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なぜ学校で…。高知市立小プール死をめぐる疑問㉒潮江小を検証していれば

2024(令和6)年7月5日、高知市立長浜小学校の4年生が市立南海中で行われた水泳授業中に溺れて亡くなった事故から半年が過ぎた。子どもを持つ親たちが最も知りたいのは、「なぜあのような事故が起きてしまったのか」。高知市ではその6年前にも市立潮江小学校で女子児童が重体(のち回復)となるプール事故が起きている。今回のことを「想定外」「あり得ない」で済ましては三たび重大な事故が起きる危険性がある。(依光隆明)

潮江小校長が提出した2018年8月1日付「重大事故災害等報告書」

25分の遊泳と5分休憩を3回

2018(平成30)年7月23日に起きた潮江小での事故について、News Kochiは高知市に情報公開請求を行った。開示された資料に基づいて潮江小の事故をたどる。

事故の舞台は夏休みのプール開放だった。主催は同小PTA。同年8月1日付で潮江小の田内聡校長が高知市教育長に提出した「重大事故災害等報告書」によると、6月13日のPTA役員会と代議員会で7月23日から27日までの開催を決定している。田内校長が時間短縮の提案をし、従来は毎日2時間だったプール開放を1時間半に短縮。25分間の遊泳と5分間の休憩を3回繰り返すことにした。監視員は保護者と学生アルバイトで、最低5人の監視体制が整わなければ中止とする決まりにした。

事故当日の7月23日付で市教委学校教育課が出した「夏季休業中におけるプール開放時の水難事故について」によると、開放時間は午後1時半から3時。初日の23日には44人の児童が参加した。監視者は10人。内訳は、PTA予算で雇用した高校生の監視員が5人、保護者が5人。10人のうち1人は小プールの監視をし、大プールでは9人が監視をした。配置は四隅に保護者4人、プールサイドに高校生5人。

事故当時の見取り図。大プールには9人の目が注がれていた(2018年7月23日付の市教委文書「夏季休業中におけるプール開放時の水難事故について」から)

誰も見ていなかった

「重大事故災害等報告書」によると、事故が起きた開放初日の時系列はこうなっている。

午後零時55分、高校生の監視員2人が来校。教頭が対応し、監視に必要な物品を持ってプールに向かう。1時10分、続いて2人の高校生監視員が来校し、教頭から監視位置や注意事項の説明を受ける。1時20分ごろ、保護者5人と高校生監視員1人が到着し、監視の立ち位置など教頭がさまざまな指示をする。

1時30分、プール利用者名簿に名前を書いた児童から順に更衣室へ入れる。監視員の指示で準備運動をし、1回目の遊泳開始。1時35分ごろ、教頭が職員室に帰る。1時55分から2時まで休憩。ここまで異常なし。

2時、2回目の遊泳開始。校長がプールに顔を見せ、監視員に声をかけてプールサイドを一周する。そのあとプール外で児童に指導を行い、職員室に戻る。

2時10分ごろ(別の資料では2時8分)、大プールの端から5㍍付近(水深1.2㍍)に児童一人が沈んでいるのを参加した児童が発見、監視中の保護者に連絡した。監視の保護者が児童をプールサイドに引き上げ、保護者2人が胸骨圧迫を始める。同時刻、監視の保護者が職員室の教頭に「すぐ来てください」と内線電話をかける。2時11分ごろ、教頭がプールに駆け付ける。保護者に代わって教頭が胸骨圧迫を行う。2時12分ごろ、職員室から教員が119番通報(高知南消防署の記録では2時13分着信)。同時刻、校長のほか多数の教職員がプールに駆け付ける。同時刻、溺れた児童の保護者に担任教諭が電話する。同時刻、遊泳していた児童たちを更衣室で着替えさせ、帰宅させる。2時20分ごろ、AEDを使用するが、解析によってAEDは必要なしと判断される。2時22分ごろ、救急車が到着。2時25分ごろ、救急車に母親が同乗して高知赤十字病院に向かう。

2時28分、教頭がPTA会長に連絡。同時刻ごろ、校長が監視者(保護者と高校生)の位置関係などを確認する。2時35分ごろ、PTA会長到着。2時45分、市教委学校教育課に連絡。同時刻ごろ、母親から赤十字病院の集中治療室に入ったと連絡が入る。2時50分ごろ、教頭が赤十字病院に向かう。2時55分、市教委指導主事が赤十字病院に出発。3時30分ごろ、報道機関から取材が入り始める。6時30分、教頭が学校に帰り、児童の容態について職員に説明する。

県教委から高知市教育長への2018年7月25日付通知。夏休みのプール開放について、安全管理の徹底を要請している

原因究明をしなかった?

