2024年10月16日、高知市立長浜小学校の4年生が市立南海中で行われた水泳授業で亡くなった事故の責任を取って高知市の松下整教育長が辞職した。松下氏は、News Kochiでインターンをしている私の中学時代の校長だった。「なぜ学校で…。高知市立小プール死をめぐる疑問」のスピンオフ企画として、松下氏の辞職会見をルポする。(インターンシップ研修生、来川光輝)
「ついてくるか、記者会見」
10月16日の昼のニュースで教育長辞職を知り、依光編集長が市に連絡を入れたことで会見の開始時刻が分かった。市の職員曰く「16時に(各社へ)メールを送るつもりだった」らしいが、会見開始は当日の15時。こちらから電話をかけずに大人しくメールを待っていたとしたら、あわや途中参加になるところだった。会見が始まる前から、情報獲得の闘いは始まっているのだと痛感する。
「ついてくるか、記者会見」
依光編集長が言った。松下整教育長は、私の中学時代の校長で、恩師でもあった。
こんな機会、きっと滅多にないだろう。
10月16日13時、私は二つ返事でハイと答えた。
同日14時半頃。
市役所の地下からエレベーターに乗り込む。他に乗る人がいないかと振り返ると、ちょうど自動ドアをくぐってきた三脚を抱えた女性が目に入る。待ち人がいるらしい彼女がその場で電話をかけ始めたのを見届けて、「開」ボタンから手を離した。
普段なら赴くことのない6階で下りて、左手の通路を突き進む。突き当たり前のすぐ左の大会議室が今回の目的地「松下整教育長辞職記者会見」の会場だ。
会見まであと30分ほどだが、人はまばらだ。部屋を見渡すと、スーツを着た市の職員とポロシャツのマスメディアが交ざっている。
「どこに座ればいいんですか?」
「どこでも。決めや」
依光編集長は視線で前方のテーブルをぐるりと示し、こちらに選択を委ねてきた。
どこが良いだろうか。ポロシャツの人たちはテレビカメラの調整中で、市の職員は入り口近く、後ろの方にかたまっている。マスコミ用のテーブル席はどこも空いているから、折角なら教育長と記者のやり取りがかぶりつきで見れる席を……、と前方3列目の椅子に手をかけたところで、後方のテレビカメラの存在を思い出す。やはりテレビカメラが働く様子も視界に収めたい。依光編集長に意図を伝えて2列後ろに下がると、視界の左には画角を調整するテレビカメラマン達。右は記者席。そして対面の中央は教育長席で、今はテレビ局関係者がマイクテストを行っている。
うん、いい感じだ。
生徒を思ってくれる先生だった
市役所側から提供された記者会見用の資料(資料とはいえ松下氏の経歴が書かれているのみだった)を眺めていると、依光編集長に話しかける高知新聞の記者が現れた。記者が依光編集長との会話を深めたいようだったので、荷物を残し部屋を後にした。
インターン生とはいえ、マスコミの一員として会見に参加するうえで出来るだけフォーマルな服に着替えたのだが、ボトムスにも上着にもポケットが一つもなかった。内側にもないかと真っ黒な縫い目をカリカリしていた時間がむなしい。畳の上で恭しくたたまれていたハンカチは、ウエストのゴム部分に挟みこまれた。ポケットの代わりにもならない頼りない場所にしまわれていたハンカチは今、鏡の前で眉間にしわを寄せる私の手を綺麗に拭ってくれている。高知市役所のトイレにはペーパータオルがあると編集長は言っていたが、そんなものはなかった。眉間のしわをサッパリした指でのばす。
額に現れる緊張感と不安。中学時代の自分に近づいている感覚がある。
学級崩壊どころか学校ごと崩落していた中学だったが、なんだかんだ過ごせて良かったとも思っている。今でも当時の悪辣な環境と自らの無知・無力さに苛まれ、羞恥と苦悩と怨嗟がぐずりと悪臭をにおわせる。けれども何とか生きていられているのは、これもやはりあの中学に通えたからだと思う。本当に生徒のことを大切に思ってくれている先生がいるのだと、生徒に振り回され本気で悩みながらも、それでも笑顔で必死に生徒を守ってくれる一部の先生方を見て、心の底からそう思わされたからだ(もちろん私の場合は、だが。偶然の幸運が重なった結果だとも思う)。「一部の先生方」には、当時の松下整校長も含まれている。だからこそ、この会見の行く末を見届けたかった。様々な背景が絡む本件だから、いち教え子としての意識は薄くのばして、マスコミの一員として臨むつもりで。
