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被爆後80年の広島から。第二、第三世代が語る「未来への継承」㊦

8月6日、原子爆弾の惨禍から広島市が80年を迎えた。被爆者の母親と共に「平和のための通訳」をする小倉史郎さん(58)、新しい「体験と学び」の場づくりをする久保田涼子さん(42)へのインタビューを続ける。㊦は、核兵器をめぐる日本と世界の新たな状況の中で考える。 (寺島英弥)  

修学旅行生の平和学習活動を一緒に受け入れ、広島市平和記念公園の施設で休憩する小倉さん(左)と久保田さん=2025年5月(久保田さん提供)

―第二次世界大戦で米国の原爆開発を主導した科学者を描いた「オッペンハイマー」という映画が先ごろ話題を呼びました。ご覧になりましたか。  

小倉 はい。ナチスドイツとの間で、どちらが先に原子爆弾を作るかという狂気の開発競争を繰り広げ、最後は科学者の手から「政治」が原爆を取り上げて実際に広島、長崎に投下した。映画で被爆地が描かれていないことに批判がありますが、人間の良心や被爆地を踏み越えて「戦勝」した側が、すぐに水爆、現在に至る核兵器開発競争へ突き進むという歴史の恐ろしさに戦慄します。(映画では)触れられませんでしたが、日本にも原爆開発計画がありました。  

久保田 砂漠の原爆実験の場にいた人たちにも被爆者が出ました。広島では米兵の捕虜たちも被爆死しています(注・米政府は長く認めなかった)。誰もが当事者になることを免れないのです。あの映画では爆発実験のインパクトが映像化されていましたが、私が話を聴いた被爆者は「その後が地獄だった」と語りました。大きな爆弾が一発落ちただけではなく、体験者たちはそれからの人生でも死の不安を背負い、差別にも苦しみました。 

「ピースパズル」を使う平和学習活動に参加した奈良県の小学校の修学旅行生=2025年5月、広島市平和記念公園(久保田さん提供)

―トランプ米大統領はイランの核施設攻撃の後、「あの攻撃が戦争を終わらせた。広島や長崎を見れば、あれによって戦争を終わらせた 」と原爆を正当化しました。米政府の言い分は、広島、長崎への原爆投下を決めたトルーマン大統領から変わらないのでは、と思いました。海外から広島を訪れる人々と出会って、どう感じられますか。  

 小倉 被爆者が、残酷なことを思い出させる外国メディアからの質問に苦しみながら答えたことを、母(小倉桂子さん。被爆者として英語の通訳、講演をしている)は涙ながらに通訳した経験があったと聞きました。私は今、通訳として広島駅で、来訪する外国人の案内活動もしていますが、尋ねられる場所の7割方は「ピースパーク(平和公園)」です。母に同伴して訪ねた米国アイダホ大学の集会などで、自ら平和活動をしようと目覚めた若者たちに出会って感銘を受けました。人が変わる瞬間が目の前で起きるのを、私は見ています。広島に来てくれる外国の人たちに平和を考えてもらうきっかけづくりが通訳の役目です。  

久保田 私も、主宰する「第三世代が考えるヒロシマ『 』継ぐ展」(㊤参照)の活動で小倉桂子さんをインタビューし、広島に来る人が被爆だけを知りたいのではないと、「相手のこと、相手の立場を知って」通訳してこられたことを知りました。大虐殺があったルワンダ(注・犠牲者は約百万人とされる)の人は、相手への憎しみでなく、それを広島の人たちがどう乗り越えてきたかを知りたがりました。一方通行でなく、多角的に知る、それが本当の対話ですね。  

久保田さんのインタビューで、小倉桂子さんはこう語っている。「被爆証言を始めて『ヒバクシャは世界中にいる』ということに気づきました。世界各国のヒバクシャたちが、同じ体験をした広島の人たちなら気持ちを分かってくれる、話を聞いてくれるだろうと思ってやって来るのです。広島は、ヒバクシャの話を語る場所だと思っていましたが、世界中にいる核による被害を受けた人たちの話を聞くところでもあるのだと気づかされました」〉  