「重大事故災害等報告書」や「夏季休業中におけるプール開放時の水難事故について」のほか、開示資料には8月13日に行われた臨時校長会に関するものや、県教委保健体育課長が高知市教育長に出した「水難事故等の防止について」通知、潮江小校長が保護者に出した「心のサポート体制について」などさまざまな文書が含まれていた。しかしなぜか、「なぜ事故が起こったか」に触れた文書は存在しない。児童がいつ回復したかを書いた文書もない(少なくとも8月1日時点でまだ意識が回復していないことは読み取ることができる)。

時系列に経過を追ったあと、文書は「市長への報告」「県教委から高知市教育長への通知」「児童の心のケア」「今後の方向性」と続く。「今後の方向性」を明記した文書(市教委が作成したとみられる)には市教委が学校プール開放のガイドライン等を作ろうとしていること、2019(令和元)年8月から「夏季休業中の学校プール開放に係る協議会」を立ち上げることが書かれている。

44人の児童に、10人の監視者がついていた。それでも児童が溺れるところを誰も見ていなかった。発見したのは一緒に泳いでいた児童だった。どうして溺れたのか、いつ溺れたのか、なぜ監視者は見ていなかったのか。開示文書を見ても全くわからない。「なぜ起きたのか」を検証しないまま対策に走ったようにしか見えない。気になるのは、長浜小学校の事故と類似点があることだ。

高知市立潮江小学校=Google Earthより

10対44と3対36

長浜小学校は、自校プールの故障によって水深の深い市立南海中学校のプールを使っていた。南海中プールの最も浅い所が1㍍20㌢で、潮江小の児童が沈んでいた水深と同じ。亡くなった長浜小の児童は4年生(身長113.8㌢)で、一時重体となった潮江小の児童は3年生(身長不明)。泳いでいた児童は潮江小が44人、長浜小は36人。なによりの類似点は、溺れるところを監視者が全く見ていなかったこと。水中に沈んでいる児童を、仲間の児童が発見したこと。どちらの事故もいつ溺れたか、なぜ溺れたかが分かっていない。

もちろん相違点もある。プール開放と水泳授業では状況が違うし、監視者も違う。大きく違うのは監視者の数だ。潮江小は44人を10人で監視していた。長浜小は36人を3人の教員が見ていたが、事故当時に「泳ぎの苦手な20人以上」を見ていたのは1人だけだった。

44人を10人が見ていても溺れるところを誰も見ていなかったのだ。その事実を真摯に検証していれば、「泳ぎの苦手な20人以上」を1人の教員に任す危うさは容易に分かる。しかもその1人はプールに入って指導をしている。

潮江小学校の事故後、「なぜ起こったか」を丹念に検証していればプール事故の危険性は市全体の認識になった可能性がある。「泳ぎの苦手な20人以上」を1人の教員に任すようなことにはならなかったかもしれない。開示資料を見る限り、2018年当時の市教委は真摯に検証と向き合ってはいなかった。それが6年後のの悲劇へとつながった。

開示資料には「市長への報告内容」も載っていた

事故1週間後から責任者不在

懸念される類似点はもう一つある。責任者の問題だ。予算を握り、教育長を選ぶ責任者は市長であり、教育をつかさどる責任者は教育長となる。開示資料を見る限り、2018年7月23日に潮江小学校の事故が起きたあと、当時の岡﨑誠也市長は「報告を受ける」という受け身の立場に終始している。しかもこのときは教育長にアクシデントがあり、事故1週間後の7月30日に横田寿生教育長が辞職。2カ月後の10月1日に山本正篤教育長へ代わっている。つまり最も大事な期間に学校や教師集団を率いる責任者が空白だった。2024年7月5日に起きた長浜小学校のケースも似ていて、市長のスタンスは基本的に前任者と同じ、教育長の方は任期が事故5カ月後の12月末までしかなかった。責任を取って10月16日付で辞職したので、こちらも学校を率いる責任者が欠けた。

