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高知裏面史 西岡寅八郎メモワール⑧4人協調体制の終焉

西岡寅八郎さんは1935(昭和10)年4月27日に生まれた。2026年の誕生日も無事に迎え、現在91歳。糖尿病や脊椎関節症、黄斑変性症などに苦しみながら、しっかりとした声と記憶で自身の体験を言葉にしている。(依光隆明)

免責を許可した高知地方裁判所の決定文書(一部)

「財産処分のあのみじめさ…」

最近、西岡さんは体の不調以上に心のストレスを感じている。あれだけ協力した四国銀行になぜ裏切られたのか、なぜ黒字を出していた土佐電気鉄道(土電)が潰されなければならなかったのか、なぜ土電の資産を大幅に増やした自分が個人の全財産を取られなければならなかったのか、と。

「銀行に破産させられて財産を処分するあのみじめさゆうたら…。なんで個人の財産まで取っていかないかんろう、担保にも入れてないのに。なんで80歳にもなった年寄りに四国銀行がこんなことを…常識的に考えたらこんなこと普通はあり得んわねえ。人をいじめてねえ。なんぼ銀行がたち(質)が悪いゆうたち、たちの悪さが違う」

高知地方裁判所に対し、四国銀行が西岡さんの破産を申し立てたのは2016(平成28)年3月。3カ月後に破産開始手続きが開始され、西岡さんはすべての財産を失った。西岡さん側の計算ではその額は約1億7000万円相当にのぼる(裁判所の記録では実際に債権者に配当されたのは1憶3327万円)。四国銀行は土電への融資に西岡さんが連帯保証人の判を押していることをほぼ唯一の根拠として追い込みをかけた。しかし西岡さんが土電の役員を辞めたのは2013(平成25)年4月であり、その時点で土電は普通に経営を続けていた。連帯保証人となった以上、法的には四国銀行が同意しない限り退任後も連帯保証人の義務は継続する。しかし西岡さんは三つの意味で土電の債務が自分に降りかかってくるとは想像もしていなかった。

一つは四国銀行や県に頼まれて土電の経営に携わってきた、という意識。30年にわたり、体を壊しながら懸命に経営を立て直そうとした。四国銀行に感謝されることがあっても恨みをかう覚えはない。二つめは四国銀行への信頼感だ。頭取、会長として長く君臨した浜田耕一氏は信頼できる人物だった。約束を破るはずがないと信じていた。三つめは土電の経営が順調だったことだ。西岡さんが経営に携わって以降、土電の借金は増えていない。そのことは西岡さんの免責を許可した高知地方裁判所の決定文もこう指摘している。

〈(高知県交通との統合などは)破産者が代表取締役等を辞任後のことであり、破産者が本件会社(土電)の代表取締役に就任した当時、本件会社が既に約35億円の債務を負っていたことに照らすと、本件会社の財務状況の悪化が専ら破産者の責任であるとは認められない〉

免責許可とは、それ以上の支払い義務を法的に免除すること。つまり債権者側の追い込みを停止させること。これによって西岡さんは6年ぶりに移動の自由や通信の自由を取り戻した。免責を許可するな、という四国銀行の主張を高知地裁が退けた理由の一つは、西岡さんが土電の借金を増やしていないことだったといえる。四国銀行が西岡さんに提示した資料によると、西岡さんが辞めた直後の2013(平成25)年6月時点における四国銀行の土電への貸出金残高は25億円。その貸出金にはきちんと利息を払い続けたではないか、とも西岡さんは指摘する。四国銀行に土電が払ってきた利息は年利3%。西岡さんが代表取締役会長になった1983(昭和58)年から辞職までの30年間で、土電は四国銀行に20∼30億円の利息を支払ったと思われる。

四国銀行や県に求められて土電の経営にかかわり、四国銀行には利息を払い続けた。それなのになぜ四国銀行が自分を破産に追い込み、営々と築いた自分の財産すべてを取り上げたのか。しかも3%の利息を払い続けているころ、四国銀行は一度も「返済しろ」とは言わなかった。自分が経営を引いたあとになって、話し合いを一切拒否し、いきなり破産に追い込むとはどういうことか。黒字会社を潰しておきながら、保証人の判を唯一の根拠に、経営から離れた自分の財産をすべて取り上げるとは無茶ではないか。考えれば考えるほど憤りが沸き、ストレスが募るのだ。「なんでこんなことをされるろうと思うて、ノイローゼみたいになって、夜も寝れんかった。気が狂いそうやった」と話す。土電の資産を増やした、と西岡さんが主張する件についてはやがて触れる。

