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なぜ学校で…。高知市立小プール死をめぐる疑問⑱62年間のわだかまり

高知市立南海中学校は、69年前に起きた国鉄宇高(うこう)連絡船「紫雲丸」の衝突・沈没事故で修学旅行中の生徒28人を亡くしている。何年たっても同級生たちの脳裏からそのときの記憶が消え去ることはない。事故後の検証があいまいかつ不正確であったがために、わだかまりも残り続けていた。(依光隆明)

高知市立南海中学校の「吾子たちの部屋」。空き教室を利用し、記憶に残すべき品を集めている。長浜小学校の児童は、4年生になるとこの部屋に来て紫雲丸事故を学習する

同級生たちの「告発」

2024年7月5日、南海中のプールで水泳授業をしていた高知市立長浜小学校の4年生男子が溺れて亡くなった。その検証を、高知市も、高知市教育委員会も、高知市議会多数派も、市教委内に設けた第三者機関「長浜小学校児童プール事故検証委員会」に事実上の丸投げをした。げたを預けられた格好の検証委員会は、年末までをめどに精力的な聞き取りを進めている。順調にいけば年度末の3月に検証報告書が出るとみられる。

何年か後には同級生たちも検証報告書を精読することになるだろう。そのとき、彼らが十二分に納得できる検証になっているのかどうか。歴史に耐える検証になっていなければ検証の意味がない。その大切さを69年前の事故が教えている。

前回紹介したように、南海中の関係者は紫雲丸事故から62年を経た2017(平成29)年に『友は海神(わだつみ)に抱(いだ)かれて~紫雲丸事故を語り継ぐ~』を出版した。亡くなった28人の人柄を紹介し、九死に一生を得た同級生たちの手記を載せているのだが、実はこの冊子の特徴は検証にある。事故から62年を経てこの冊子を編んだ大きな動機が同級生たちによる事故の検証だったのではないかと思わせるほど筆鋒は鋭い。特に引率教師の行動に対する視線は、「告発」という言葉すら連想させる。

事故から62年後の2017年に出した『友は海神に抱かれて』

公式報告は「救出に努めた」

『友は海神に抱かれて』の資料編には「南海中学校長から市教委への顛末報告書」が載っている。高知市教委が受け入れたこの顛末報告書が、高知市における紫雲丸事故の公的検証報告という位置づけを与えられてきた。

事故が起きたのは1955(昭和30)年5月11日午前6時56分である。本州と四国をつなぐ大動脈・国鉄宇高連絡船の紫雲丸(1480㌧)が僚船の第三宇高丸(1280㌧)と衝突し、4分後に沈没。犠牲者168人のうち100人は修学旅行中の小中学生で、うち28人は南海中学校の3年生だった。急速に傾斜する船内で、逃げ遅れによって船とともに海に没した子どもたちが多かったとみられる。

「顛末報告書」に〈遭難時に引率教員のとった措置〉がある。急速に沈みつつある船内で4人の引率教員がどういう行動をしたか、である。

◆冒頭に載っている男性教諭(おそらく最年長。便宜上A教諭とする)のことはこう書かれている。

〈洗面朝食をすませ船内巡視。三等畳室(船底)を巡視(生徒1名もなし)し、最下段の中頃を登る時衝突のショックを受ける。衝突箇所に最も近かったため顔面その他に打撲傷を受けた。急ぎ階段を登ったが、2段目出口の辺りはめちゃくちゃに破壊され、あたり一面の水蒸気で視界の判別ができなかった。無意識に木材の上をはい上がると第三宇高丸のデッキの上であった。その時紫雲丸の船客は大部分は第三宇高丸の貨車の屋根に乗り移っていたが、デッキ伝いに移っている者を援助している間に紫雲丸は宇高丸より離れ、同時に沈没した。沈没後はロープ、ブイなど投げ、救出に努めた〉

当時の国鉄連絡船は列車も運ぶようになっていた。第三宇高丸は列車専用の連絡船で、船室部分がないため紫雲丸よりも背が低い。『友は海神に抱かれて』には「高等海難審判庁の裁決理由」も載っているが、それによると衝突直後、第三宇高丸は紫雲丸を全速力で押している。つまり紫雲丸と第三宇高丸が一時的に衝突部分でつながっていた。これにより低層デッキにいた紫雲丸の船客は第三宇高丸に乗り移ることができた。

◆次の男性教諭(B教諭とする)について。

〈衝突時右舷デッキに居たが、下の船室から数人の乗客が宇高丸に乗り移るのを見て、船室にもどり、生徒に避難を命じて再びデッキにひきかえし、宇高丸にのり移った。そこで紫雲丸より乗り移る生徒の援助をしたが、間もなく紫雲丸は沈没した。沈没後は、宇高丸より海中の生徒を引きあげたり、人工呼吸をしたりして救助に当った〉