2018年7月6日夜から7日朝にかけての気象情報。高知市には大雨警報(土砂崩れと浸水)、洪水警報が出ていた=気象庁のホームページより

災害対策をサボって函館競馬旅行

潮江小のプール事故から1週間後に横田寿生教育長が辞職した件には説明が要る。

2018年の7月上旬、西日本各地を豪雨が襲い、200人を超す死者を出していた。西日本豪雨と呼ばれるこの災害が高知市を襲っているさなか、横田寿生教育長や弘瀬優総務部長、教育次長、総務部副部長ら高知市の幹部7人が北海道函館市に競馬旅行に出かけていたことが同月28日になって新聞にすっぱ抜かれたのだ。7人は高知市が豪雨に見舞われている7月7日から3日間、函館を訪れて競馬を楽しんでいた。7月4日には市災害対策本部が設置されていて、横田氏と弘瀬氏はその主要メンバーだった。

高知地方気象台のデータによると、高知市に最初の大雨警報が発令されたのは7月1日。競馬旅行前後の警報発令状況は、5日から8日まで高知市に大雨警報、6日と7日には洪水警報。8日には県西部に大雨特別警報が出ている。高知市は災害に強い街ではなく、1998(平成10)年の高知豪雨では全市水没と形容できるほど甚大な被害を受けた。そのときの記憶が脳裏に焼き付いているだけに、高知市民は豪雨には敏感だ。降りやまぬ雨に浸水や土砂崩れへの恐怖心が高まっているさなか、市災害対策本部の主要メンバーが北海道まで競馬旅行に出かけていた。

JRA(日本中央競馬会)の函館競馬場。競馬旅行の行き先は函館だった=Google Earthより

教育長辞職、総務部長更迭

新聞がすっぱ抜いて以降、市内外で批判が沸騰し、横田氏は辞めざるを得なかった。潮江小の事故は新聞にすっぱ抜かれる5日前だったが、その5日間で横田氏が原因究明に手を打った形跡は見られない。横田氏はすっぱ抜きから2日後に辞職を表明。後任の教育長が決まるのは2カ月後だった。潮江小の田内聡校長が高知市教育長に「重大事故災害等報告書」を提出するのは8月1日。受け取るべき教育長は、このときにはもう存在しなかった。教育長ばかりではなく教育次長も競馬旅行に参加していたので、教育委員会は潮江小の原因究明どころではなかった懸念がある。

弘瀬氏の方は総務部長から上下水道局に更迭された。岡﨑市長が重用した人物だが、この更迭で弘瀬氏が再浮上することはないと多くの人が思っていた。その弘瀬氏を副市長に抜擢したのは2023年11月の市長選で岡﨑氏を僅差で破った桑名龍吾市長だ。当然ながら「災害のさなかに競馬旅行を楽しんだような前市長の腹心を、なぜ?」という疑問が噴出した。2023年12月の市議会定例会に諮られた弘瀬氏の選任同意議案は、賛成18に対して反対が6、棄権が9。反対と棄権を足すと賛成との差が3しかないという異例の僅差だった。

災害対策本部のマニュアル。教育長も総務部長も本部員会議のメンバーとなっている=高知市地域防災計画より

再開の鍵は「原因究明」

2024年7月に起きた長浜小のプール事故で、原因究明に動いているのは警察を除くと市教委の第三者委員会「高知市立長浜小学校児童プール事故検証委員会」しかない。ところが非公開で進められているため、どのような論議が交わされているのか、どのような報告書ができるのか、全く分からない。もし市民が納得できる報告書になっていなかったらどうなるのか。問題はことし夏の水泳授業だろう。長浜小の事故以来、高知市は市立小学校の水泳授業を中止している。授業が復活する鍵は市民が納得できる事故防止策であり、その鍵は原因究明に他ならない。原因究明が十分でなければことしの水泳授業を再開させられないということだ。市も市教委も市議会も、第三者委員会に下駄を預けたまま動いていない。万が一、第三者委員会の報告書が市民の期待外れだったとき、どのように対処するのだろうか。

(C)News Kochi(ニュース高知)

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