高知市福井町にある子どもの楽園「あそび山」の問題で新たな事実が明らかになった。道路用地として寄付を受けたはずの土地が、実はひそかに市がお金を出して購入していたという疑惑である。久しぶりに「あそび山」の問題を取り上げる。(依光隆明)
唐突に「市有地だ。申請を出し直せ」
前回載せたのは8月23日。2カ月以上も間が空いたので、おさらいをしておこう。
「あそび山」を造ったのは近くに住む古谷寿彦さん(81)、滋子さん(79)夫妻だった。寿彦さんは郵便局、滋子さんは県職員を勤め上げ、2005(平成17)年に退職金をはたいて土地を購入、自分たちで整備した。「あそび山」に入るには水路を越えなければならない。夫妻は高知市の同意と県の許可を得て幅4.1㍍・長さ約3㍍の通路橋を作り始めた。橋が完成間近となった2022年3月、市が突然クレームを出す。橋の対岸が水道局用地なので、市水道局の許可がないと建設は認められない、と。古谷夫妻は地元の人の話を聞き、公図と照らし合わせた。どう考えても橋の対岸は赤線(里道)または民有地としか思えなかった。水道局に許可を申請してしまったら対岸の土地は水道局用地となってしまう。古谷さん夫妻は許可申請を出さなかった。以来、市はすさまじい妨害を続けた。橋の撤去を求め、橋の入り口に車止めを設け、水道局用地だと主張する場所にゼブラ(縞模様)をペイントして市の所有権を主張した。それが今も続いている。
News Kochiの情報公開請求で明らかになったのは、市が水道用地だと主張する根拠は市自らが作った「農道用地実測図」だけということだった。境界を誰が確定したかも分からないような代物で、高松高裁は「公図の位置関係と一致しない」と断じている。この見解が出たのは、古谷さん夫妻が2006(平成18)年7月に車止めを外させようと起こした民事訴訟(通行権妨害排除請求事件)における高裁判決。高松高裁は古谷さん夫妻の主張を認めない一方、市が提出した農道用地実測図が「公図の位置関係と一致しない」という理由で橋入り口の土地が市有地であることも認めなかった。その後、古谷夫妻は公図上の橋入り口に当たる民有地=福井町字口ホソ(クチホソ)1805番地=の2分の1所有権者となった。古谷さんは橋入り口を民有地の1805番地だと主張、市は市有地の1807番地だと主張してゼブラペイントによる占有状態を続けている。
寄附された土地を53万円で購入?
「あそび山」に対する強硬姿勢とは対照的に、にわかには信じられないほど市はずさんな事務処理を続けてきた。この連載で書いてきたのはその一端なのだが、なぜ?と首をひねるほど次々とおかしなことが繰り返されている。例えばことし8月13日に古谷寿彦さんが市に情報公開請求し、9月中旬に開示された資料に「あそび山」周辺の土地台帳(公有財産台帳)がある。古谷さんが橋入り口だと主張する1805番地の横、福井町口ホソ1806番地1と1806番地2の台帳を見ると、信じられない記述があった。
1806番1は実測13.4平方㍍(公簿面積13平方㍍)で、1997(平成9)年3月21日に道路用地として77万6128円で市が取得している。1平方㍍当たりの単価は5万7920円。評価額は6063円と記されているので、評価額の9.55倍で購入したことになる。取得価格が適当だったのかという疑問もあるが、それは置く。
信じられない記述は高買い疑惑のことではない。目を疑ったのは1806番2である。実測81.59平方㍍(公簿81平方㍍)を、同じ3月21日に52万8213円で市が取得と記載されていた。1平方㍍あたり単価は評価額(6063円)に近い6474円。
1806番が1と2に分筆登記されたのは同年3月25日である。ということは、市が購入後に分筆登記をしたことになる。なぜ分筆が必要だったかという理由は、道路として使われていた部分は市に寄付してもらい、それ以外の部分を市が購入するためだ。1806番の土地を分割し、道路として使われていた部分(分筆後は1806番2)は持ち主が市に寄付する。いわばその代わりにそれ以外の部分(分筆後は1806番1)は持ち主から市が購入したと理解されていた。古谷さん夫妻もそう思い込んでいたし、かつて古谷寿彦さんが情報公開で取得した資料には「土地寄附証書」もあった。そこには1997(平成9)年3月21日に実測81.59平方㍍の1806番地を公衆用道路として持ち主が高知市に寄付したことが明記されている。あて先は「高知市長、松尾徹人様」。土地の持ち主は福井町に住む民間人A氏で、本人と思われるサインがある。「1806番地」と書かれているが、実測面積から見て寄付されたのは道路だった土地(分筆後の1806番2)だと分かる。要するに、81.59平方㍍がA氏から高知市に寄付されたという書類が整っている。
