シリーズ

夜空を見つめて95年 彗星ハンター、関勉さん②恩師との出会いと別れ、そして悟り

幾多の彗星を見つけた伝説的コメットハンター、関勉さん(95)の話を続ける。高知市上町のご自宅で話を伺った。(インターンシップ研修生、来川光輝)

『ほしのかりゅうど』。1973年刊。子どもたちに読んでもらうために書かれた

希望と夢を与えてくれた

関さんにお会いする前に、私はいくつか過去のインタビューや関さんの著作『星のかりゅうど』(1973年2月、あかね書房刊)を拝読していた。

「星のかりゅうど」は、関さんの半生を、関さん自身が読者に語り掛けるような文体で綴った本だ。星を追う中での人との出会いや競い合い、そして挫折と悟り。毎夜、何年もの時間を費やしてなお失敗続きで、「むなしい月日」と称された苦難の日々を送る姿に胸が締め付けられる。そんな挫折を経て悟りを開き、静かに美しい星空を見渡す中で、ついに未知なる星が姿を現す──。

発刊は1973年。53年も昔の本でありながら、半世紀の時を超えて、衰えなく瑞々しい文章が私に語り掛けてくる。子どもに丁寧に伝えるような内容で、当時の彗星ブームを経験していない私でも読み切ることが出来た。

その中でひときわ気になったエピソードがある。第四小学校時代に関さんの担任だった、岡本先生との出会いと別れだ。

〈思えば、幼少のころ、病弱のため、学校へ行く希望すらうしないかけていた、わたしのまえに現われ、わたしをはげましてくださった、岡本先生。大自然ととりくむことのすばらしさを、そして、学問の楽しさを、身をもって教えてくださった、岡本先生。先生は、少年期のわたしにとって、忘れることのできない大恩人でした。岡本先生の教えは、わたしの心の大きなささえとなり、将来への希望とゆめをあたえてくれたのです。〉(『星のかりゅうど』73ページ)

岡本先生はその後、出征して(戦地に行って)小学校を去る。短い期間ながら、関さんに大きな影響を与えた先生の存在に、私は非常に興味を覚えた。関さんにとって岡本先生はいったいどういう人だったのか。

──学生の頃、お体が弱くて、学校の授業にあまり参加できなかったと拝読しました。その後に出会った岡本先生は、どんな先生だったのでしょうか。

「ものすごく真面目な先生です」。『ものすごく』を強調するように、力強く答える関さん。「私は岡本先生の存在で生き返ったんですよ」

星の話、岡本先生の話を語る関勉さん=高知市上町

「実に楽しかったですね」

「小学校三年生の時です。それまでは勉強が嫌で、授業が嫌いだった。ところが、岡本先生の時は、先生の授業を待ちかねるような状態だったんです」

95歳になった今でも、小学生時代を振り返る関さんの表情は優しい。つい最近まで岡本先生の授業を受けていたような、色褪せない思い出を楽しげに教えてくれた。

「理科の先生でしてね。それがまた、素晴らしい話をしてくれるんですよ。一人で野山へ行って、色んな植物や、動物とか、新しいもの(新種)を発見していましたね」

──アクティブな先生ですね。授業も外で行ったりしていましたか?

「授業は教室でしたね。けれど理科の時間に、先生が経験したそういう面白い話をついでにしてくれて……。それがもう、実に楽しかったですね」

「それで、岡本先生は夏休みになると新しい昆虫を求めて石鎚山を歩き回る。けれど、何のことはない、その昆虫は第四小学校の校庭におったがです。そんな話がね、その当時の全国紙へ出ましたね。『こんな手近におった』と」

部屋には自身が撮った星の写真や、長く生業としたギターが置かれている

校庭をひとり去って行った

「まあ、あまりにも熱心にやるから、そういうことが起こったんですね。ただではそんなことは起こりゃしませんから。熱心なために、そういうことが起こってくれたわけですよ」

児童たちの信頼を集める岡本先生だったが、別れは突然訪れた。

「戦時中であったから、出征の赤紙が来たんです」。赤紙とは召集令状のことだ。当時は日華事変(1937年に起きた盧溝橋事件以降の日中戦争)が激化していた。岡本先生は出征し、学校を辞めた。

「最後に、校庭をひとり去っていた姿がいまだに忘れられんですね」

三嶺に先生の名前が!

「星のかりゅうど」によると、岡本先生と再会することはなかった。ただ、思いがけない形で先生の名前を見つける。

1956年。関さんはクロンメリン彗星の再発見に心血を注ぎ、敗れた。仲間からの期待を背負いながらの観測でついに彗星を見つけたものの、しかしその星は、ほんの数日の差で他国の学者が先に見つけていたのだ。この件をきっかけに、関さんの星への情熱は薄れていき、天体観測を諦めた。

