2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災は揺れと津波、原発事故という複合災害だった。あれからもう15年。筆者は河北新報(本社仙台市)時代から震災で傷ついた人々の声を聴いてきた。記事で伝えきれず滓のように積もった声が、作曲家上田益さんとの出会いから詩になり、歌に編まれた。震災15年という節目に、詩が生まれた場所と人を再訪する。15年の現実と詩を重ね、「なつかしい未来」にまた想いを馳せた。(寺島英弥)
作曲者の上田益さん、指揮者の佐賀慶子さん=2025年2月25日、仙台市太白区文化センター.jpg)
レクイエムプロジェクト仙台合唱団と(右から)作曲者の上田益さん、指揮者の佐賀慶子さん=2025年2月25日、仙台市太白区文化センター
被災地の人と情景が組曲になった
『なつかしい未来へ』という組曲がある。2025(令和7)年4月、「レクイエムプロジェクト仙台」の合唱団が仙台市内で初演した。このプロジェクトは全国の戦災地、被災地から祈りと励まし、希望の歌を伝える活動で、主宰は作曲家の上田益さん。阪神大震災を契機に20年にわたって地元に根差す詩人と共作の歌を響かせてきた。『なつかしい未来へ』は2021年初演の『また逢える~いのちの日々かさねて』に続く2作目。作詞は筆者が担当した。4曲からなる組曲で、東日本大震災発生後に筆者が被災地で出会った人々や情景から詩を編んだ。
21年に初演された上田益さんとの第一作『また逢える』(4曲:あの日/1枚の古いレコード/また逢える/このいのち明日へ)は、震災の津波で失われた漁港の町の光景や、わが子を亡くした母親の悲しみなど、まだ生々しかった喪失の傷ましさ、それでも立ち上がろうとする被災地の人々の心情を詩にした。岩手県陸前高田市、宮城県石巻市、福島県相馬市と飯舘村で出合い、心に刻んだ言葉から詩が生まれた。詩を乗せた上田さんのメロディーは、廃墟の浜に立った日の沈痛から、自らも死を望んだ母親が救われるまでの闇と光、除染された土に再び鍬を振るっての再起まで、劇的に響いた。
初演から4年半、震災・原発事故から14年が流れた被災地の歩みと変化、そこに生きる人たちの「今」の思いが、2作目『なつかしい未来へ』の詩になった。廃墟は撤去され、更地となり、新しい街が建てられ、被災地の風景は変わっていく。しかし、ふるさとにいまだ帰れぬまま異郷に暮らす人々がおり、愛すべき場所や家族、友、同胞を喪くした心の傷を癒すことのできぬままの人々がいる。一人ひとりの人生が変わった。今、時の峠のようなところに立って、向かうべき未来を模索し、どこかへ歩み出している――。歌うのもそのような人たちだった。

繁茂した草木に埋もれて眠るような民家。住民は避難したまま戻れず、多くの家には動物が入り荒廃していた=2022年8月、福島県浪江町津島
福島県浪江町津島、「帰還」
『なつかしい未来へ』の1曲目は「帰還」。詩の原風景は、福島県浪江町の津島という山里だ。原発事故のために現在も帰還困難区域であり、今も住民たちは避難先で暮らし、ふるさとへ帰ることを願い続けている。残存する放射線のため立ち入りを制限された里で、家々は繁る草木に覆われ、人々帰るに帰れぬ現実に心を引き裂かれ…。朽ちゆく家屋の解体が始まったとき、「私は何があっても津島に戻る」と心に決めた農家の男性と会った。
先祖から14代、約200年の茅葺き家は大震災の揺れにもびくともせず、蚕が桑の葉を食べる音で目覚めた朝や、大家族の暮らし、民俗芸能の集いの思い出がそのままに。苦悩で眠れぬ夜を重ねた末、男性は帰還を決意する。太い栗の梁や柱を生かし再生した家には、昔のまま囲炉裏の煙が上がる。「私は新たな開拓者として戻った。将来の津島において名もなき『ともしび』となれば本望。私が蒔く最初の種が、いつか再び活気にあふれたふるさとにつながれば」。最初の帰還者として農業再開を志す男性を、庭の大きな花盛りの梅が迎えていた。

