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高知裏面史 西岡寅八郎メモワール④「土電をやってくれんか」

1978(昭和53)年のおそらく春、西岡寅八郎さんは四国銀行本店に呼ばれた。そこには高知県を代表するようなメンバーが集まっていた。(依光隆明)

1963(昭和38)年にできた四国銀行本店。老朽化に伴う建て替えが決まっている=高知市南はりまや町1丁目

県の「心臓」が集結

1978年当時、西岡さんは県議会議員になって2期目。42歳だった。電話をかけてきたのは高知新聞社長の福田義郎氏(1908~1980)だったと記憶している。「みんな心配しゆき、話を聞いちゃれや」と指示された。呼ばれた場所が四国銀行本店というのは、消去法でいけばその場所しかないという推測だ。「県庁では集まったことがない。旅館でもない、高知新聞でもない」と振り返る。

案内された部屋に入ると、居並ぶ顔ぶれに驚かされた。

「県から中内力知事、和食延夫教育長。四国銀行から吉村頭取、久保忠武副頭取、浜田耕一専務、滝本浩専務。県総評から国沢秀雄議長、土佐電気鉄道(土電)の労組から香西誠一委員長。それから高知新聞の福田義郎社長。総評が来ちゅうのにはびっくりした」

中内力氏(1912~2001)は県職員から県教育長、副知事を歴任した人物。1975(昭和50)年の知事選で初当選し、このときは1期目だった。和食延夫氏も県庁職員の出身で、溝渕増巳前知事の下で厚生労働部長や農林部長、中内知事の下で総務部長、教育長を歴任していた。この翌々年、1980(昭和55)には副知事となって4年間務める。中内氏が自民党公認で4期目を目指した1987(昭和62)年の知事選には自民党の一部に推される形で出馬、社会党と公明党の推薦を得て県政史上に残る激しい戦いを展開した(21万票対16万票で敗北)。国沢秀雄氏は県労働界の支柱的な有名人。総評の正式名称は日本労働組合総評議会で、衰えが見え始めたこの当時でも日本の労働組合員の35%程度を組織していた。高知県支部は高知県労働組合評議会(高知県評)と呼ばれ、そのトップが国沢氏。筋金入りの統率力は県知事も一目置く存在だった。当時の土電には労働組合が二つあったが、香西誠一氏は第一組合(土電労組)のトップ。私鉄総連(日本私鉄労働組合総連合会)の中央執行委員も務め、県労働界での存在感は大きかった。かつて土電には野球部があり、香西氏はそちらでも有名だった。旧制城東中時代の1947(昭和22)年には春の甲子園大会に出場し、準決勝まで進出。土電時代は都市対抗野球の全国大会にも出場している。

福田氏は高知新聞の社主兼社長として君臨した実力者だ。野市町(現香南市)に生まれ、東大から同盟通信(戦後解体し、共同通信と時事通信となる)に入って政治部の官邸詰めやスマトラ・メダン支局長などを務めた。学生時代に高知新聞創業メンバーの娘と結婚したこともあり、1945(昭和20)年に帰郷して高知商工会議所理事長、1950(昭和25)年に42歳で高知新聞専務、1953(昭和28)年には45歳で社長に。やり手、辣腕家として知られ、さまざまな事業を起こす一方、6年にわたって日本新聞協会の常任理事を務めた。1960(昭和35)年には愛媛県宇和島市の地域紙を買収、新愛媛新聞を立ち上げて松山へ攻め上ったこともある。中内知事の兄と親しかった関係で、副知事を終えて雌伏中の中内氏を関連企業の高知放送副社長に招いたりもした。交友は広く深く、知事や四国銀行頭取をしのぐほどの力を持っていたと表現しても誇張にはならない。

集まった9人は高知県の中枢、いわば心臓部を支える面々だった。

1978(昭和53)年2月の高知新聞記事。「四国銀行の方向」から電車廃止論が出ていることも紹介している

「土電のことで困っちゅう」

話の内容は土佐電気鉄道をどうするかだった。和食氏だったか、浜田氏だったか、「土電のことで困っちゅう」と口を開いた。

「僕のところへ話が来ること自体、県も四国銀行も困り切っちょったがですよ。県と四国銀行はずっと話をしよったがでしょうねえ」。なぜ県も四国銀行も困っていたのか。西岡さんが説明する。