矛盾する2つの公文書が存在
古谷さんはことし10月7日に1806番の分筆について情報開示請求をした。同月24日に入手した開示資料で分かったのは、分筆の立会人がいないこと、分筆費用が不明なこと、そもそも1806番の位置特定の根拠となる資料すら存在しないこと。開示された土地売買契約書は1806番(公簿95平方㍍)のうち実測21.44平方㍍に77万6128円を払うという内容だった(これが1806番1)。日付は1997年3月21日で、A氏のサインと高知市長松尾徹人氏の名前+市長印がある。
併せて開示されたのは同日付の「農道用地寄付申請申し込みについて」という文書だった。「下記記載の土地、公衆用道路として高知市に寄付したいので申し込みます」と書かれた下には1806番地・公簿95平方㍍のうち実測81.59平方㍍と記入されている。この開示資料でも81.59平方㍍は寄付されたことになっていた。
土地の流れを整理しよう。
➀1997年、高知市は「あそび山」の入り口に近い福井町口ホソ1806番地の土地(公簿面積94または95平方㍍)を取得した。道路になっている部分(分筆後は1806番2)は寄付してもらい、残りの部分(分筆後は1806番1=実測13.4平方㍍)は市が購入した。購入金額は評価額の9.55倍という高値だった。
②高知市役所には1806番2(実測81.59平方㍍)をA氏から寄付してもらったと書かれた公文書が複数ある。
③ところが市に寄付されたはずの1806番2の公有財産台帳(土地台帳)には、この土地(81.59平方㍍)を市が52万8213円で取得したことが記載されていた。
➃1806番2を市が購入していたとしたら、取得費用(52万8213円)をどこからどうやって捻出したのかが闇の中となる。1806番地を分筆した際の費用(測量等)がどこから出たかを示す書類も存在しない。
⑤高知市役所には1806番2の81.59平方㍍を「寄付してもらった」という公文書と、「52万8213円で取得した」という公文書が存在する。この2つの文書は相入れない。
ちなみに一部の開示資料で1806番1の実測値が13.4平方㍍ではなく21.44平方㍍となっている点についても古谷さんは情報公開請求で調べている。高知市の回答は、その根拠となる書類を「保有していないことが判明した」だった。つまり21.44平方㍍という数字がなぜ出てきたのかも判然としない。
副市長は「購入」を知っていた?
松尾徹人氏の後継市長となった岡崎誠也氏は「(あそび山の問題は)裁判で決着がついている」と不正確かつ論点をずらした答弁で議員らの質問をけむに巻き、市幹部は古谷さんを「特定市民(カスタマーハラスメントを繰り返して業務を妨害する市民)」のように扱って警察に拘束させようとまでした。それでいて市内部の事務処理は支離滅裂だと言っていい。
岡﨑氏を継いだ桑名龍吾氏は岡﨑市政で幹部を務めた弘瀬優氏を副市長に据えた。その弘瀬氏は農林水産部長だった2023年の3月議会で「あそび山」の問題に答えている。
本会議の一問一答で市民クラブの岡崎豊氏がこう質問した。「平成9年3月に福井町の1806番、これを嘱託して分筆して購入いたしております。(中略)面積は13平方メートルで、非常に狭隘で、高知市としては不要な土地だと思いますけれども、これを購入した理由につきましてお聞きをいたしたい」
弘瀬氏はこう答えた。「基本的には現に道路として利用している部分につきましては寄付をしていただき、現況が道路でない部分につきましては買収によって工事を実施していくという基本的な考え方で実施をしていると当時の農林水産部長が説明をされており、そうした判断に基づき分筆、購入したものと理解をしております」
弘瀬氏は議会の本会議で「道路として利用している部分」が「寄付」されたと答弁した。その部分も市が「購入」していたら、答弁は虚偽となる。「当時の農林水産部長が説明をされており」と逃げを打ったのは、実際は購入だったと知っているのかもしれないが…。