1979(昭和54)年当時のはりまや橋交差点。当時は2両編成の電車も走っていた。後方左は四国銀行本店=『土佐電鉄75年の歩み』より

三途の川を一緒に渡る

四国銀行からすれば法律通り、決まり通りに進めているだけだろう。ところが西岡さんから見ると理不尽としか映らない。破産させられたこともそうだし、四国銀行が西岡さんの免責を全く認めようとしなかったことにも傷ついている。「(免責の可否を判断する)裁判で四国銀行の弁護士が自分に言うたことはよう忘れん」と。四国銀行は自分が死ぬまで免責しないつもりだった、自分が死ぬのを待っていた、と西岡さんは思っている。このような理不尽がなぜ通るのか、と考え始めると悶々として果てしなく思考する。権力さえあれば何でもできるというのはおかしい、四天王の時代にはこんなことはあり得なかった、と。知事の溝渕増巳氏、高知新聞社長の福田義郎氏、四国銀行頭取の前野直定氏、県農協中央会会長の藤田三郎氏が対等の立場で問題にあたった半世紀前、つまり四天王の時代には誰かを徹底的に追い詰めるような結論は決して出さなかったと西岡さんは思う。盤石に見えたその体制が崩れ始めたのは西岡さんの父、寅太郎氏の死がきっかけだった。

寅太郎氏が亡くなったのは1971(昭和46)年7月16日。63歳、すい臓がんだった。3カ月前まで県議会議員だったこともあり、同僚県議2人が「友人代表」として新聞の死亡広告に出た。これに四国銀行の前野頭取がかみついた。西岡さんが振り返る。

「家で葬儀をやろうと思いよったら細木善一郎県議と泉清利県議が来て友人代表で広告を出したんです。それを見た前野さんが『ちょっと来い』と自分を呼んで。行った先が四国銀行だったかどうか忘れましたが、前野さんは怒りながら『なんであいつらが友人な』と。『お前の親父の子分じゃないか』と」

憤る前野氏は、西岡さんにこう通告した。

「『俺がやる』と。『葬儀の日も全部自分がセットする』と言って、その通り前野さんが全部決めました。場所はうちの自宅で、葬儀委員長は溝渕知事にしたかな。いや、誰も立てんかったと思う。溝渕さんを立てると(参議院議員の)塩見俊二さんに悪いということで。弔辞を送る人は全員が肩書きなし、みんな『友人』ということにしました。それを全部前野さんがセットした」

7月18日に密葬をしたあと、本葬は7月22日にするつもりで新聞の死亡広告にはそう書いていた。前野氏の指示でそれを仕切り直し、7月24日に再設定した。準備万端整えた当日、喪主の西岡さんが最終チェックしているところに四国銀行副頭取の吉村真一氏がやってきた。吉村氏は高知市出身で、このとき51歳。東大から大蔵省へ進み、3年前の1968(昭和43)年に四国銀行副頭取に就いていた。「前野さんは一緒じゃないのかな?」と思った西岡さんへの第一声は、「申し訳ない」だった。吉村氏は頭を下げてこう言った。

「『実は前野が亡くなりました。代わりで私が来ました』と言うがです。『申し訳ないですが、前野の弔辞を自分が読ませていただきます』と。もう、びっくりです」

前野氏は急死だった。「行きつけのスナックで倒れ、病院に運ばれてそのまま亡くなったそうです」と西岡さん。7月23日深夜に倒れ、24日未明に亡くなった。43歳で全国一若い頭取となり、17年。まだ60歳だった。吉村氏に知らされるまで西岡さんに訃報は届いていなかった。

「次の日か次の次の日か、前野さんのお通夜に来てくれと言われて、僕が行きました。確か三翠園(高知市鷹匠町)の近くだったと思います。列席した四国銀行の連中に『おまんの親父が(頭取を)一緒に連れて行った。いまごろ三途の川を一緒に渡りよる』と言われたことを覚えています」

四国銀行が東京支店を構える際に尽力したこともあり、寅太郎氏が上京した際は前野氏が四国銀行の車を回して便宜を図っていた。寅太郎氏も上京中は四国銀行東京支店のビルを拠点にして動いていた。仲の良さは幹部行員の常識だっただけに、「一緒に三途の川を渡った」ように見えたのかもしれない。

土電の後継、とさでん交通の電車=2026年3月、はりまや橋電停で

四天王体制の終焉

前野氏が亡くなった日は「四天王」を「四悪人」と形容した元社会党県連会長の大野武夫氏が亡くなった日でもあった。四天王の裏方役を務めていた寅太郎氏が亡くなった直後に四天王の一人、前野氏が亡くなった。これを契機に、厄介な課題を4人が話し合いで決着させた時代は過去のものになっていく。1975(昭和50)年には藤田氏が全国農協中央会の会長となって高知を去り、同年末には溝渕氏が知事を引退、1980(昭和55)年には福田氏が逝去した。四天王に代わる存在もなく、結果的に知事が突出した力を持つようになったと西岡さんは見る。「かといって知事は責任を持たん」とも。

政治、マスコミ、金融、実業を代表する4人がことあるたびに対等に話し合って方向性を探っていた時代と、知事に権力が集まる時代。1971(昭和46)年から42年間に渡って県議会議員として県の動きを見つめ続けただけに、西岡さんにはその違いが気になって仕方ない。(つづく)

(C)News Kochi(ニュース高知)

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