1954(昭和29)年から始まり、2024年で第71回目を迎えた高知の「よさこい祭り」(8月9~12日)。高知県外からも多くの参加者が集まり、個性豊かな踊りで街を賑わす。自由や多様性が尊重され、時代と共によさこいのスタイルも変化している中で、「よさこい文化協会」の上村優実さん(27)は、「原点のよさこい鳴子踊り」(以下、原点よさこいと表記)の普及に取り組んでいる。多様性と変化の中で、なぜ「原点」か。先人の教えを次の世代へ受け継ぐ意義について迫る。(立命館大学3年、綱岡樹哉)
聖地といえば熱暑の高知
高知市中心部に「よさこい情報交流館」がある。全国に広がる「よさこい」の情報拠点として高知市が作った。
徳橋裕生館長によると、「よさこい」が始まったのは1954(昭和29)年。1945(昭和20)年の高知大空襲と翌年の南海地震が高知市に与えたダメージは大きく、高知商工会議所が「食うや食わずの市民のための祭りをしたい」と発想した。
曲づくりを担ったのは戦争末期に大阪から高知に来た愛媛県出身の作曲家、武政英策氏だ。武政氏は坂本龍馬の時代からお座敷で歌われていた「よさこい節」に、土佐特有の節回しや言葉遣い、県内各地で歌い継がれていた民謡・わらべうたのテイストを合わせて「よさこい鳴子踊り」という楽曲を完成させる。武政氏とともに、よさこい祭りの「生みの親」の一人とされ、武政氏と知己のあった、高知商工会議所の主要メンバーで料亭の主人だった、濱口八郎氏らは田んぼでスズメを追い払う鳴子に注目。素手で踊る阿波踊りに対抗しようと、年に米が2度とれる高知ならではの発想も手伝い、祭り用に改良した鳴子を手に踊る新しい踊り「よさこい鳴子踊り」へと昇華させていくことになる。
祭りには様々なルールやしきたりがあるが、「よさこい」にはそうしたがんじがらめのルールがほとんどない。主なものは①鳴子を持って前進すること②曲のどこかによさこい鳴子踊りのフレーズが入っていること。そのためチームごとに曲のアレンジが違うし、振り付けもがらり違う。その自由さが魅力となって、県内外はもとより、海外にもその人気が波及。北海道の「YOSAKOIソーラン祭り」や東京・原宿の「スーパーよさこい」など、よさこいの名を冠した祭りやイベントが各地で誕生しているが、それの発祥の地・聖地といえば熱暑の高知。現在は約190チーム、17000人ほどの踊り子が集まる一大イベントとなっている。
最初で最後、第1回だけの「原点よさこい」
「よさこい」の魅力の一つは炎天下の街路を踊り進むことだが、第1回目・昭和29年の「よさこい鳴子踊り」は少し違った。「土佐のお座敷文化」と称され、料亭などで披露されていた舞台踊りに街頭での流し踊りの要素を加味してつくられた新しい踊りだった。振り付けを担当したのは日本舞踊5流派(花柳、若柳、藤間、坂東、山村)の師匠たち。その踊りを「原点のよさこい」と呼んでいる。
ゆっくりと回りながら進む形だったので、第2回からはもう少し前へ前へと進む形が採用された。そのため第1回の鳴子踊りはそのときだけ。第1回が最初にして最後となった。
よさこいの源流と認識されているのは「正調よさこい」だが、「原点」とは違う。「原点のよさこい」は第1回だけで踊られた踊りであり、今も県庁チームや高知市役所チームが踊っている「正調」は少なくとも第2回目以降で踊られた踊りを指す。「正調」がもともとのよさこいだと誤解されていたため、原点の踊りは消えかかっていた。そこにスポットを当てたのがよさこい文化協会であり、現在、その「原点よさこい」を、後世の子どもたちに伝えていこうと活動を展開しているのが、上村優実さんをはじめとする同協会の有志らだ。
高知市新本町に住む上村さんは、3歳の時に初めてよさこい祭りに参加した。4歳からジャズダンスを、その後クラシックバレエも習い、「踊ること」に魅了される。2016年10月、よさこいの原点である日本舞踊を基礎から学ぼうと、日本舞踊・若柳流の門をたたき、若柳由喜満さんの門下生として名取、そして2023年7月には師範へと昇格。若柳由喜富后として高知県日本舞踊協会に所属する一方、よさこい文化協会が発足した2020年当初から「原点よさこい」の継承活動を展開。その間、一連の活動に力を入れていく時間を確保するため、務めていた会社を退職、喫茶店でアルバイトをしながら「原点」の普及に取り組んでいる。
他者の悲しみに目を向け、立ち上がる
「元々、よさこいは、踊りたい人が、参加したい人が、老いも若きも関係なく、子どもから高齢者まで、みんなが楽しく踊れるお祭りだったのではないでしょうか。そのことを、よさこい発祥の地・高知に生まれた私たちは、やっぱり忘れてはいけないのではないかと思います」。上村さんはそう言いながら、アルバイトをしながら「原点」にこだわり、それを普及、継承していこうとしている背景についてこんな話をしてくれた。
