明快な証拠を示さないまま高知市が係争地を占拠し続けている場所が市の北部にある。しかも子どもたちのあそび場に通じる小さな通路橋の入り口だ。子どもたちの大切な場所を、19年前の完成直前から市は「市の土地だ」と主張し始める。嫌がらせのように車止め(バリカー)を設置し、いったんは許可された橋の撤去まで求めてきた。以来20年、自費で橋やあそび場を整備した老夫婦は地方権力の暴走(あえてこの言葉を使う)にもみくちゃにされている。民主主義国家の日本で一体何が起こっているのだろうか。(依光隆明)
夫婦の退職金で造った「あそび山」
問題の土地は高知市福井町字口ホソ(くちほそ)1805番地。元は田んぼで、その後は道路になっている。所有するのは複数の高知市民(一人は2分の1所有権)。水路を挟んだ対岸には「あそび山」と名付けられた広い遊園スペースがある。親に連れられた小さな子どもたちが訪れ、土の上で走り回って遊んでいる。
1805番の対岸(地目は原野)を購入して「あそび山」を造ったのは近くに住む古谷寿彦さん(80)、滋子さん(78)夫妻である。寿彦さんは郵便局、滋子さんは県職員を勤め上げ、2005(平成17)年に退職金をはたいて整備した。子どもたちの笑顔を見たい、という思いだった。
市道から「あそび山」に入るには県が管理する小さな水路を越えなければならない。同年1月、夫妻は幅4.1㍍・長さ約3㍍の通路橋の建設を申請し、岡﨑誠也高知市長が同意して県が許可を与えた。許可の日付は同年2月21日である。風向きが急変したのは業者が橋を造っているさなかだった。「あそび山」の対岸、つまり橋の入り口は市水道局の敷地であると唐突に市が主張し始め、水道局の許可がないと橋の建設は認められないと言ってきた。
通路橋の入り口、「あそび山」に対面して左手には市水道局の「北部高地区加圧送水所」がある。その敷地(福井町字口ホソ1807番地)が橋の入り口まで延びている、だから水道局の許可がいる、という理屈だった。法務局の公図や現況を精査し、古谷さんは橋の入り口が民有地(1805番地)だと認識している。しかもいったんは市も認め、県から許可をもらっている。「どう考えても水道局の敷地ではない」と市の注文に応じなかった。市耕地課は「橋の建設を中止しろ」と主張したが、すでに業者は工事を完了しつつある。一時的に工事はストップしたものの、同年3月29日に橋は完成した。
「市の土地だと認めろ」「認められない」
偶然かどうか、法律の改正がこの問題にかかわっている。2000(平成12)年、法律改正によっていわゆる赤線(里道)と青線(水路)が国から自治体に移管された。国が保有していた時代は県が管理していたが、順次市町村管理になっていく。通路橋の下を流れる水路が県管理から高知市の管理に変わったのがちょうど2005年3月末だった。橋をかけるときは県の許可だったが、更新許可を与えるのは高知市になった。つまり高知市が許可権限を持つことになった。
通路橋の入り口は水道局用地だ、水道局に許可願いを出せ、と市に通告された古谷さん夫妻は混乱し、戸惑った。公図を何度精査しても、通路橋の入り口付近でかつて水田を作っていた土地所有者に聞いても、過去の航空写真を見ても、橋の入り口は水道局の土地ではない。古くからの民有地(1805番地)であり、しかも通路橋の入り口は水路に添って赤線(里道)が横断している。赤線だった道(旧国有地)が水道局の所有であるわけもない。どこをどう考えても水道局の土地ではないと判断したため、古谷さん夫妻はいまも水道局に許可を申請していない。
古谷さんによると、2005年5月に高知市に呼ばれ、市長応接室で助役や居並ぶ幹部と話をさせられた。「水道局の土地だと認めてくれ」と要請する市幹部に、古谷さんは「それは違う。水道局の敷地だと主張するのであれば証拠を出してください」と答えた。助役は「認めてくれたら一席設けます」と誘ってきたが、拒否した――と古谷さんは説明する。
車止め+ゼブラの強硬手段
