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放射能汚染と生きる。飯舘村長泥地区のいま③大臣は来てくれるんだが…

2017年11月、福島県飯舘村長泥の行政区長だった鴫原良友さん(74)が環境省の「環境再生事業」導入にサインしたとき、環境省を代表して調印式に臨んだのは伊藤忠彦環境副大臣(60)だった。2024年の石破茂内閣発足に伴い伊藤氏は復興大臣に就任、11月20日に長泥へやってきた。(依光隆明)

環境省が実験中のビニールハウス。各種の花を育てている=福島県飯舘村長泥

「ドレスコードってなに?」

低汚染土受け入れという運命の調印をしただけに、鴫原さんは伊藤氏のことをよく覚えている。復興大臣として長泥に来てくれるのがなんとなく楽しみでもあった。コミュニティセンターで直接対話できるのは村長と現行政区長だが、会うことはできると聞いていた。

ちょっとした違和感を抱いたのは前日の19日午後。環境省が長泥で実証実験中の農業用ビニールハウスを訪れたときだった。このハウスでは花卉の栽培実験をしている。にこやかに中に入り、作業中の職員らにあいさつしたあと、職員から笑顔でこう言われた。「あしたのこと、分かってますよね」。「大臣来るんだべ」と答えた鴫原さんに、環境省の職員はこう続けた。「ドレスコードがありますから」。鴫原さんは一瞬戸惑った。ドレスコードなんて言葉は生まれてこのかた聞いたことがない。どういう意味だろう。「なにそれ?」と聞く鴫原さんに、職員は「ネクタイを付けてきてください」と言った。

「ネクタイがいるの?」「はい」「どこで会うの?公民館(コミュニティセンター)じゃないんだべ?」「はい。コミュニティセンターは村長と区長だけです。鴫原さんはこのビニールハウスで会います」「ハウスで会うのにもネクタイいるの?」「はい。つけてください」「弱ったなあ。家帰ってネクタイ探さなきゃいけねえなあ」。強制的な感じではなく、にこやかな会話でドレスコードが周知された。もちろん鴫原さんに逆らう気は毛頭ない。少々の違和感だけを持ちつつ和やかにビニールハウスを後にした。

2022年に再建された白鳥神社と鴫原良友さん。1戸当たり20万円を拠出して再建した=飯舘村長泥

村長の機転でネクタイ回避

車に乗った鴫原さんに復興庁の職員から電話があった。「前に伊藤大臣に会ったことがあること、ご存じかどうかと思って」と話す職員に「知ってるよう」と答え、「今どこにいるの?役場?じゃあちょっとそこ行くわ」と役場に車を向けた。

電話をしたのは飯舘村役場に机をもらっている復興庁参事官の福田結貴さんだった。簡単な打ち合わせをしながら、鴫原さんは「村長いるかな」と村の職員に声をかけた。手が空いた杉岡誠村長が村長室に招き入れてくれ、少しだけ雑談した。その中で出たのがドレスコードの話。瞬間、杉岡村長の表情がさっと変わった。「それはおかしい」と。「そんなことが今までありましたか?」と問う村長に、鴫原さんは「ない。初めてだ」。「ハウスの中で会うんでしょう」「そうだ」「ハウスの中で会うのにネクタイ付けろなんて。むしろ変ですよね」と首をかしげる。「環境省にちょっと聞いてみます」と話す村長にあいさつして役場を出た数時間後、自宅にいた鴫原さんに杉岡村長から電話があった。「ネクタイなしでいいってことになったんだよ」と鴫原さん。翌日、予定通り鴫原さんは伊藤大臣に会った。鴫原さんによると、伊藤大臣も鴫原さんのことを覚えていたらしい。対面を振り返りながら、鴫原さんが言う。「長泥まで来てくれるのはありがたいけど、復興大臣もころころ変わるからなあ。1∼2年じゃあ何もできないよなあ」

原発事故半年前の鴫原さん宅。母屋があり牛小屋があり倉庫があり畑があり裏山がある=2010年9月の空撮写真

国と被災者の関係に変化?