「土電は不動産をやりよって、東京で分譲マンションを建てて利益を出していたんです。それに味を占めて、鬼怒川温泉に分譲マンションを建てようとした。向こうの商工会から要請をされたそうです。用地を1億円で買って、マンション建設費は四国銀行から借りようとした」。当時から土電のメインバンクは四国銀行だった。建設資金を借りるべく土電は四国銀行に足を運んだ。「土電の役員が四国銀行に行って『融資してほしい』と頼んだそうです。ところが四国銀行の返事は、『沿線開発ならともかく、公共交通の会社がなんで知らん所でそんなことをやるんですか。やめなさい。1億円捨てなさい』。土電は『分かりました』と言いながら、商社金融を使ってマンションを造り始めた。確か兼松江商です。四国銀行は怒って、取引停止です。四国銀行だけじゃなく、他行も同調して全銀行が土電を取引停止にしました」

それが1973(昭和48)年の春だった。兼松江商は当時あった10大商社の一つ。兼松江商の融資を受けて事業を実施、マンション販売も兼松ルートで行うということだったらしい。当時の新聞記事によると、マンションの建設地は栃木県藤原町(現日光市)の鬼怒川温泉。10階建て全186戸の分譲マンション(一部店舗)を建設、西岡さんが呼ばれた1978(昭和53)年のうちに完成を迎える予定だったのだが…。土電が描いたバラ色の夢は惨憺たる結果に終わることが確実視されていた。なにより着工時期が悪かった。着工を決めた直後の1973(昭和48)年秋に第四次中東戦争が勃発、原油価格が急騰して世界をパニックに陥れていた。「狂乱物価」と形容されるほど日本の諸物価はうなぎのぼり。必然的にマンション建設費も暴騰し、各室の販売価格が跳ね上がった。そうなると買い手が見つからない。完成間近にもかかわらず、売れ行きはさっぱりだった。実際、このマンション事業は1982(昭和57)年までかかって半分の戸数が売れただけ。県や四国銀行が懸念した通り、巨額の赤字で終わる。

1978(昭和53)年時点で土電の累積赤字は20億円を超えていた。特に電車部門が大赤字で、県の補助金と四国銀行の融資でなんとか運転資金を回すという状況だったらしい。たとえば電車部門への補助金額は1977(昭和52)年度で約2億500万円(国50%、県37.5%、高知市と南国市で12.5%)。そんな経営状態の土電が野放図な不動産事業で赤字を膨らませ、銀行からは取引停止を食らう。経営的にはアウトの状況だった。半面、県民の足としての存在感はまだまだ大きく、潰れてしまったら県民から非難の声が沸き起こるに違いない。土電をどうするか、は県政の重要課題となっていた。

四国銀行本店近くを走る電車。2014年から土佐電気鉄道に代わって誕生したとさでん交通が走らせている

退職金が10億不足

潰そうにも潰せない問題もあった。退職給与引当金が大幅に欠損していたのだ。

「足りない退職金は10億円やった。総評の国沢議長と土電労組の香西委員長が県と銀行へ圧力をかけに毎日行きよった」と西岡さん。「(カネを)銀行が出さざったら県が出せということでした」。退職金は労働者の命綱と言っていい。それが出ないとなれば社会問題になりかねない。労働組合にとっても最重要課題だった。かといって土電には退職金を払うカネがない。労働組合はメインバンクの四国銀行に「なんとかしろ」と圧力をかけるのだが、「土電が裏切った以上、四国銀行は融資できん。クローズ(取引停止)しちゅう」(西岡さん)。もちろん県が民間企業の退職給与引当金を出せるわけがない。どうしたらいいのか、県と四国銀行が鳩首会談を重ねるものの結論は出ない。時間が過ぎる中、なぜか西岡さんに白羽の矢が立った。

福田氏だったか、中内氏だったか、誰から言われたのか記憶にないが、言われた言葉だけは記憶している。この会議で西岡さんはズバリこう言われた。「土電をやってくれんか」と。具体的な説明はこうだった。「土電は58年(1983年)の9月に運転資金が切れて倒産する。53年の株主総会で非常勤取締役となって土電の様子を見て、役員との付き合いをしてくれ。58年6月に代表取締役会長となり、2300人の株主の代表として土電におってくれ。その3カ月後に土電は倒産し、会社更生法を申請する」。倒産し、会社更生の手続きが始まっても会社は生き残る。電車、バスも止まらない。しかし役員は退任し、株券はただ同然になってしまう。土電には安定株主がおらず、2300人ものさまざまな人物が株を持っていた。その中には一筋縄ではいかない者も少なくない。株主対策のために土電に入れという意味だった。会社更生法が適用されるとおそらく土電は再生する。その方向で進む見通しが立てば、四国銀行が退職引当金分の10億円を土電に融資するという含意も含まれていたらしい。冗談ではない、と西岡さんは思った。だいたい土電には何のかかわりもなく生きてきた。強い調子でこう言った。「県会に行った(県議になった)ばっかりやに。なんで自分が土電なんかをやらないかん」

反発されるのは想定内だったのだろう、9人は西岡さんに負けない調子で説得にかかった。(つづく)

(C)News Kochi(ニュース高知)

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