シリーズ

木村真三、福島からの報告① 能登半島地震。新潟県柏崎市宮川地区の動き

愛媛県出身の放射線衛生学者、木村真三博士のリポートを随時掲載します。第1回目の今回は、2024年1月1日午後に石川県能登地方を襲った地震に絡む話です。能登からほど近いところに東京電力柏崎刈羽原発があります。原発とともに生活する新潟県柏崎市のある地区のお話です。

新潟県柏崎市宮川地区。柏崎刈羽原発の方向を望む

世界最大級の原発から2キロ

2024年の元旦早々、石川県輪島市の東北東30km付近を震源とするマグニチュード7.6の地震が起こりました。丸1日が経過した現在(1月2日午後)でも、被害状況の全体が見えてきません。こうした中、私は東京電力柏崎刈羽原発から2キロに位置する新潟県柏崎市宮川地区が気になって仕方ありませんでした。同地区は今回の地震で震度5強を記録し、すぐ隣には運転休止中とはいえ世界最大の発電能力を有する原発が並んでいるからです。

この地区で町内会長をされている吉田隆介さんと、私は家族ぐるみでお付き合いをしています。大変な時に安否の確認の電話をするのも非常識とショートメールを入れました。

★★

高台のお寺から高浜コミュニティーセンターを望む(新潟県柏崎市宮川)

みんなが『非常持ち出しリュック』を担いでくる

2007年7月6日に中越沖地震(最大震度6強)を経験した新潟県柏崎市では「7.16 あの日を忘れない…かしわざき市民一斉地震対応訓練」を実施しています 。宮川地区でも毎年この日に地震の防災訓練が行われます。震災から16年、新型コロナウイルス感染症が法律上の2類から5類に移行したため、2023年は3年ぶりの本格的な避難訓練となりました。

私も、このような避難訓練を一度も経験したことがないので、よく見ておこうと参加しました。

まず、民家に設置してある防災無線と地域の有線放送で、震度7の地震発生が告げられます。それから1分間、机の下に身を隠し、揺れが収まったと再度放送されたら避難開始。天候によっては寒さ対策も必要になるため長袖シャツを持って、自宅に装備してあるヘルメットをかぶり、防災グッズが詰まった非常持ち出しリュックを背負って海抜16.7㍍の高台にある寺に向かいます。

柏崎市では「案 地域防災計画(地震・津波災害対策編)」=2021年7月修正=で、津波の影響が出始める時間を5~10分と想定していますが、宮川地区では、地震発生時から津波到達時間を15分と設定していました。

点呼のあと、住民の参加を確認したのち、寺のすぐ下にある駐車場でテント設営と炊き出しの準備が始まりました。新潟県産の無洗米、沸騰したお湯に米10kgを入れて、巨大なしゃもじで6~10分間かき混ぜると、どんどん水気が飛んでおかゆ状になってきます。頃合いを見計らい、蓋をして弱火で8分、そして20分蒸らしを行い、シソのふりかけを入れて味付けご飯の出来上がりです。それをおにぎりにして一緒にいただきます。

吉田さんはこう話します。

「柏崎市の避難対応訓練は机の下などで身を守る訓練で終了ですが、私はそれでは海沿いの町として訓練にならないという思いから毎年この日に津波避難訓練を続けています。市内で避難訓練までやっているところはあまりないと思います。7月16日につらい思いをしたことを私たちはついつい忘れがちですから。そうならないためにも暑くて大変であろうともやらなければとの思いでいます。今では『非常持ち出しリュック』をほぼ全員が担いでくるようになりました。避難時の身づくろいもできるようになりました。高齢者の多い宮川地区ですがそれなりに避難時に対応する意識は根付いたのかと感じています」

2023年7月6日の避難訓練。これは点呼(新潟県柏崎市宮川)

40センチの津波が何度も

今日の昼過ぎに、吉田さんから電話をいただきました。避難訓練通り、向かいのお寺に1日午後8時まで避難したそうです。 福井市で就職された長男さん家族も帰省中でしたが、丸1日掛かって帰省し、2日午前に柏崎を出発しました。 中越沖地震で家が大きく傾いたあと、吉田さんは家を大規模改修しましたが、今回の地震でまた傾いて板戸が動かなくなったそうです。大工さんに見てもらわないと被害状況がつかめないと話していました。

町内会長をしているため、吉田さんは地区住民の安否や被害状況の確認のため地区内を回っていたので津波までは確認できませんでした。海を注視していた住民の方から聞いた話では40cmの津波が押し寄せ、その後も何度も津波が来たそうです。 結局、吉田さんは同地区の高浜コミュニティセンターの2階で一晩過ごしました。 現在も携帯電話の電波が繋がりにくく、途切れ途切れとなっています。 今晩から天候が崩れるというので心配です。

木村真三さん。四万十川上流の愛媛県広見町(現鬼北町)出身。北宇和高校から土佐塾予備校を経て東京理科大山口短大、九州工業大学卒。同短大で助手を務めたあと、北陸先端科学技術大学院大学から北海道大学大学院博士課程修了(博士=地球環境科学)。放射線医学総合研究所を経て労働安全衛生総合研究所の研究員を務めているときに東日本大震災が発生。生の放射線データを測定するため辞表を出し、福島第一原発周辺のデータを計測する。現場とデータの重要性を強調する研究者として独自の発言を続け、「新潟県原子力発電所事故による健康と生活への影響に関する検証委員会」健康分科会の委員なども務めた。現在は福島県二本松市の獨協医科大学国際疫学研究室福島分室室長。

(C)News Kochi(ニュース高知)

関連記事

  1. 高知市とシダックス④責任者は高松にいた
  2. 高知市による民有地占拠疑惑① 唐突に所有権を主張、遊び場塞ぐ
  3. 四国山地リポート 「考えぬ葦・ヒト」の営為①砂防ダムの光と影
  4. 高知市とシダックス①指定管理をめぐる疑惑
  5. 県発注工事で談合疑惑③本庁発注工事でも
  6. 龍馬記念館のカリスマ、最期のカウントダウン③節目だった「坂本直行…
  7. 災禍の中から一筋の光 「こつも炭丸」の物語
  8. ひと。57年にわたってラジオで「沖縄」を伝えた源啓美さん

ピックアップ記事







PAGE TOP