「あそび山」のオープンは2005(平成17)年9月21日だった。1か月後、市は「あそび山」に通じる橋の入り口に鉄パイプの車止めを設置し始める。車止めが完成したのはその1か月後。併せて市は車止めと橋の間に黄色いゼブラをべったりとペイントした。「あそび山」に車が乗り入れることはできなくなったうえ、あそび場のイメージが悪化した。
古谷さん夫妻は車止めの撤去を求めて提訴する(通行権妨害排除請求事件)。
一審の高知地裁、控訴審の高松高裁ともに古谷さん夫妻の敗訴となるが、その理由をざっくりといえば、古谷さんの日常生活には不利益がないということだった。2008(平成20)年に下された高松高裁の判決はこう指摘している。
「公衆用道路(公道)の利用権(通行の自由権)に基づく妨害排除請求権(人格的権利)が認められるためには、公衆用道路を通行することについて日常生活上不可欠の利益を有する者でなければならない」「控訴人=古谷さん=が南側土地(公衆用道路)を通行することについて日常生活上不可欠の利益を有する者でないことが明らかであるから、公衆用道路の利用者の地位に基づく本件パイプの撤去要求は、理由がないと言わなければならない」
敗訴は敗訴だが、古谷さん夫妻にとっては実りのある見解も高松高裁が出していた。
古谷さんが最も主張しているのは通路橋の入り口の土地が福井町字口ホソ1805番地(民有地)である、ということだ。市役所の主張は水道局が所有する口ホソ1807番地であるということ。車止めに関して「日常生活上不可欠の利益を有する者でない」という理由で古谷さん夫妻の主張を退けた高松高裁は、通路橋入り口の土地問題についてはこう断じた。
「(橋入り口が1807番地であり、その管理のために車止めを設置したという高知市の主張は)その根拠として提出する農道用地実測図が必ずしも公図による1807番土地並びに高知市福井町字口ホソ1806番1、同所180番2及び同所1805番地などの土地の位置関係と一致していないことからも直ちに首肯し得るものではない(が、これは判決を左右しない)」
高知市が自らの主張の根拠として示したのは、市耕地課が2006(平成18)年に作った「農道用地実測図」だけ。当然ながら訴えられた側が自分で作った証拠に証拠能力はほとんどない。しかも法務局が持つ公図とはかなり違っていたため、裁判所は高知市の主張を退けた。要するに、橋の入り口が水道局用地であるという高知市の主張を認めなかった。
根拠書類は「文書不存在」
そもそも高知市はどのような根拠で橋の入り口が水道局の土地だと主張しているのだろうか。NewsKochiは高知市に対し、その根拠を情報公開請求した。最も根拠となるのは昭和50年代の北部高地区加圧送水所用地購入時に作った売買実測測量図やその際の現況写真なのだが、高知市の回答はいずれも「文書不存在」。結局、根拠らしきものは2006(平成18)年の「農道用地実測図」しかないことが分かった。ところがそれは公図とは全く異なっており、高等裁判所は高知市の主張を退けている。ということは、橋の入り口が水道局用地だという高知市の主張には根拠がない。
車止めは外したものの、高知市はゼブラを残して所有地であることを主張している。片や古谷夫妻は1805番土地の所有者から2分の1所有権を購入し、通路橋入り口の土地所有者であることを主張している。両者が土地所有権を主張している以上、少なくても係争地であることは否定できない。であるにもかかわらず、市はゼブラを残して占有を続けている。
現状を認めてしまってはなし崩し的に市の土地にされてしまう、と考えた古谷さんはことし3月、ゼブラの真ん中付近に掲示板を立ててことの経緯を公開した。
古谷さん夫妻は通路橋の入り口が1805番地であるという証拠を何重にも集めて高知市の担当者に説明もしている。片や高知市に対しては橋の入り口が水道局用地だという複数の証拠書類を出すように求め続けている。しかしそれらの書類を高知市は示していない。高知市長との面談も求めているが、岡崎誠也市長はもとより、昨年11月に就任した桑名龍吾市長も古谷さんとの面談を拒否し続けている。