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高知裏面史 西岡寅八郎メモワール⑬小が大をのんだ

1976(昭和51)年12月5日投開票の衆議院選挙で、西岡寅八郎さんが引っ張り出した谷川寛三氏は2位当選を決めた。谷川氏を担いで当選させた影響は、西岡さんが思う以上に大きかった。(依光隆明)

衆議院議員選挙の結果を報じる高知新聞。谷川氏は二位当選だった=1976年12月6日付朝刊

選挙違反をしてはダメ

選挙戦のさなか、福田赳夫氏が応援に高知まで来たときのことを西岡さんは覚えている。印象的だったのは、用心棒のような男がついていたこと。

「太い男が後ろでカバンを持っておった。あの太い男はなんじゃろ、用心棒やろうかと思いよったら、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)みたいにホテルで福田さんの靴を並べ直したりしよった。あとで考えたら、それが森さんやった」

後の首相、森喜朗氏のことだ。西岡さんがぽつり。「そんなことまでせんといかんがやろうかと思うた。あればあゴマすらんと引き立ててもらえんがやろうねえ」

先の衆議院選挙から2年で衆議院は解散になる、西岡さんはそう踏んでいた。ところが解散できないまま4年の任期満了まで時が流れた。

「2年で選挙やと思うたら4年やった。へとへとよのう」と西岡さんが言う。体もへとへとだが、資金もへとへとになった。漁業界の実力者に資金を求めたりしてなんとか運動をつないでいった。

選挙戦ではもう一つ、谷川氏の義父(妻の父)にも配慮する必要があった。

「奥さんのお父さんの関係があるき、選挙違反を出さんように気をつけた」と西岡さんが説明する。「選挙カーの運転手が手を振るのも『やめてください』というような奥さんやった」。支持者が手を振ってくれたら候補者カーの中から手を振って応える。その際、運転手がハンドルから片手を放すことにも谷川氏の妻は難色を示した。そもそも選挙に出ることにも賛成ではなかったらしい。

妻の父は伝説的な検察官で知られていた。最高検次長検事を務めた木内曽益(1896~1976)。血盟団事件、5.15事件、2.26事件でいずれも主任検事を務め、戦後は東京地検検事正を経て最高検の次長検事に。1951(昭和26)年、法務総裁(のちの法務大臣)だった大橋武夫が木内を更迭しようとして最高検と政府とがぶつかり合う「木内騒動」が起きる。その際、身を引いて退官した。ちなみに大橋武夫は高知出身の総理大臣浜口雄幸の娘婿に当たる。

騒動の背景にあったのは政治家の汚職などを摘発する「経済検察」と戦前の特高を源流とする「思想検察」の対立だったといわれている。木内は経済検察のエース格で、大橋が木内の後任に抜擢したのは思想検察の代表格。双方の戦いは熾烈で、大橋は法務総裁在任中に脱税や政治資金規正法で検察に捜査されている。尖鋭な対立の主役だった最高検幹部の娘婿が選挙違反なんてあり得ない。絶対にやってはだめだ、と谷川氏の妻は相当気を使っていた。

開票結果は、トップが公明党の平石磨作太郎氏。谷川氏は二位で当選した。三位が共産党の山原健二郎氏、四位が自民党の大西正男氏、五位が社会党の井上泉氏。当選はここまでで、次点は自民党の田村良平氏だった。上位2人が新人で、現職の田村氏が落選した。自民党は3議席から2議席に減った。

高知県議会の県議会棟=『高知県議会史』より

そしてキングメーカーに

定数5の高知全県区で自民党は3議席を持っていた。大西正男氏、田村良平氏、亡くなった仮谷忠男氏だ。大蔵省OBの谷川寛三氏を担ぎ、西岡さんはそこに殴り込みをかけた。当然ながら各陣営は烈火のごとく怒った。「人間ゆうのはどっかで勝負をかけないかん」と西岡さんは振り返る。谷川氏に出馬を決断させたとき、「溝渕知事は秘書を集めて『あいつの陳情は全部聞け。誰を立ててくるか分からん』と言うた」とも。気に入らなければ知事選に対抗馬を立てかねない危険な男だ、と見られていた。

自民党3陣営の中で最も勢力があり、最も西岡さんに敵意をあらわしたのは県議会の仮谷派だった。ところが当の仮谷氏が衆議院選挙公示の10カ月前に急死する。仮谷派は室戸市出身の仮谷派県議、安岡一氏らに後継を打診するが、失敗。参議院議員の塩見俊二氏は仮谷氏の後継となって衆議院に鞍替えすることを期待したらしいが、その声は出なかった。結局仮谷派は後継候補を作れないまま選挙戦を迎えることになる。谷川氏の当選後だったと記憶しているが、西岡さんは仮谷派が和解を申し入れてきたときのことを鮮明に覚えている。

「県議会の仮谷軍団が僕のところに来たんです。小松雅さん(須崎市)と中平和夫さん(土佐市)が来て『大西、田村とは戦うてきちゅうき、一緒にやれん』と。ほんで、『(谷川派に)入れてくれんか。一緒にやろうやないか』と」

大西正男氏や田村良平氏の陣営とはこれまで戦ってきたからいまさら一緒にはなれない。しかし谷川寛三氏とはまだ選挙戦をしていない。だから谷川陣営になら入ることができる、一緒にやろう、ということだ。西岡さんはこう答えた。

「分かった。しかし美馬さんと山岡さんはのけよう」

仮谷派を谷川派に受け入れるのはいい。ただし美馬健夫県議と山岡謙蔵県議は外そうという提案だ。西岡さんによると、こんな理由だった。

「嫌いというわけやないけんど、自民党の会でもこの2人ががんがん言うわけよ。うっとうしい人らあやなあと。県庁職員の話を聞いても評判がようないし…」

で、うるさ型の2人を外そうとした。西岡さんの話が続く。

「それを言うたら、小松雅が『寅さん、そんなことを言うなや。同じ釜のメシを食うちゅうがやき』と。確か翌日やったと思いますが、突然その2人が来たがです。『話がある』ゆうて」

美馬氏と山岡氏が西岡さんのところに来た。

「『寅さんよ、おまんとは腹いっぱいしゃべっちゅうき、お互い腹の中へ持っちゅうもんはない。政治は数やき、いろいろ言わずに一緒にやろうじゃいか』ゆうて。美馬さんと山岡さんが僕に頭を下げたんです。あの先輩に頭を下げられて、これはやっぱり腹が太い人らあやなあと」

結局、最も勢力のあった仮谷派を谷川派が飲み込む形になった。

「県庁の中での僕の評価は変わったねえ」と西岡さんが言う。県の幹部が「小が大を食うた」と言っていることも聞こえてきた。前年に知事を引退した溝渕増巳氏も驚いていた。

「溝渕さんに言わしたら『キングメーカーになった』と。確かに谷川派がまとまったらなんでもできよった。議長(県議会議長)も僕がずっと作ってきた」

衆議院選挙の1年前、高知県では知事選と参院選が、2年前には参院補選が行われていた。いずれにもドラマがあった。(つづく)

(C)News Kochi(ニュース高知)

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