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ドキュメント危機管理 山梨県庁×新型コロナ⑤NHKの要請で1日1度に

ノンフィクション作家、七尾和晃さんは長崎幸太郎山梨県知事の古くからの知り合いという縁で2020年から2022年春まで同知事の政策顧問を務めた。取材者の側に身を置いていた経験を基に、地方自治体の危機管理と情報発信を担ったことになる。報道機関との板挟みも経験した七尾さんのリポートを続ける。

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感染拡大初期には、感染者数情報発信の「迅速性」も求められた。とにかくその日の「感染者数の確定数を検査結果が確定次第に随時」という報道側からの要請に対して、適宜、投げ込みや臨時会見等で発信しているさなかの2021年4月、山梨県政記者クラブから「申し入れ」がきた。(七尾和晃)

2021年4~10月の動き=「山梨県の新型コロナ対応の検証・記録業務に関する報告書」より

報道側から「一律の横並び公表」

「一日の感染者数は行政側が一日一度取りまとめたうえで夕刻までにクラブに提供せよ」という申し入れだった。2021年4月、記者クラブの緊急動議を経て、クラブの総意として県庁広報サイドに申し入れられる。結果として申し入れに沿う形で、それまでの「適宜・随時公表」から「一日一度の取りまとめ後の公表(一日の感染者数を夕方時点で県庁側が集計した上でというクラブからの要請に基づき)」へと運用変更された。

クラブ総会で運用の変更申し入れを主導・発議したのは日本放送協会(NHK)である。同局記者らの言葉を借りれば、「夜7時のニュースに間に合うように」という趣旨からとのことだった。

迅速で適宜の情報開示に資する作業が軌道に乗ったのちの情報発信の転換点が、NHKの7時のニュースでの報道の便宜上、という動機を背景にした状況は、「発信者対応のあり方と報道事情の公共性・公益性をいかに両立させうるか」という観点から、さらなる議論が深耕されていても良かったのではないだろうか。適宜・随時の迅速な行政側による発信が、「一日一度の集計後発信」に報道側の要請によって転換した結果、報道各社それぞれの独自の報道内容や取材成果に変化があるのか、ないのか。投げ込みや発表によって行政側が気付けない微細な変化に気づいた記者による取材活動が、結果として行政のみならず国民全体に「大きな気づき」を与える可能性に期待する気持ちも他方ではある。感染者数の集計と公表時期にすぎないとはいえ、「一律の横並び公表」が記者クラブ側から要請されたのは意外であると同時に無念さもあった。

ルーティン化は、物事に対する見方においてしばしば油断にもつながる点で、業務遂行上の適切な緊張を弛緩させかねない。「国民の知る権利」を守るためにこそ、報道内容の多様性、独自性が何よりも大切だという想いがある。公共機関もまた、その根源的要請に応えるためにこそ、記者クラブの光熱費を含め、公費による運営経費を支出し、議会は追認している。県民、国民のためという本義を追求するためにこそ、行政現場も取材現場も、単なる事務作業であってはならないと強く信じている。

「情報発信」に対する県民アンケート結果。前向き評価が62%だった=「山梨県の新型コロナ対応の検証・記録業務に関する報告書」より

知る権利を支えるパートナーとして

新型コロナ感染症対応のピークが過ぎて以降の、報道各社の東京本社編集幹部らとの日常のやりとりの中で、「メディアも例外ではない働きかた改革のなかで、また世代による気質変化の著しい次の世代の記者らの教育・指導の難しさ」を指摘する声が聞かれる。他業種への転職志向の高まりや、転身意欲の高まりなどから、「育てたい」「鍛えたい」という教導意欲を、現場記者らに具体的にどのように反映させられるのかに悩むという声もある。

一見、行政側には無関係に思えることだ。ただ、行政現場から眺めたとき、日常の取材姿勢や取材活動を通じて、行政現場における「緩みのない適切な緊張と意識」を維持する上では、決して無縁ではない。「国民への伝えるべき、届けるべき情報発信」という公共的・公益的機能については、報道・取材活動も行政による発信も、国民目線からはときに同じ視野にある。

それゆえにこそ、報道・記者による取材意欲と取材技能の「動機と手法」の飽くなき向上は、行政側にとっても、歓迎すれども否定すべきものではない。「体制に対する監視・検証」という、適切で必要な「距離と緊張関係」、報道機関の存在意義とも齟齬をきたすこともない。

米・ニューヨーク州のペンシルベニア駅地下通路。米国人だけでなく、観光客であってもワクチンをその場で接種できる。ワクチン接種の証明書も発行され、接種者には地下鉄乗り放題のカードも提供された。感染拡大抑止と観光経済を両立させる試みだ=2021年夏、七尾和晃撮影

取材活動の後退は国民の不幸

報道の視点、目線こそは、行政現場が日常において感じ、汲むことのできる国民目線の代弁であり、象徴であり、何よりも先端であると考えるべきだろう。だからこそ、「強く言うと辞めちゃうからな」「部下に気を遣わないと」という心理的萎縮を超えての、さらなる報道技能の研鑽に向けた、取材体制や組織内部での議論や意識の共有といったものは、今後も決して諦められることのないように願う。

行政現場にあっても、取材現場にあっても、意欲と意識の減退、そして取材活動の萎縮と後退が発生すれば、不幸なのは、紛れもなく国民自身となる。新型コロナ感染症対応の中で、感染症対策という一つの課題における体験から、私は少なくともそのようなことを強く感じた。(シリーズ終わり)

(C)News Kochi(ニュース高知)

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