◆3人目の男性教諭(おそらく最年少。C教諭とする)について。

〈朝食をすませ船室にいたが、衝突したことを知り、船員の指示を受けるため案内所に行ったが船員はいなかった。引きかえし生徒を落ちつかせ、指導して前の三号入口よりデッキに出た。見ると紫雲丸より宇高丸に移っている者もいたが、どちらの船が突っかけたのかわからなかったので、どう処置したらよいか宇高丸の船員に尋ねたが返答がなかった。それで宇高丸に移って生徒を救助した方がよいと考え、宇高丸のデッキへとびおりた。そして手をさしのべて生徒を助けようとしたが、紫雲丸が高くてとびおりることができず、すぐに紫雲丸は離れていった。つづいて引き上げ作業をした〉

以上3人の証言に対し、当時の生徒たちは具体的にその欺瞞を剝いでいく。それは後述する。

南海中校長の「顛末報告書」より。南海中の生徒117人のうち92人が紫雲丸とともに海に没した(顛末報告書には「入水した者」が93人という資料もある。93人が正しいと思われる

「長尾先生は死力を尽くした」

◆唯一の女性教員について。

〈後尾の三等デッキ右舷のいすに腰掛けていた。衝突した時、船員の指示を待ったがない。下のデッキの者が宇高丸に乗り移っているのを見て、生徒に向うへ移るよう指示したが、丁度宇高丸の貨車の屋根がてすりより高くてうつれない。船員が貨車の上から乗客をひきあげていた。混雑するので生徒に押さないように注意したが、自身も押されていった。又荷物を捨てるよう指示したが徹底しない。貨車に近づいてきたので生徒を押してやったが、その時船が離れ、すぐに左舷に傾いたので、船の上を転がりながら生徒とともに沈んだ。浮びあがると生徒にしがみつかれ、2、3回沈んだ。最後に上った時足がかりがあってやっと呼吸をした。あたりに人影はなかった。附近にいかだがあったので、そばの生徒をすがらせ、自分もすがっている中に宇高丸にたどりつき救いあげられた〉

事故33年後の1988(昭和63)年、瀬戸大橋開通の節目に高知新聞が「消える連絡船」を連載し、うち7回分で紫雲丸事故を振り返った。『友は海神に抱かれて』にはその抜粋が載っているのだが、引率教師の中でこの女性教師だけが「長尾光子さん(67)」として証言している。1988年に67歳ということは、事故当時は34歳とみられる。『友は海神に抱かれて』には引率教諭の中で長尾先生だけが生徒に声をかけ、助け、自身も海に没しながら生徒を励まし続けたことが載っている。高知新聞にもほぼ同じ内容が載っていた。海中で「先生死ぬ!」と叫ぶ女子生徒を「死なせん!死なせん!」と励ましたこと、その女子生徒を海中で抱きかかえ続けて生き抜いたこと。長尾先生と女子生徒、双方の証言がリアルに迫る。

「顛末報告書」の冒頭には「事故の概況」があるが、ここで上田茂穂校長は4人の引率教諭をこう称えている。

〈引率教員中〇〇教諭(長尾先生のこと)は、海中に投げ出されるとともに身近にあったブイにつかまり、付近にいた生徒を抱きかかえて待っている間に救助された。○○教諭(A教諭)は顔面強打を受け一時失神状態に陥ったが、気がつくと同時に生徒の救助に全力を尽した。○○、○○教諭(B、Ⅽ教諭)は、第三宇高丸に乗り移り紫雲丸より、或いは海上より生徒を救助することに全力を尽した〉

紫雲丸とともに海に没しながら奇跡的に助かった同級生たちは、上田校長のこの報告に長くわだかまりを持っていたと思われる。『友は海神に抱かれて』には「市教委への顛末書に於ける供述(要旨)と『疑問点』」というページが設けられている。分量はさほど多くないが、「62年目の告発」とでも形容したいような内容だ。その中で、長尾先生に関する報告内容だけは〈疑問点は全くない。事故当時の行動を正直に再現、供述している。生徒の避難・誘導に死力をつくしている〉と評価する。傍ら、男性教諭3人には極めて厳しい目を向ける。