星の観測をやめて5年。ちょうど65年前の1961年9月。関さんは山を登っていた。

「あれは、三嶺でしたね」と関さんが振り返る。三嶺は高知と徳島の県境にそびえる山だ。標高は1893メートルで、高知県では最高峰を誇る。

〈わたしは、少年のころから、山がすきでした。苦労して、高い山に登って、はるか眼下に、海がひらけたときの、あの感動は、忘れることができませんでした。山道が、どんなに苦しくても、頂上に立ったときの、そうかいな気分を思うと、長い山道も、少しも苦しくありませんでした。それは、遠大な理想を見つめて生きる、わたしの人生の縮図でもありました。しかし、いまのわたしには、それがありませんでした。目標をうしなった、ひとりの平凡な人間にしかすぎなかったのです。〉(『星のかりゅうど』129ページ)

二日かけて険しい山道を登る。まるで自分自身の人生を表しているような道のりに苦しみながらも、自らを奮起させ、努力の先の未来──山頂を目指す。天候が急転し、深い霧に包まれ挫けそうになりながらも、ついに山小屋までたどり着く。

誰もいない小屋の中には登山者名簿が置かれていた。何気なく捲ると、なんと、岡本先生の名前が書いてあった。

1962年、32歳ごろの関勉さん=本人提供

初心に帰り星を眺める

記名日は9月14日。出征で学校を去り、再会の叶わなかった先生の名が昨日の日付で書かれていた。山を登って植物や生きものを探し回っていた先生の姿が浮かぶ。しかし岡本先生は、出征で学校を去ってからの二十年間、再会の叶わなかった人だ。同姓同名の人かもしれない。

そう思いながらも、関さんの胸は高鳴った。

〈少年のころ、わたしの心のささえとなり、偶像とさえなった岡本先生が、もし、健在だとしたら、どんなにか、うれしいことだろう。岡本先生は、きっと、わたしと同じ道を登られたんだ。そして、これから、わたしの歩く同じ方角を歩いて行かれたんだ。わたしは、急にうれしくなって、窓をながめました。そうしたら、どうでしょう。いつのまに晴れたのか、西の空は、一面にまっかな夕やけです。わたしは、急いで外にとびだしました。〉(『星のかりゅうど』133、134ページ)

晴れやかな気持ちと共に関さんは山を下り、さっそく天体望遠鏡を倉から出した。再起の時が訪れたのだ。

それからわずか1カ月後だった。関さんはついに、長年の夢であった未知の星「セキ彗星」を発見した。

──最初、星を見つけた時はどのような思いでした?

「感動はなかったですね。むしろ、それまでものすごく苦労が多かったから、当然の成果ではないかという気分の方が強かったです」

──「セキ彗星」と実際に名前がつくまで、ドキドキしませんでしたか。

「やはり不安が大きかったですね。果たして(自身の名が)つくだろうか、どうだろうか?と。世界は広いから、私よりも先の発見者がいるんじゃないか?という不安もあったわけですね」

「確か外国で、同じ場所を見ていた人がおりました。不思議なことに、その人には星が見えていなかったんですよ。それが見えていたら、また競争、ということになるところだったんですけどね」

新彗星には発見者の名前がつけられる。発見者が複数人いた場合は、早く見つけたものから順番に、三名までの名前が並んでつけられる。未知の星を発見したとしても、同時期に何人もの人が見つけていた場合、自身の名前が名付けられないこともあるのだ。

つまり、関さんが初めて見つけた「セキ彗星」は、関さんただ一人がその星と出会えていたということだ。

「私はその時、率直にね、『きっと、これは神様がとっておいてくれんだ』と思いました。『あまりにも努力したから、それは関の発見である』ということで、おいてくれていたんじゃないか?という感じでしたね」

探し求めた昆虫を校庭で見つけ、全国紙に掲載された岡本先生。岡本先生から希望をもらい、自分だけの星を見つけた関さん。「熱心にやっていたら、神様が見てくれるということですね」と言うと、関さんも深く頷いた。

「私もそう信じていて。『とにかく熱心にやりよったら、神様が認めてくれるだろう』と、それでいつも朝早く起きて、何も見つからん空を一生懸命探しよった」

壁には自身が見つけた彗星の写真がたくさん掲げてある

──その後、岡本先生の面影を感じることは…。

「それがね、実は何気ないときに会っているんですよ」

こちらの質問に被せるように、関さんがハッキリとした口調で話し始める。

「星のかりゅうど」には書かれていないが、関さんは岡本先生と再会を果たしていた。(つづく)

(C)News Kochi(ニュース高知)

関連記事

  1. 高知市教委の「危険のアンテナ」大丈夫?神田小のケースを見る
  2. 読み解く鍵は「台湾有事」 沖縄タイムス阿部岳さんが「沖縄と私たち…
  3. 高知裏面史 西岡寅八郎メモワール⑲もう一つ新聞を作る
  4. 「全国の被災地に学び、次の支援につなぐ」 静岡県浜松市防災センタ…
  5. 高知裏面史 西岡寅八郎メモワール⑫衆院選の構図が一変
  6. 高知県の行政不服審査を検証する➃「被告」と「裁判官」が同一人物?…
  7. なぜ学校で…。高知市立小プール死をめぐる疑問⑬第三者委員会を覆う…
  8. 教科書×漫才=お勉強⁉ 来年度の教科書は面白いかも…

ピックアップ記事









PAGE TOP