2024年12月、ノーベル平和賞授賞式の晩餐会で、母桂子さん、父馨さん(元広島市平和記念資料館長)の遺影と並んだ小倉さん=ノルウェー・オスロ

―昨年のノーベル平和賞は、広島と長崎の被爆者の全国組織・日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が受賞し、小倉桂子さんはオスロの平和フォーラムで「戦争は嫌だ。最も悪いのは核兵器。それに抗い、闘わねばならない」と訴えました。受賞は運動の成果ですが、一方で7月の参議院選挙では、候補者の「核武装は最も安上がり(な安全策) 」との声も論議を醸しました。世界で唯一の被爆国にも風化の危機は訪れているのでしょうか。  

小倉 「ヒロシマの心」とは何か、誰にどのように伝えるのか。答えを探しに被爆者の声に耳を傾け、平和活動をする多様な人、多様な世代の集まりに足を運び、異なる主張を持つ人たちの考えを聴くようにしています。また、原爆投下に至る過去の世界大戦のこと、戦後復興の歴史も学びます。 核兵器廃絶と真逆の国際社会の動向、停戦が進まぬ各地の戦争を目の当たりにすれば、自国の安全保障や社会の未来に不安を感じることも無理はないかもしれません。 選挙で過激な「日本の核兵器配備」を唱える人たちが出てきたことも…。 80年は数世代にまたがる月日。「戦争は昔のこと」と、実感、共感が生まれにくくなれば無関心と風化が進み、一方で現状変革を強く望む人たちも出現します。 だからこそ今、歴史を学び、被爆者が語るあの日のこと、その後に歩んだ苦難の人生の全てを学び受け止める。同じ現代を生きて異なる考えを持つ人にも耳を傾けて対話をし、「平和」の学びを生かして一緒に答えを見つけていく。それが「継承」ではないでしょうか。  

久保田 ウェブデザインの仕事をしていると、若い人たちの情報取得の方法に不安を覚えます。海外で作られた原爆の爆発のCG映像があります。映画のようにドラマチックに作られているのですが、時代考証がなされていない不自然な描写が多々ありました。新聞や記録を読んで調べるのではなく、 SNSやAIの影響で自分の興味関心に合った情報ばかりに触れ、答えを選んでしまうことを懸念しています。以前に担当した小学生への平和学習で、「ピーススポット」を調べて発表するワークショップを行いました。そこで「原爆ドームでは入場料を取っている」という発表があり、驚いた経験があります。調べたAIの回答が間違っていました。自らの体験から考えることがますます大事になるのです。  

広島市の平和記念資料館を訪れた家族連れの外国人客=2025年6月8日(寺島撮影)

―最後に、8月6日を前に広島から、どんなメッセージを伝えたいですか。  

小倉 あらためて思うのは、誰もが広島で「あの日」を聴きたがるけれど、母は、「まず知る」、それから「考える」、「話し合う」、そして「自分が何をできるか考える」という四つのステップが大事と語っています。広島をまず訪ねてくれることが、きっかけになる。  

久保田 そうですね、一人一人が「対話をつくる人」になれば、少しずつ変わっていくと思います。「未来は、あなた方がつくる」と被爆者の岡田恵美子さんが講演で語っていました。私は「第三世代が考えるヒロシマ『 』継ぐ展」を始めて10年になります。大勢の知り合いが増え、東京の人たちがボランティアに来てくれます。広島でも忙しいママさんたちが活動の手伝いに駆け付けてくれる。「自分が未来をつくっていく」と当事者が思った時、周りも変わっていくのです。普通の生活の中で、そんな‟特別でない”人が増えていけばいい。  

〈広島では、若者たちが「カクワカ広島〜核政策を知りたい広島若者有権者の会」を結成して、先の参院選前には核政策に関する全候補者へのアンケートを行った。高校生や大学生、会社員、カフェ店員らが参加し、政策に関わる議員らに核兵器のない世界の実現を問い続けている。久保田さんらは誰もが参加できる「オンライン灯ろう流し」を毎夏に企画。平和へのメッセージを託した灯ろうを仮想の川に流してもらい、広島の街なかで公開している。灯ろうに込めるメッセージ – 第三世代が考えるヒロシマ「 」継ぐ展 

(C)News Kochi(ニュース高知)

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