トイレから戻り、「NEWS KOCHI」の腕章が付いたバッグのある席へ歩を進める。
パソコン、マイク、テレビカメラ。どんどん人が増えてきた。
張り詰めていた中学時代
ところで私には、中学の時に得たクセがある。
黒板に語りかける教師よりも、背を向けた教師を指さし馬鹿にする奴らが嬉々として実行する、クラスにはびこる愚挙に意識を割いてしまう……。つまり、周りの状況の方を優先的に確認してしまうのだ。ここでは書けないことの方が多いが、制汗剤を椅子にぶちまけられたり、髪を切られたり、唾液まみれのガムを制服につけられたり、窓から侵入した上級生に隣に座られタバコのキッタない煙を向けられたりするような学生生活だったので、成立していない授業を聞くよりも自分の身の安全を守る方に意識を集中していた。卒業してからはそうならないように気を付けていたが、今でも慣れない場所では周りの様子が気になってしまう。もちろん当時のような被害に遭うこともほぼないと心身ともに理解しているので、好奇心も多分に含んでいるが。
この会見でも、メインである質疑応答の内容よりも、この場に集まった人たちの動向の方に意識が向いた。
思ったより人が少ないな
筆記用具やレコーダーを取り出していると、マスコミ各社が続々と入室してきた。その中にはエレベーターで見かけた女性もいた。彼女が抱えていた三脚はテレビカメラ用のものだったようだ。14時50分までにはおよそ20名が集まり、教育長席に置いたマイクをテストしたり、自席に広辞苑くらい分厚い資料の束をドカッと置いたり、後方で脚立をセットしたりと、各々会見の準備を行っていた。
この時点での感想は「思ったより人が少ないな」である。
上の図に書かれた社名は質疑応答の際の自己紹介で分かったものだ。社名が書かれていないテーブル席にも人はいた(他にも、壁際でカメラを携える人やテレビカメラの後ろで座って待機する人たちもいた)ため、実際には先ほど述べた通り20名ほどが集まっていた。しかしながら、部屋の広さに対して言えば少し寂しさを覚える人数だった。後ろ2列のテーブル席にかたまっていた市の職員や議員の存在を加味しても、まだまだ広々空間だ。
メディアで何度も取り上げられている、大切な児童の命が奪われた事故。防がなくてはいけなかった教育組織・行政らの一員であり教育長でもある人物が任期満了前に辞職するのだ。もっとマスコミがギュウギュウの空間でバシャバシャフラッシュをたきまくるのかと思っていたから拍子抜けした。それと女性が少ない。市の職員らしき人を除けば、女性は3人しか見当たらない。そして3人とも新聞記者ではなくテレビ局の関係者のようだった。一人は先ほどの三脚を持ち込んだ女性。彼女はテレビカメラマンとやり取りをした後、左側のテーブル席に座っている。もう一人はテレビカメラの調整を行っていたように見えた。今は私たちよりも後ろの席に座っている。もう一人はテレビ高知の社員で、彼女はメモ帳を手に、テレビカメラマンと同じくテレビカメラの後ろで待機していた。ここで気づいたのだが、私のメモ帳は小さすぎるかもしれない。
パシャッパシャッとフラッシュ
私はB7サイズのメモ帳を愛用しているのだが、テレビ高知の人はその倍くらいの大きさのものを使用していた。厚みも十分だった。他の人を見やると、大学ノートに近しいものを使っている人がちらほら。依光編集長もノートを使用している。思えば私がB7のメモ帳を好んでいる理由は「いつでもどこでも書きやすいから」だ。今までは、立ったまま、歩きながら、テーブルもないところでメモを取ることが多かったから、片手で支えられる大きさのものがありがたかった。しかし今回はテーブルがある。そしてこの場は記者会見だ。相手の顔を見ながら迅速に発言を書き残すためには、のびのび書けるノートが適切だろう。
15時前。ベテランの人が多いのだろうか、どの人も記者会見に慣れているというか、やや弛緩した空気が流れている。授業は始まっているけれど、肝心の先生が来ていない時の雰囲気に似ている。などと周囲を見渡していると、入口方面に人影が見えた。
あ、松下教育長だ。入室し、一礼している。まだ15時にはなっていない。こんなにぬるっと始まるんだな、と驚いていたら、正面席の横に立っての一礼で、パシャッパシャッとフラッシュがたかれる。テレビで見たことのある風景だ。これまでの空気が一変し、記者会見が始まった。
