限りない未来があるはずだった16歳の少女が6年前、自らの命を絶った。「愛媛の美味しいを全国へ そして世界へ」を理念とし、歌やダンスで農業の魅力を発信する農業アイドル「愛(え)の葉Girls」の主要メンバーだった彼女。ファンはその死を悼み、マスコミも全国的に報道した。少女の無言の訴えに気付けなかった周囲の人、友人たち。とりわけ彼女が所属していた事務所社長の佐々木貴浩さん(55)の衝撃は大きかった。(西原博之)
農業生産法人の代表として作業に取り組む佐々木貴浩さん(2020年6月、松山市)
なぜ彼女を守れなかったのか
佐々木さんは14年前に農業生産法人(株)「Hプロジェクト」を起業した。
農業に携わる傍ら、農業普及の手段としてアイドルを育て、世話をし、悩みを聞き、相談に乗ってきた。相談に乗る中で、実は亡くなった彼女が深い悩みを持っていたことを聞かされている。それなのに自分は彼女を守れなかった―。どうしようもない現実を前に、悲しみ、悩んだ。いたたまれぬ日々を過ごしながら、なぜ救えなかったのかと自問した。スタッフ全員が悲しみに包まれていた。
半年後、佐々木さんや事務所スタッフの苦悩は思わぬ方向へ展開を見せる。
全く想像もしなかった理不尽で深刻な事態を、佐々木さんが予測できるはずはなかった。
どくろマークに「死ね」
それは突然だった。
遺族と、遺族を取り囲むように座った弁護団が東京で記者会見を開いた。主張はこうだった。「事務所の佐々木社長が、悪質なパワハラで彼女を死に追いやった」
その上で、佐々木さんと事務所を相手に損害賠償請求訴訟を起こしたのだ。佐々木さんにとっても、スタッフにとっても寝耳に水だった。全く身に覚えがないだけではなく、死の原因であろうと思われる少女の悩みを聞いていた。佐々木さんにすれば、記者会見の内容は荒唐無稽としか言いようのないものだった。
戸惑いと驚きが消えないまま、佐々木さんはすさまじい嵐に巻き込まれる。猛烈なバッシングが始まったのだ。「パワハラ社長」「悪徳会社」。会見を鵜呑みにした新聞、テレビ、週刊誌など各種マスコミの集中砲火だった。テレビのワイドショーは「極悪のパワハラ社長」的な糾弾を何度も続けた。佐々木さんにはなすすべがなかった。事務所には脅迫、いやがらせの電話、FAXが洪水のように押し寄せた。刃物やゴミも郵送されてきた。どくろマークに「死ね」と書いた脅迫文まできた。被害は事務所スタッフやその家族、取引先にまで及んだ。 佐々木さんが育てた「愛の葉Girls」は解散に追い込まれた。
会社の信用は地に落ち、10数人いたスタッフは激減した。 佐々木さん自身も収入の道が絶たれた。傍ら裁判やいやがらせへの対応に追われた。精神的に追い込まれた。限界だった。「一人だと自殺していたでしょうね」と佐々木さんは振り返る。少女の死、裁判、報道被害という三重苦。 バッシングの嵐の中で、佐々木さんに疑念が浮かぶ。「なぜマスコミは遺族の主張ばかりを報道し、私の話には耳を貸さないのだろう」
事実無根だった報道内容
佐々木さんの主張が正しかったことは、提訴から4年後に証明された。2023年1月、遺族側が起こした訴訟は、佐々木さんの全面勝訴で決着した。遺族側が主張した「過重労働の強要」「パワハラ」「学費の貸付撤回」「1億円支払え発言」 などはすべて否定された。佐々木さんが遺族と弁護団を訴えた訴訟も佐々木さんの完勝だった。残る一件の訴訟も高裁まで勝ち、最高裁の判決を待つだけになっている。遺族側の敗訴は、マスコミの報道内容が荒唐無稽だったことを示している。つまり事実無根の内容を垂れ流したマスコミの敗訴ともいえる。
勝ったとはいえ佐々木さんに以前の平穏な日常は帰ってこなかった。 マスコミが報道した内容は社会を一人歩きし、事実として市民の間に定着してしまう。修復は難しい。加えて最大の問題は、提訴時に遺族側主張を一方的に報道した新聞、テレビが裁判の行方を真摯に追わなかったことだ。新聞を含むほとんどのマスコミは佐々木さんの勝訴を無視するか、ごく小さな扱いで切り捨てた。マスコミは、自らの「敗訴」に背を向けたのだ。
興味本位の誤報で一人の人間の人生を捻じ曲げた自責の念も反省も、そこにはない。
勝訴後、佐々木さんは報道各社に抗議文と誤報の訂正、検証などを求める文書を送った。しかし各社とも、示し合わせたように「公平公正な報道をしており、指摘は当たらない」と佐々木さんを突き放した。佐々木さんは言う。「マスコミは決して間違いを認めないし、謝罪もしない。誤報の検証もしなかった」
もう報道被害者を出さないために
佐々木さんは今後も、名誉回復の運動を続ける決意だ。いったん傷ついた名誉の回復が難しいことはわかっている。「だから私の体験を生かし、報道被害を防ぎたいんです」。2024年3月には松山市内で自身の体験を報告する集会を予定している。幸いなことに支援する市民の輪はじわじわと広がっている。もちろん決して楽観していない。自身の、事務所の、スタッフの名誉が回復しても、マスコミの姿勢が変わらねば誤報は繰り返される。これからも報道被害者は出る。正面からこの課題に向き合うつもりだ。