ネクタイをしようとしまいと鴫原さんにとっては大したことではない。違和感が残っただけだ。その違和感は国と被災地との関係に敷衍できるかもしれない。いわば力関係の微妙な変化である。原発事故から数年、復興の中心にいたのは被災し、故郷を追われた人々だった。被災した人たちのために国が汗をかくのは当然であり、国に汗をかいてもらうのは故郷を追われた代償なのだ、という雰囲気だった。それが徐々に変化する。気がついたら故郷を追われた住民の方が国に「してもらっている」という雰囲気になっていた。象徴がドレスコードかもしれない。ビニールハウスで大臣に会うのに被災者の側がネクタイをしなければからない。そこには国が「してあげている」という感覚がかいま見える。

もちろん鴫原さんの側には「してもらっている」という気はない。国がいかに汗をかいたところで元の長泥に戻ることはもうないからだ。たとえば特定復興再生拠点区域に認定されたのは地区の2割だけ。里山を中心とする8割に手が付けられないということは、山の幸の豊かさを誇った元の長泥には戻らないことを意味している。復興対象となった2割にしても、自然豊かな以前の面影は全くない。しかも国は事実上、低汚染土の処理も長泥に押し付けた。鴫原さんが「義理人情」を口にする背景には、国や村が困っていることも引き受けた、だから国や村も長泥のことを分かってくれという思いがある。それだけに、わだかまりが消えない。国や村は義理人情を分かっているのだろうか、長泥のことを親身に考えてくれているのだろうか、と。

母屋があった場所に造った鴫原さんのプレハブ小屋。1部屋だけだが、泊まることはできる=飯舘村長泥

誰が長泥に戻るのか

「長泥の人は40代50代は戻る気ないもんなあ。70代80代は別荘感覚だも。自分の土地に作物できるのは4~5年かかるしなあ」と鴫原さんはため息をつく。別荘感覚というのは本宅を長泥外に構え、別荘のある長泥に通うという意味だ。実は鴫原さん本人が似たような状況にある。家も牛舎も畑もきれいさっぱり取り壊してもらったあと、500万円で井戸付きのプレハブ小屋を建てた。何度か泊まったらしいが、「さっみしいよ。(地区の中に)誰もいないんだも」。本宅は福島市に構えた。中古の住宅を購入し、そこに3世代5人で住んでいる。長泥には鴫原さん本人がときどき戻るだけだ。

低汚染土を運び込んで造成した農地は、個人に分ける。これも鴫原さんは心配している。「元々そこに農地を持っていた人で調整するんだども、どの部分を取るかは個人個人の話になってくるんだよ。これがきっついんだよなあ」。鴫原さんによると、道路や水路に取られ、元の農地が7~8割に減る。それを元の持ち主で分けるのだが、個人同士の交渉がうまく運ぶかどうか。こじれたら大変だ、と心配する。

木村真三さん(左)と鴫原さん=福島県浪江町の津島支所前

長泥に着目する木村真三博士

長泥地区の南に位置する浪江町は、2023年12月に帰還困難区域のうち12地区(各地区の一部エリア)が長泥と同じ「特定復興再生拠点区域」に認定された。長泥が2018年春だったから、5年半ほど遅れて一歩踏み出したことになる。認定を受けた浪江町12地区の一つ、津島地区には現在、愛媛県広見町(現鬼北町)出身の放射線衛生学者、木村真三博士が研究拠点を作ろうとしている。

津島地区の隣が赤宇木(あこうぎ)地区で、ここは極めて放射線量が高かったことで知られている。原発事故から数日後、赤宇木の公民館に避難していた人々にもっと遠くへの避難を説いたのが木村さんだった。ギャラクシー賞や石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを総なめにしたNHKのETV特集「ネットワークで作る放射能汚染地図」にそのシーンが活写されている。その後、木村さんは津島地区を中心とする600戸の放射線量を、玄関や庭先など数カ所ずつ丹念に調べつくした。福島県内はもとより東北各地の放射線量や放射性セシウム濃度も測り続けている。木村さんは「正確なデータを取って残すことが自分の役割。代わりの人がいない限り自分がやるしかない」と話す。

位置関係を見ると、長泥から南に峠を越すと赤宇木で、その南に広がるのが津島地区。長泥は福島第一原発から33㌔離れているが、赤宇木と津島は30キロ圏内になる。津島の将来像を構想したとき、木村さんが着目したのが長泥だ。長泥は特定復興再生拠点区域の認定と併せて環境省の「環境再生事業」を導入し、低汚染土による覆土を受け入れた。津島がどういう道を進むのか分からないが、鴫原さんに話を聞き、必要があれば教訓を津島にフィードバックできないかと考えている。事業が住民の思いに沿うものなのか、住民の思いと乖離しながら事業が進むのか。鴫原さんの体験と決断、悩みこそ教訓にできるのではないか、と木村さんは考えている。(おわり)

(C)News Kochi(ニュース高知)

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