原発事故後、無人となった街で満開の桜の園に迷い込んだ。妖しいばかりの美しさに「この世の果てか」と戦慄させられた=2012年4月、福島県南相馬市小高
福島県南相馬市、咲き誇る桜
2曲目は「再会」。詩の原風景は、原発事故で全住民が避難し、無人となった福島県南相馬市の小高だった。震災翌年、取材中に迷い込んだ場所は、桜の花で一色の異世界。きっと毎春、近隣の人々でにぎわったであろう広場は舞い散った薄紅色の花びらで埋め尽くされ、薄暗い空の下を覆うように満開の枝々が伸びていた。妖しいばかり、恐ろしいばかりの美しさ。生きて見る者が誰もいない、「この世の果て」のような風景に戦慄を覚えた。
震災の起きた年、桜を見た記憶はない。時は流れたあと、桜の花が目に映るようになった。痛ましい犠牲の後にワカメの収穫を復活させた浜の集落、亡くなった児童の数だけ若木を植えた校庭、津波の跡に再建された街の片隅…。どんなに悲しい出来事を記憶した土地にも、季節を忘れることなく桜は咲き、祭りの歌もよみがえる。その花影で人は誰かと再会し、物語りをした。長い旅を生き抜いて今ある生を、亡き大切な人へ告げたかった思いを。

津波で変色した家族の写真を前に、大学生たちに思いを語る被災者の女性=2024年10月、宮城県名取市閖上
宮城県名取市、新たな希望
3曲目は「夢を継ぐもの」。詩の原風景は、筆者が宮城県名取市の大学で出会う若者たち。彼らは毎年、津波で約750人が亡くなった閖上(ゆりあげ)地区の住民を取材する。当事者に聴く事実から津波と避難所、仮設住宅の体験、帰還と新しいまちづくりの問題、失われたふるさとへの思いと現実、「復興とは何か?」を知り、次の3月11日に向けた記事にする。
震災の年に小学生や園児だった世代が、新しい伝承者に育つ。集会所で出会う年配の体験者と、孫のような若者の対話を傍らで見聞していると、心がつながり、元気や喜びが湧き、伝承を越えたものが生まれる息吹を感じる。震災で失われた夢、亡くした人、断ち切られた絆、還らぬふるさと…それらが目の前によみがえり、若い力に託したい思いが新たな希望になるのを感じることができる。誰かがそれを受け継ぐ限り、夢にも命にも終わりはない。

暖かな日差しの3月11日。生きたかった人々の命のバトンを胸に、失われた思いも夢も受け継いで共に生きる=2023年3月11日、名取市閖上
名取市閖上、時空を超える
4曲目は「なつかしい未来へ」。詩の原風景は、同じ閖上地区の2023年3月11日の情景だ。午後2時46分が近づくと、交流がある神戸市のボランティアが持参した竹灯篭のろうそくに火が灯り、白いカーネーションを手に人々が祈りを捧げる。「なぜ、自分はここに生かされたのか」という永遠の問いとともに。高さ9メートルの津波が襲った閖上の浜は、「あの日がこうであったなら…」と思えたくらい海が穏やかで、春のような暖かな日が差した。
その刹那、多くの人が亡くなり、多くの人が祈る被災地の3月11日の浜は、時空を超えて魂がつながる場なのだと感じた。「私たちが生きたかった時間を生きてほしい。あの日途切れた夢を受け継いで。いつまでも私たちと一緒に生きて」。そんな伝言をもらい、また新しい1年を生きてゆく。更地に大きな箱が並ぶ風景ではない、失われたものの命も、新しいものの命も共に息づく「なつかしい未来」。ふるさとも永遠にそこにある。
第2回以降は震災から15年を迎えた各地を再訪する。(つづく)

組曲『なつかしい未来へ』の4曲目、「なつかしい未来へ」の歌詞

