「吾子の部屋」には事故があった1955年5月11日の夕刊が並べられている

「動くな」と指示して逃げた

最初に俎上に上げるのはⅭ教諭である。「疑問点」としてこう書く。

〈「生徒を落ちつかせ指導して」「宇高丸のデッキへとびおりた」とするが、(生徒の証言では)船内案内所前に生徒を集め「様子を見てくるから、静かにここを動かんように」と指示した後、(宇高丸に「避難している乗客を見ると」、生徒を放置したまま、その足で一目散に宇高丸のデッキに飛び降りている)「静かに、動かんように」を、「落ちつかせ、指導して」と言いかえて、ごまかしている。(生徒は)「指示を守り、動かず待っていたのに、案内所前には戻っては来なかった」、「見捨てられ、多くの生徒が逃げ遅れた」と証言している(南海中の犠牲を大きくした原因か)。安全な宇高丸から「助けようと手を上げた」と弁解しているにすぎない。避難誘導は何もしていない。(生徒の証言では)救助活動の真っ最中、宇高丸の甲板上で、足下の海上では多数の子どもが、もがき溺れているのに、無神経にも「わしの背広を知らんか」と尋ね廻っていたが、「引き上げ作業をした」のは本当か。33回忌の際、南海中と高松での追悼行事に参加を呼びかけたところ、(吾川郡の)「校長になったから、県教育長の許可がないと行けない」として、参加を拒否したが、(調べてみると)県教育長許可は不要。県外に出る際、地教委に届出るが、実態は形骸化している。修学旅行は学校の公的行事であり、校長は学級担任でもなく、公務出張、職免、年休等で堂々と参加出来たはず〉

続いてB教諭への疑問。

〈「沈没後は、海中の生徒を引き上げた」とするが、本当か。1280㌧もある宇高丸の高い船上から「海中に手が届く」のか。「数人の乗客が乗り移るのを見て」「生徒に避難を命じ、宇高丸に移った」とするが、「避難」は命じたが「誘導」はせず(難を逃れた「乗客が数人」の時点で、一目散に逃げ出している)。

最後、A教諭。

〈「船客は大部分は宇高丸の貨車の屋根に乗り移っていた」とするが、事実か。市教委への顛末書で「大部分」との文言は、行間にカッコを入れて、加筆、あえて強調しているが、別の教諭は「数人」が宇高丸に移るのを見て、としているが、「大部分」とは大きなくい違いがある。海難審判の裁決でも「乗客の約半数」400名以上が取り残されており、「大部分」ではない。国鉄の「貨車の屋根」とは、「乗客の約半数」400名も上がれる程、そんなに広いのか。南海中でも117名中93名が紫雲丸に取り残されている。「無意識に木材をはいあがると宇高丸のデッキの上であった」とするが、「無意識」とは、あいまいな表現だが、事故報告書では「一時失神」とし、すぐ回復、あとは正常だが、(このあと子どもには振り向きもせず、いち早く安全な宇高丸に逃げだしている)。「失神」とは、どんな失神か。意識不明で、下に転落もせず、階段の中頃で手摺に摑まっておれたのか。衝突後4分で沈没しているが、1~2分間の「短い失神」は(医師に聞くと)「あり得ない」という。「失神」は校長の作り話か。

犠牲となった28人。「吾子の部屋」の正面で、69年前の表情のままこちらを見つめている

62年後、誤った歴史を直す

『友は海神に抱かれて』が上梓されたのは事故から62年目である。校長はもとより、引率教諭の中にも鬼籍に入られた方がいるだろう。だからこそ「告発」ができたのかもしれない。かといって『友は海神に抱かれて』に個人名を挙げて弾劾するくだりはない。教諭の名前もすべて伏せられている。しかし生徒たちは胸にわだかまりを持っていた。62年間、胸にたまったものを解き放とうとしたように見える。

ある女性は『友は海神に抱かれて』にこう書いている。

〈仲のよい友だち数人とデッキにいました。霧があまりに深くて、外を見まわしていました。そして、何分後に事故が起きたと思います。部屋に入ると、お客さんから「この船は沈むらしい」ということを聞きました。先生に「どうしたらいいですか?」と尋ねると「様子を見てくるから、デッキに出て待っていなさい。動いてはいけません。そこにいなさい」と言われました。私たちは、宇高丸が突っ込んだちょうど真ん中にいました。蒸気が上がり、船が傾き始めました。そのときに宇高丸を見ると、「そこから動いてはいけません」と言っていた先生が乗り移っていました。その光景を見ながら、私たちは、船と一緒に沈んで行きました。(中略)その時の「ここを動いてはいけません」と言っていた先生の行動に、大きなショックを受け、言葉になりませんでした〉

生徒が最初に違和感を持ったのは上田校長の顛末報告書だったかもしれない。部下をかばいたかったのだろう、上田校長は「生徒を救助することに全力を尽した」と長尾先生と男性教諭3人をほぼ同列に称えた。それを知った生徒たちが違和感を持ったであろうことに不思議はない。自分たちが現場で見た事実は全く違うからだ。顛末報告書は市教委とも打ち合わせの上でつくられたと思われる。ということは、この顛末報告書が人事評価の元にもなる。おそらく同列に称えられたこともあって、少なくとも男性教諭の1人は校長まで上り詰めた。校長になったあと、適当な理由をつけて33回忌への出席を断った。同級生の心に浮かんだわだかまりは大きく膨らんだ。

公式文書が歴史を作る側面がある。その公式文書にある事実が正確でなかった場合、それを上塗りする事実を提示し、文書化するしかない。69年前の南海中学校3年生にとって、それが『友は海神に抱かれて』だった。(続く)

(C)News Kochi(ニュース高知)

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