはできなかった。
児童が発見し、引き上げる
亡くなった児童を除く長浜小4年生35人が南海中から長浜小に戻る前、「時刻不明」として市教委資料はこの児童をプールから引き上げた児童2人(資料では児童➂と児童➃と記載)に教諭2人が事情を聞いたことを載せている。
〈教諭Aと教諭Bは事故の状況を聞いておく必要があると思い、被害児童を引き上げた男子児童➂と➃の2名から話を聞いた。児童➂が、被害児童が水中で下を向いて丸くなっているのを発見した。発見位置はプールサイド近くではあるが、最も水深のある所に近い場所とのことだった。児童➂が、被害児童を引き上げてきた。児童➃は、児童➂を手伝う形で一緒にプールサイドに引き上げた〉
児童の1人が発見したとき、亡くなった児童は〈水中で下を向いて丸くなっていた〉のである。溺れた直後ではなく、ある程度の時間が経っていた可能性がある。
先の記載のあとにはこう書かれている。〈児童➂は、「被害児童をけのびの時には見た。バタ足の時には見なかった」と言っていた〉。目撃されたのは「けのび」のときが最後だった、というのはこの聞き取りが元となっている。
小学校の水泳の授業で泳ぎが苦手な一人が溺れ、溺れたことにすら教員3人が推定6分間も気づかない。しかも水深の深い中学校のプールを使っているときに、である。加えてこの児童は以前の授業で溺れかけてもいる。目を離してはいけないはずの児童を、教員3人がなぜ6分間にもわたって視野に入れなかったのか。長浜小プールの故障の程度や南海中のプールを使った経緯も含め、この事故には謎が多すぎる。(続く)