相槌するか、しないか
いつの間にか右手の司会席にいた男性が、簡単に会見についての説明を行う。「質問するのは記者のみでお願いします」という発言の意味がいまいち理解できなかったが、会見後に依光編集長に聞いたところ、「議員からの質問は受け付けない」ということだったようだ。私はすっかり勘違いしていたので、記者とは言い切れない自分は質問しちゃダメなのか、と思っていた。
質疑応答が始まる。15時から16時半頃までの間、各社の記者がいくつもの疑問や疑念をぶつけていた。その大半は「なぜ今辞めるのか」と「今辞めるのは無責任じゃないか」の2点に関する質問だったように感じる。他にも「松下氏が発する『責任』とは何か」「公人から私人になるということで、責任から逃れられるのではないか」など、教育長としての責任の所在を突く質問が多かった。気になったのは、教育長だけでは説明ができないであろう質問を投げる記者が複数いたことだ。今回の事故に関しては教育委員会や市長なども連帯して責任があると思うのだが、それら全ての責任と、教育長としての責任の話を混ぜこぜにした質問があったように感じた。そのため「それは教育長が説明して済む話なのか?教育長の責任として捉えていいのか?」と、話の軸が分からなくなることがあった。加えて、「辞職願を7月に出したとき、市長はどのようなことを言ったのか?」「なぜ10月のこの時期に市長は辞職を認めたのか?」など、「それは市長の心情によるものなのだから、市長に聞くべきでは?」と思わされる質問もあった。そういった質問が続いたことで、「そもそも何で市長がこの場にいないんだ?」という思考にまで至った。今回はあくまで辞職会見なのだから当事者である教育長のみが登場するのは当たり前ではあるが、それでも世間の疑問と不安に答えるには、やはり市民に選ばれた存在である市長が表に出ないといけないな、と痛感した。
他にも、来年度からプール授業を再開するのかについて(「私としては、そう」との回答)や退職金の有無(回答としては「事務方の方から『今は準備しない』と伝えられた」とのこと)などの発問があった。厳しい視線を向けられながらの会見というためか、序盤の松下氏はやや目がうろつくことがあり、姿勢もぎこちなく、左足が内側に向けられていた。しかしながら徐々に様子は変わり、4人目の質問者のあたりから両足がそろって背筋も伸びた。
一人の記者が4つほど質問をしており、中には一人で30分ほど喋っていた記者もいた。記者の質問の仕方もそれぞれで、多くはやや威圧的で冷たい印象を覚える態度だったが、朝日新聞の取材慣れしていた男性記者や、メモ帳とスマホを片手に持ち質問するテレビ高知の女性記者は相槌をよく打っていた。松下氏も目を見て話しやすそうにしていたので、相槌の有無は大きいように感じた。
なんというか、発酵していない
ではなぜ威圧的に、何度も似たようなことを質問する記者が多いのだろうか。この点について会見後に依光編集長に聞いたところ、圧迫感を出して感情的にさせることによって本音をポロッと漏らすことを期待しているそうだ。同じ質問を繰り返すのは、本音を出させることに加え、記者側が期待している言葉を引き出そうともしているらしい。マスコミ業界ではよくある手法のようだ。
一人の記者による問答が長引いたこともあり、最後はたるんだ雰囲気と時間が押すことによる焦燥感が混ざったような空気が漂い居心地が悪かったものの、会見自体はつつがなく終わった。
世間的にも非常に注目度の高い会見だったと思う。しかしながら、質疑応答に参加したマスコミ各社は「あくまで仕事の一つ」というスタンスで取り組んでいたように感じた。最後まで手を止めずにメモを取っていた人もいたが、会見の途中からは、片手に持っていたカメラを下ろして部屋の脇で佇むカメラマンや、手元のパソコンに記事の編集画面を映して作業を始める記者も散見された。
最後、こんなことを感じた。なんというか、発酵していないのだ。
質疑応答のやり取りは、とにかく「生地をこねる」→「のばす」を延々と行っているような、そんな感覚。そして取材対象からパソコンへと視線を移し、その場で記事の組み方を考えて「焼成する」。それが普通なのかもしれないが、私には違和感が残ったままだった。