夜空を見上げると星が輝いている。夏の大三角といった有名な星座は知っているものの、周囲に浮かぶ小さな星々については、目には映るが注目したことはない。微かに瞬く星が一つ増えても、減っても、私には分からない。そんな無数に見える星々の存在を全て把握し、観測を続け、未知の彗星を探し求める人を「コメットハンター」と呼ぶ。彼らが星を見つけ、彼らの名がつくことに、人々は希望と熱狂を覚えた。そんな天文ブームの立役者の一人が高知市にいる。(インターンシップ研修生、来川光輝)

関勉さん=高知市上町
「凶星」からロマンの星へ
関勉(せき・つとむ)さん。「イケヤ・セキ彗星」を始め、これまでに幾多の彗星(すいせい)を見つけた、御年95歳のコメットハンターだ。高知市上町に生まれ育ち、終戦直後の10代のときから夜空を見続けてきた。
ちなみに、コメットとは彗星のこと。彗星を探し、見つける人たちをコメットハンターと呼ぶ。彗星とは太陽系の中を大きな楕円軌道で動く小天体であり、特徴は、氷に覆われた部分が多いことだ。太陽に近づくにつれ、氷の部分が昇華してガスや塵を放出する。それが尾となり、太く伸びた尾は、時に肉眼でも見えるようになる。日に日にその尾が長く、大きくなる彗星を昔の人々は世界各地で「不吉な前兆」「凶星」と見ていた。
しかし近代に入ると、その風潮は180度変わった。彗星は夜空を彩る天体ショーの主役であり、人々の目を地上から空に向けてくれる。彗星という名はロマンの象徴となり、日本では「彗星」と名付けた夜行の急行列車や寝台特急が夜の列島を駆け抜けていた。

関勉さん。部屋には1965年に発見した池谷・関彗星の写真が飾られている=高知市上町
「瀬戸村の本田さん」に手紙
五月下旬、私は編集長と一緒に高知市中心部の住宅街を訪れていた。
「はじめまして」。著作の文面から伝わる印象に違わない、実直な面持ちの方だ。私と編集長の質問にも詳細に、ハキハキと答えてくれる。95歳とは思えない明瞭な発話と記憶力から繰り出される話の数々に引き込まれていく。
――なぜ星の観測を始めたのでしょうか?
「この宇宙の中で、新しい星を発見して、その星に自分の名前がつくというのは、非常に魅力があったんです」
きっかけは、1947年、戦後初めて発見された新彗星である「ホンダ彗星」、そして発見者である本田実さんの存在だった。
「あれはね、私がまだ高校行っている時でしたね。もう暗澹たる世の中で……」
「その日の食糧もないような世の中でですね、その中で、星を見て、新しい星を発見しゆうことにびっくりしたんです。異常なものを感じたんですね。それで、思いきって本田さんに手紙を書いたんです」
――本田さんの住所ってわかったんですか?
「(住んでいる市町村名は)新聞に出ていました。夕刊に出ています。当時、本田さんは広島県の瀬戸村というところに居たので、『瀬戸村の本田さん』と書くだけで手紙が届いたんです。それほど有名だったんです」
日本中の注目を集めていた本田さん。そんな有名人から、なんと関さんに返事が届いた。「あれは奇跡ですね」。関さんが大きく頷く。
「えらい人に手紙を出したって、大概返事は来んもんじゃないですか、普通は。それをわざわざね、丁寧にですね、少年のためにきちんと、ペンをとって書かれたという、その誠意に打たれた。これは、本田さんのためにも頑張らないかんと、血が沸いてきたわけですね」(つづく)

関さんの初めての著作、『未知の星を求めて』=1966(昭和41)年、関記念出版会発行
【関勉(せき・つとむ)さん】
1930(昭和5)年11月3日高知市上町(旧通町)の生まれ。実家は製紙工場で、高知市立第四小学校で自然科学に目覚める。1945年、厳しい灯火管制下で星空を見た。そのときのことを関さんは1966年発行の『未知の星を求めて』にこう書いている。
〈私が、生まれて初めて星の美しさを知ったのは、かつての、第二次世界大戦中の事であった。それは、戦の趨勢も、ほとんど決した、昭和二十年、七月の事であった。われわれは、憔悴と絶望にもだえ、連日連夜、連合軍の爆撃機B29の無気味な爆音に脅かされていたある夜、私は、頭上にふと星が輝いているのを発見した。連日、真暗い壕にもぐり、一本のローソクすら灯すことも許されなかった、当時の原始的な生活は、光に対する人間の神経を、異状なまでに敏感にしていたのである。暗黒の街の空に輝く、点々たる星影は、私に、かつて平和に暮した、家の灯を思い出させたのである。それは、あたかも、生への一縷の希望をつなぐかのように、私の心に深い印象を与えたのであった。当時、僅か十三歳の少年であった私は、夜ごと壕をはい出しては、屋上の物干しに登って、遠くの星を眺め、ひそかに涙ぐんでいた。地上には、ひとつの灯火すらなく、私の心にも、一つのともしびすらなかった。暗かったあの頃、明るいものを求めて、夜空を見つめていた私の心に、いつの間にか、星空への憧憬が芽ばえ始めていたのであった〉
1945年7月4日夜の高知大空襲によって自宅が焼け、関さんは高知市朝倉の米田地区に疎開する。戦後、県立城東中(現追手前高校)に進学してギターを始める。「本田彗星」発見のニュースに感動したのはこのころだった。1950年、自作の望遠鏡(コメットシーカー)で彗星の探索を開始。1957年、自宅でギター教室を開いて身を立てる。1961年、関彗星を発見。1962年、関・ラインズ彗星発見。1965年、池谷・関彗星発見。1980年、芸西村の天文学習館に探索の拠点を移す。1981年、初の小惑星を発見し「五藤」と名付ける。以後、コメットハンターから小惑星ハンターに軸を移し、発見した小惑星に「高知」「竜馬」「剣山」などの名をつけていった。新彗星の発見数は6、小惑星は多数。著書は『未知の星を求めて』のほか『彗星とその観測』『星のかりゅうど』『夜空を翔ける虹』『スカイハンター』『彗星ガイドブック』『宇宙の放浪者』『ホウキ星が呼んでいる』『新しい天体を見つけよう』など。(依光隆明)

