「最近、当時のことを知る方々のお話を聞かせていただける機会に恵まれることが多くなってきたんですが、先日も、『原点よさこい』をご覧になってくださっていた年配の女性が、『うわー、懐かしいー』ってお声をかけてくださいました。戦争が終わって、家族や仲間を失い、街は一面焼け野原になった。みんな、住む所もなく、食べることすらままならない。そんな中でも人は生きていかなくてはいけない…。そんな悲しみを抱えた人たちが、あのお祭りを通して心の復興を果たしてきた。心の復興がなければ、街の復興はできませんし、その復興の象徴が『原点よさこい』だったのではないでしょうか。世界のどこかで、毎日のように、争いや災害が絶えない時代に、私たちは生きています。悲しいときや、立ち上がれないことがあったときに、他者の悲しみに目を向けて、一緒に立ち上がろうって、そんな方々の姿にこそ、人として私たちが学ぶべきことがあるのではないでしょうか。『原点よさこい』の継承を通して、そうした先人の皆さんの思いも一緒に継承していきたい。だから、上手に踊れなくてもいいんです。踊りを全部、覚えられなくたっていいんです。『原点よさこい』を楽しく踊り、歌うことで、みんなで一緒に大事な何かを見つけていきませんか。そんな思いを伝えていきたいと思っています」
三味線と生唄で「よっちょれよ!」
よさこいのシーズンが近づくと、お願いされるのは「出前講座」だ。上村さんも、特に子どもたちに「原点」を伝えたいと力を入れている。「次世代を担う子どもたちに先人の思いを継承したいから」と上村さんは話す。
2024年8月2日、高知市仁井田の「みさと幼稚園」で上村さんらの出前講座が開かれた。幼稚園のある三里地区は、武政英策氏が高知の地で初めて市民楽団を結成し、その音楽活動をスタートした、いわば、「よさこい鳴子踊り」の楽曲が生まれる契機となったとも言えるゆかりの地。
「原点」を学ぶ動機を、森岡俊介園長は「自由なスタイルで楽しむことはもちろん大事なことではあるけど、基本形を教わって、それができるようになることも重要」と説明する。和装の上村さんが教室に現れた。「みなさん、おはようございます!」。園児たちも元気いっぱい、「おはよぉーございまぁす!」。
笑顔のやり取りで子どもたちの表情を和らげたあと、園庭へ。
8月の高知は暑い。この日も気温はぐんぐん上がっていった。
この日、上村さんをサポートするのは藤間寿幾久(ひさいく)さんこと、濱田幾久子さんと、田村由千朱(よしちか)さんこと、山脇文朱さん。
山脇さんが三味線を弾き始める。上村さんと濱田さんが後ろに並ぶ子どもたちを見ながらスタンバイ。踊りが始まった。三味線に合わせて歌いながら踊る。前へ進む。照りつける日差しの中、上村さんだけはほとんど汗を出していない。子どもに目をやり、子どもに声をかけ、子どものペースで足を運ぶ。子どもたちを振り返りながら両手を優美に上げ、下げ、鳴子を鳴らす。「よっちょれ!よっちょれよ!」と子どもたちも元気な声。
踊りの集大成は9日のよさこい祭りの前夜祭だ。祭りの冒頭、園児たちは上村さんらとともに「原点よさこい」を披露することになっている。これまでの練習の成果を確かめるように上村さんが子どもたちを見る。子どもたちが元気に踊る。日本舞踊を起源とする踊りだけに、激しくはなない。大きな動作で、ゆったりと、優美に鳴子を鳴らす。
現代のよさこいと最も違うのは伴奏と唄かもしれない。山脇さんが、三味線を弾きながら唄を歌う。実はこの歌詞が貴重らしい。時代とともに変化を遂げてきただけに、いまや「原点」の歌詞を知っている人は少ない。しかしこの歌詞こそが昭和29年の空気感を今に伝えている。
帆傘船 年に二度とる米もある
グラウンドでの練習を終え、扇風機の前で涼む子どもたちに感想を聞くと、「たのしかったあ!」「つかれたけど、できた!」「前よりできた!」と元気いっぱいの声が返ってきた。そう話す子どもたちの輪の中に上村さんはいた。「そうやね。みんなニコニコのおかおで、よさこいのおうたも、おっきい声でうたってくれて、とっても、すてきでしたよ」。そばにいた子どもたちは、はにかみながら、また、笑顔になった。
記事の最後に、子どもたちが踊りながら歌っていた「原点よさこい」の歌詞を紹介したい。よさこいにはまっている人でも原点の歌詞を4番までしっかり覚えている人はあまりいないかも知れないから。
「よさこい鳴子踊り」 作詞作曲:武政英策
1.高知の城下へ来て見いや
ぢんまやばんばも皆おどる
鳴子両手に皆おどる皆おどる
土佐のー
高知の はりまやばしで
坊さん かんざし 買うを見た
2.高知の城下へ来て見いや
やぼすもこうべりさんも皆おどる
鳴子両手に皆おどる皆おどる
みませー
見せましよ 浦戸をあけて
月の名所は桂浜
3.高知の城下へ来て見いや
はちきんもあべたも皆おどる
鳴子両手に皆おどる皆おどる
土佐のー
名物 さんごに くじら
紙に 生糸に かつを節
4.高知の城下へ来て見いや
おなんもおとうも皆おどる
鳴子両手に皆おどる皆おどる
はらみのー
まわしうち 日暮に帰る
帆傘船 年に二度とる米もある
インターン研修生の原稿です
NewsKochiはこの夏、立命館大学産業社会学部の根津朝彦ゼミと提携し、同ゼミの3年生を短期インターンとして受け入れることにしました。NewsKochiの指導を受けながらテーマを決めて高知県内で取材します。第一弾は神戸市出身の綱岡樹哉君です。高知市で「原点のよさこい」を取材しました。